23、ウタツグミが羽を休めている

「帝国はどんなところなのですか?」


何となく、これ以上ミュリエルの話題を続けたくなくて、ドゥリスコル伯爵にそう聞いた。


「興味がありますか?」

「もちろんですわ。クジェ帝国と言えば、流行の中心でもありますもの。ねえ、ギャラハー伯爵夫人」

「ええ! 本当にそうですわ! 帝国で流行っているものは、常に社交界で話題ですもの」


イリルも自然に会話に加わる。


「ご婦人たちの熱意には負けるかもしれませんが、私もぜひ帝国のお話を伺いたいですね。気候や食べ物も全然違うとか」


深く頷いて、私は言った。


「クジェ帝国の冬は、カハル王国の春のように暖かいと聞きますが、本当ですか?」


カハル王国の冬は長い。

長いだけではない。

フレイア様の生まれ故郷、エルディーノ王国や、クジェ帝国に比べると、寒すぎるくらい寒いらしい。


ここにきて最初の冬をフレイア様は随分苦労して過ごしたそうだ。

帝国はどうなのだろう?

好奇心に満ちて、ドゥリスコル伯爵を見つめると、


「帝国は、そうですね……ここよりは暖かいですね」


ドゥリスコル伯爵は、赤い瞳を細めた。端正な顔立ちに柔らかさが加わる。

ギャラハー伯爵夫人は、そんなドゥリスコル伯爵の横顔をぽーっと見つめていた。その様子に少し違和感を覚える。夫人らしくないのだ。


——でも、そういうものかしら?


判断つきかねていると、


「ああそうだ」


と、ドゥリスコル伯爵が言った。


「そういえば最近、いや、もうかなり前になりますかね。帝都に大きな劇場が出来たんですよ。そこに音楽家や声楽家を呼んで、皇帝は毎日オペラ三昧です」

「まあ、素敵ね」


皇帝陛下ともあろう方がそんな暇があるのかしらと思ったけれど、ドゥリスコル伯爵がそう言うならそうなのだろう。

イリルが質問した。


「大聖堂ができたとも聞いていますが、やはり建築には工夫を凝らしているのですか?」

「そうね、私もぜひ聞きたいわ、アラナン」


帝都にそれはそれは見事な大聖堂が出来たとは噂で聞いていた。大聖堂に通うため、みんなとても信心深くなったとか。

ドゥリスコル伯爵はあいまいに笑う。


「私はとても不真面目なのでね。大聖堂の素晴らしさは語れません」

「まあ、アラナンったらご謙遜」


ギャラハー伯爵夫人は頬を染めて笑い、私は顔には出さずにがっかりした。


——残念。大聖堂のお話、聞きたかったわ。


カハル王国にはそれほどの、大聖堂はまだない。

そういえば、海の町、ペルラの修道院も冬がとても辛かったのを、思い出した。それでもさすが、修道女たちは文句も言わない。粗末な服と食事で楽しげに暮らしていた。だが、そこまで思い返して私は気付く。


