19、すべてそこにあって当たり前のもの

          ‡


アカデミーに戻ったシェイマスは宮廷の図書室に向かった。


「熱心だな、シェイマス」

「まだまだ未熟なもので」


顔見知りの騎士と、すれ違いざま軽口を叩く。

けれど、目的までは言えなかった。

文官の仕事ともアカデミーの課題とも関係ない、まったくの個人的な理由だったからだ。


「よし、誰もいないな」


入り口で辺りを見回してそう呟いた。


「うへえ、埃っぽい」


お目当ての本は、書庫のさらに奥にあった。


「オフラハーティ…オフラハーティ…あった」


分厚い『建国史』の本を手にしたシェイマスは、備え付けの椅子に座りページをめくる。


「カハル王国の四大公爵家のひとつ、オフラハーティ家は、王国が立ち上がるときに大いに尽くした家門だ……それだけ?」


このところずっとオフラハーティ家について調べていたシェイマスだが、なかなか望むものは見つけられなかった。

だけど、どこかほっとしている自分も感じていた。


「これで見れる範囲の本は全部探した」


もしかして自分は、どこにも「それ」が記載されていないことを確認したかっただけなのかもしれない。


「『特別な子供』なんてどこにも載ってないじゃないか」


書庫に本を戻しながら、シェイマスは小さく呟いた。


          ‡


由緒ある家門のオフラハーティ家は、他の公爵家に比べても所有地が一番広く、王家の信頼も厚かった。

特に大きな災害も遭わず、領民にとっても長い間、名君だった。


代を重ねるごとに、平穏が当たり前になり有り難みが薄れてしまったが、何も起こらなければ問題はない。


領主の顔など知らなくても、領民たちは平凡に過ごすことができればいい。


その領主、クリスティナの父であり、オフラハーティ家の現当主である、オーウィン・ティアニー・オフラハーティは、この家門に生まれたことに、いちども感謝したことがなかった。


すべてがそこにあって当たり前のものだったからだ。


同じように自分の命令は誰もが率先して聞くのが当たり前であり、自分が欲しいものは誰かが喜んで与えるのが当たり前だと思っていた。


オーウィンの父、ウィクリフも、同じ考えの持ち主だった。だから、オーウィンは、何一つ咎められることなく好き放題して生きてきた。


——生まれながらに力があるとはそういうことだ、と。


しかし。

いくら力がある家門でも、現状維持の努力さえしなければ、徐々に、本当にゆっくりと、傾いてくる。

誰もわからない程度の変化から、ゆっくりと。


オフラハーティ公爵家の名産は、淡水魚の養殖業だった。

領地を流れる川を利用する。広大な領地があってこそ、出来ることだ。


内陸部でも魚が食せるとあって、需要は尽きなかった。

しかし、管理が杜撰なことから、採れ高が以前ほどではなくなってきた。

それでも、まだ生活が一変することはなかった。

だからオーウィンは気にしなかった。


昨日まで大丈夫だったのだから、今日も大丈夫だろう。

そう思っていたのだ。


大体、領地だけにかまけていられない。

宮廷でも重要な任務があるのだ。

外交もするし、賢人会議にも出席しなくてはならない。


領地など誰かに任せておけばなんとかなるだろう。


そんなふうに思うオーウィンは、女性に関してもだらしなかった。


金髪で青い瞳のオーウィンは、整った顔立ちをしていた。そこに公爵家の肩書きが付けば、どこにいってもオーウィンの周りに人が集まってくる。

結婚するまではそれなりに火遊びも楽しんだ。


だが二十四歳のときに、オキャラン伯爵家令嬢であるアルバニーナ・ユイト・オキャランと突然婚約した。

もちろん、政略結婚だ。


一族の中に聖職者を出すことの多い、オキャラン家は、堅苦しい家風なのか、口うるさかった。


アルバニーナも例外ではなく、まだ結婚していない、婚約中なだけなのに、女遊びを控えるよう申し立ててきた。


自分に命令するなんて生意気だと思ったオーウィンは、わざと、アルバニーナに仕えるメイドに手を出した。

それが、エヴァ、ミュリエルの母だ。エヴァは平民出身とは思えない、美しい外見をしていた。

貴族ではないところも新鮮だった。

のめり込んだオーウィンはエヴァとの関係を持ったまま、アルバニーナと結婚した。


オーウィン二十七歳。

エヴァとアルバニーナは、十九歳だった。


さすがに同じ屋敷に暮らすようになってからは、オーウィンも慎んだ。

エヴァにはいつか正妻にしてやるから、今はおとなしくしているように言い聞かせた。


そんなことも知らないアルバニーナは、間もなく長男シェイマスを出産、二年後には長女クリスティナを産んだ。


クリスティナが生まれるとき、オーウィンは密かに期待した。

オフラハーティ家の特別な加護が、女児に現れるときがあると父から聞いていたのだ。


だけど、クリスティナはアルバニーナとそっくりな容姿の、普通の子供だった。


オーウィンはあからさまにがっかりした。

悔しいからアルバニーナを遠ざけ、今まで以上にエヴァに愛を囁いた。


あまりにあからさまだったため、ついにアルバニーナの知るところになり、エヴァは自ら身を引いたーーように見せかけた。オキャラン伯爵家の手前。


実際は、エヴァはオーウィンが用意した別宅で暮らした。


そして、クリスティナが生まれた二年後、ミュリエルが生まれる。


ミュリエルは自分によく似た容姿の、「特別な子供」だった。


「やったぞ、エヴァ、でかした」

「……アルバニーナ様にできないことを、しましたか?」

「ああ! もちろんだ!」


エヴァは聖母のように微笑んだ。

オーウィンが覚えている限り、一番美しいエヴァの姿だった。

そしてオーウィンのエヴァへの関心も、それが頂点だった。


ミュリエルが産まれた四年後に、アルバニーナが亡くなったが、オーウィンはエヴァを迎えにいかなかった。


その六年後、日陰の身のまま、エヴァも亡くなった。

すると、オーウィンは、いそいそとミュリエルを引き取った。


「特別な子供」であることは隠していたので、とにかく可愛がるように、シェイマスとクリスティナに言い聞かせた。


その甲斐あって、ミュリエルは日に日に美しく、聡明に育った。

はずだった。


          ‡


「お父様! ずるいですわ! 私も宮廷に行きたいです!」


クリスティナがいなくなってから、ミュリエルのわがままの矛先はオーウィンに向いた。


「駄目だって言っているだろう」


すでに打診したのだが、断れられたのだ。今はクリスティナだけで十分だと。

だが、ミュリエルはそんなことでは納得しない。


「ずるいですわ! お姉様ばっかり! お父様は私を大事にしてくださいませんの?」


改めて観察すると、ミュリエルはまだまだマナーがなっていない。

これでは、とても宮廷には出せないとオーウィンは思う。

こんなに根気がなくわがままだとは、エヴァに似たのに違いない。


「お父様! 無視しないで。聞いて! 聞いて! 聞いて!」


クリスティナがいた頃は、ミュリエルのことはクリスティナに任せておけばよかった。

クリスティナがいない今、使用人たちに避けられたミュリエルは、オーウィンのところに来るしかない。


「うるさい! 黙れ!」


オーウィンはミュリエルを怒鳴るしかなかった。

けれど。


「ひどぉい!! お父様! ひどぉい!」


シェイマスやクリスティナなら、それで黙るのに、この末の娘はさらにうるさく言い募るのだ。

オーウィンは頭が痛むのを感じた。


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