32、なんてことはもちろん全然思わない
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問い合わせの返事は短かった。
ミュリエルの詳しい病状はわからない。シェイマスはアカデミーで忙しいだろうから、わざわざ手紙を送らなかった。とにかく戻ってこい。
それだけだ。
思えば父から二通以上、手紙をもらうのは初めてのことだった。
——今さら、嬉しくもなんともないけれど。
昔の私なら、あるいは「前回」の私なら、こんな手紙でも大事にしまっていただろう。
そのことを苦く噛み締めながら、私は、数日間のお暇をフレイア様にいただいた。
「気を付けて」
イリルはぎりぎりまで見送ってくれた。
「クリスティナ様、馬車に荷物を積むのは私が見ておきますので、どうぞイリル様とお話になっていてください」
ルシーンが気を利かせてくれたので、少し離れたところで立ち話をする。
今日のイリルは髪も乱れておらず、王子らしく装飾の多い上着を羽織っていた。対する私は、家から持ってきたあっさりとしたドレスだ。フレイア様に作っていただいたドレスを着たら、またミュリエルを刺激すると思ったのだ。
「心配だな」
「大袈裟よ、すぐ戻ってくるわ」
イリルは、寂しそうに目を細めてくれた。
それに応えるように、私は笑顔になった。
「来週には、フレイア様主催の演奏会があるもの。それには間に合わせるわ」
「でも、その頃、僕は視察でいないからな」
「じゃあ、お互い落ち着いたら会いましょう」
「わかった——いい?」
何が、と聞く前に、イリルは私の手を取って、その甲に口付けした。
「な、え、え?」
突然のことに真っ赤になった私に、上目遣いで言う。
「約束は覚えてるね?」
早鐘を打つような心臓を押さえながら、なんとか私は答えた。
「も、もちろんよ。手紙を書くわ」
イリルはにっこりと笑った。
‡
「お帰りなさいませ」
屋敷に戻ると、トーマスを初め、懐かしい顔が出迎えてくれた。
お父様は領地からの使者と話し込んでいるとのことなので、先にミュリエルの様子を見に行った。
「ミュリエル? 具合はどう?」
私の顔を見たマリーが、ほっとしたように寝台へ案内する。
横になったミュリエルは、美しい金髪を扇形に広げて目を閉じていた。
私は思わず吹き出した。
「寝たふりが下手ね、そんなんじゃ誰も騙せないわよ」
呼吸が浅いし、瞼がピクピク動いているのだ。
「何よ!」
ミュリエルはガバッと起き上がった。血色のいい頬を膨らませる。
「失礼ね! 本当に寝てたのよ!」
「元気そうでよかったわ」
そう言うと、あ、という顔をしてまた横になった。
私は寝台に直接腰掛けて、上掛けからはみ出したミュリエルの金髪を元の位置に戻してあげた。
そんなことをするのは初めてだったが、意外と違和感なく手が動いた。
そのまま穏やかに話しかける。
「お父様に寝ていなさいって言われたの? それとも自分で?」
上掛けの下からくぐもった声が返ってきた。
「……両方」
「ちょっと拗ねて病気のふりをしたら、お父様がずっと寝ていなさい、クリスティナを呼ぶから、と言った。そんなところかしら?」
ミュリエルはむっつりと黙り込んだ。
私はため息をついた。
「寂しいなら寂しいと、直接私に言いなさい。手紙でもなんでも方法はあるでしょう?」
ミュリエルは顔だけ出して叫んだ。
「寂しくなんかないわ! 本当にお腹が痛かったのよ」
とても張りのある声だ。私は苦笑する。
「その調子じゃ、もう治ったみたいね」
「まだよ! まだまだずっと痛いの!」
「じゃあ、苦い薬を飲まなくちゃ。煎じてあげるわ。一番苦いやつ」
「嫌よ! 薬嫌い!」
昔なら、「前回」なら、ミュリエルのこういう物言いに、私はいちいち腹が立ったり、苛々した。だけど、なぜか今は何とも思わない。
ただ、ミュリエルはとても子供なのだと、思った。
そして、一人なのだと。
私には、みんながいた。お母様が亡くなっても、お父様から顧みられなくても、お兄様がいて、トーマスがいて、ルシーンがいて、そしてイリルがいた。長じてからは、フレイア様とも友情を育めた。
だが、多分、ミュリエルには誰もいなかったのだ。
そう考えれば、ミュリエルも可哀想な子なのかもしれない。私のものを何もかも欲しがるのも無理はない——なんてことは、もちろん全然思わない。
それとこれは別だ。
私はぐいっと力を入れて、ミュリエルの上掛けをめくった。
「グダグダ言ってないで起きなさいよ! いつまで甘えているつもり!」
「ひどい! 何するのよ!」
ミュリエルは慌てて起き上がって、私から上掛けを取り返そうとする。
「お姉様の意地悪!」
「お見舞いに来たのに元気そうだから起きなさいって言っているの!」
「何それ! 意味わかんない!」
「病気なら薬飲みなさいよ」
「嫌よ! 苦いもの」
「じゃあ、起きなさい!」
「なんでそう極端なのよ!」
私は思わず笑った。それはいつも私がミュリエルに思っていたことだ。
「あなたの真似をしているだけよ?」
「意味わかんない!」
「元気なら一緒にお茶でも飲みましょう。お土産があるのよ」
「お土産?」
ミュリエルの動きが止まった。
「私からのと、お兄様の分も預かっているわ」
その目が好奇心で輝いた。
これなら、ゆっくり話ができそうだ。
私はマリーに視線でお茶の用意をするように命じる。マリーはさっと動き出そうとした。
ところが。
「おいおい、ミュリエルはまだ病気なんだよ。無理をさせてはいけないな」
「お父様」
父が、いつの間にか入り口に立っていてそう言ったのた。
——邪魔者とはこのことね。
思わず、淑女らしからぬ舌打ちが心の中で出た。
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