——違う。これ、前回の記憶だわ。


今回の私はまだ、ペルラの修道院には行ったことがない。

気を付けなくちゃ。周りを混乱させてしまうわ。

気を引き締め直す。

と、ドゥリスコル伯爵は、唐突にギャラハー伯爵夫人の髪を一房触って言った。


「いつまでもお話ししていたいところだけど、ケイトリン、そろそろ戻らなくては」


人目を憚らないその仕草に、飛び上がるほど驚いた私だが、淑女のお辞儀をさっとした。


「それでは、私たちもこれで失礼します」

「またお会いできるのを楽しみにしてますよ」


しばらく歩いて振り返ると、二人の姿は見えなくなっていた。

ようやく小さく、息を吐く。


「ギャラハー伯爵夫人ってあんな方だったかしら?」


さっきから思っていたことを呟くと、イリルも頷いた。


「うーん、確かに夫人らしくないけど……でもまあ、恋してるのなら、そういうものかもしれない」

「そうね……」


そんなことを話していると、宮廷の中でも木々の多い散策道に入った。ウタツグミがクロハンノキで羽を休めているのが見える。


「僕たちも、少し休もうか」


イリルがハンカチを広げてくれたので、ベンチに腰を下ろした。

アカバナルリハコベが足元で花を開いていた。この花は少しでも曇れば花を閉じてしまうので、お天気を知るのにとてもいい。


——あら? ここ、もしかして。


私は不意に思い出した。


——さっきから、「前回」の記憶が鮮やかに出てくるけど、この近くに来たからかもしれない。


ここは、私にとってもイリルにとっても、思い出深い場所だった。

ただし、「前回」の。

黙って辺りを見回す私を、イリルは不思議そうな顔で見つめた。


「イリル」


その瞳を捕らえて、私は前置きなく言った。


「メイヴ様の最近のお加減はどう?」


巻き戻る前から、メイヴ様の話題は慎重にならなければいけないことのひとつだった。でも、この場所に助けられる形で、私はすっと聞いてしまった。


「クリスティナ?」


イリルが緑の瞳を見開いた。それを正面から覗き込んで、よく似ていると私は思う。

一度しかお会いしたことはないけど、その瞳も、赤銅色の髪も実母であるメイヴ様と、よく似ている。

         

メイヴ様は、側妃だ。

王妃のルイザ様がすでにレイナン王太子殿下を産んでいることからも、常に控えめに行動する方だった。

ゆえに、あまり表に出てこない。最近ではずっと体を悪くして、別邸にこもりきりになっているそうだ。


「余計な口出しをするつもりはないの。イリルも立場があるでしょうし、お見舞いにも行きにくいとは思うのだけど」


ルイザ様もレイナン様も、イリルのことを本当に可愛がっておられる。

レイナン様の補佐としても、イリルは重要視されていることは確かだ。


だから、私がそんなことを言うのは本当に差し出がましい。


だけど、控え目すぎるメイヴ様と、そんなメイヴ様をほとんど顔も見せにいかないイリルの、ぎこちない関係が私はずっと気になっていたのだ。


「前回」から。


出過ぎたことを言ってしまうのが怖くて、何も言えなかった前回の私がいるからこそ、今回は、あえて口を挟んだ。

なぜなら、メイヴ様は私たちの結婚を機に隠居してしまうからだ。

「前回」はそこまでしか知り得なかったけれど、おそらく、かなり体調がお悪いんじゃないだろうか。


「ねえ、イリル、本当にお節介なことだとは思うのだけど、会いたい人には、会えるうちに会った方がいいと思うの」


何があったのかはわからないが、前回、十七歳になった私にイリルが珍しく自嘲気味に言ったのだ。


——僕でいいのかな。淑女の鑑みたいに完璧なクリスティナの隣に立つのが。ただの第二王子なのに。


この場所で。

今よりもっと寒い季節だった。アカバナルリハコベは咲いていなかった。


イリルのそんな弱音は初めてだった。

私はイリルをそっと抱きしめ、第二王子とか淑女とか関係なく、イリルのことが好きだと耳元で囁いた。

大きな声で言えば、イリルが壊れてしまいそうに思えたのだ。

イリルはありがとう、と答えてくれた。

そこから私はイリルのことを名前で呼ぶようになった。

名前で呼ぶと、イリルのことが特別だと、イリルにわかってもらえるような気がして嬉しかった。

イリルが弱さを見せたのはそのときだけ。それ以外はいつもの屈託ない第二王子として振る舞っている。

どちらのイリルもイリルだ。


「イリル、私にとってイリルは昔も今も、ずっと大事な人よ」


もどかしい気持ちで私は言う。脈絡がないのはわかっている。


——前回はいつでも理路整然と話せたものだけど。


だけど、イリルは笑った。


「唐突すぎてよくわからないけれど、心配してくれているんだね、ありがとう」

「気持ちをうまく言葉にできなくて、ごめんなさい」


イリルは少し考えてから言った。


「以前の君も好きだったけど、今のうまく喋れない君の方が、なぜか距離を近く感じるよ」


なんだかそれはとても嬉しいことの気がして、なんとお礼を言おうか考えていたら、


「イリル様」


ブライアンがイリルを呼びに来たので、その日はそこで散策が終わってしまった。

そのときばかりは、ブライアンを恨めしい目で見てしまったかもしれない。

          

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