18、あっさり手のひらを返した

          ‡


一週間も必要なかった。

聞いているこちらが恥ずかしくなるぐらい、父はあっさり態度を変えた。


「まあ、宮廷でお仕えするのも悪いことではないかもしれないな」


王太子妃殿下が、私を強く希望してくださったからだ。父の外面のよさを見越して、お兄様に根回しをお願いした結果だった。

この人はいつもこうだ。権威が大好きなのだ。だから自分より大きな権威に対しては逆らわないし、自分の権威も心置きなく振りかざす。


——手のひらを返すとはこのことね。


私が内心苦く笑っているのを知りもせず、父は言う。


「王太子妃殿下も他国から嫁いで来たばかりで、寂しいのだろう。話し相手になるのも悪いことではないかもしれないな」


王太子妃殿下がこちらへ来たのは一年以上前なのだけど、もちろんそんなことは言わずに私はお辞儀をした。


「公爵家の名に恥じぬよう精一杯努めます」

「がんばりなさい」



そのお兄様は、一足先にアカデミーに戻ってしまった。父は留守だったので、私と使用人たちで見送った。


「本当に、いろいろありがとうございます」


アカデミーの制服に身を包んだお兄様は、なんだかとても凛々しかった。


「向こうで会うこともあるだろうけど、とにかく無理はするなよ」

「はい。お兄様も」


馬車の前でそんな話をしていたら、ミュリエルが駆けてきた。


「お兄様! よかった、間に合って」


ミュリエルははあはあと息を切らしながら、ハンカチを差し出す。


「これ、使ってくださいませ! 徹夜で刺しましたの」


見ると、オフラハーティ家の紋章が見事に刺繍されていた。

私もお兄様も目を丸くする。


「すごいな!」

「まあ、本当、とても上手よ」


ミュリエルは目を潤ませて、お兄様を見上げる。


「私、こんなことしかできなくて……お兄様、また帰ってきてくださいね」


お兄様はありがとう、と微笑んだ。

そしてアカデミーに戻っていった。

私たちは馬車が小さくなるまで、お兄様を見送った。




「それではみんな、持ち場にもどるように」


トーマスがそう声をかけて、それぞれが動き出した。

私も荷造りの最終点検を行おうと部屋に向かいかけたら、


「お姉様、聞きたいことがあるんですけど」


いつの間にかそばに来ていたミュリエルが、先程とは別人のようなイライラした声でそう言った。


「なにかしら?」

「家を出るって本当なの?」

「ああ、そのことね」


私は頷く。

万が一邪魔されると困るので、ミュリエルにはギリギリまで言わずにいたのだ。


「本当よ。王太子妃殿下のお話相手として宮廷に行くの」

「ひどい!」


ミュリエルは、間髪いれず私を批難した。


「なにがひどいの?」

「宮廷で贅沢するんでしょう?! ずるい! お姉様ばかり」


そこはきちんと否定する。


「贅沢なんてしません。お話し相手になるだけよ。妃殿下にも失礼な発言ですから、おやめなさい」


ミュリエルはぷっと膨れた。


「そうやって私のこと馬鹿にしてるんでしょう。平民出身でなにも知らないからって」

「話すのが遅くなったのは悪かったけれど、その理由は違うわ」

「いいえ! きっとそうなのよ! お姉様はいつもそうやって私を馬鹿にするの! ひどい、ひどいわ」


ミュリエルと話していると、話の主題ずれていくことがよくあった。

父もそうだ。見た目が似ているこの二人は、しゃべり方まで似ているのだろうか。


「ミュリエル」


これ以上話を横道にそらさないために、真剣な顔でミュリエルを見つめた。


「よく聞いて。馬鹿になんてしていない」

「ひどぉい……」

「どうしてひどいの?」

「お姉様、意地悪だもの。慰めてくれない」


いつもなら、ここで言葉を尽くして説明するのだけど、ふと、思い付いたことを言ってみた。


「寂しいの?」


ミュリエルは口をぽかんと開けた。そして——。


「あっはっはっは! なにそれ」


大笑いした。


「そんなことあるわけないじゃない」


強がっている様子もなかったので、私は話を切り上げる。


「じゃあ、別にいいでしょ? 悪いけどもう行くわね。することがたくさんあるの」


けれと、ミュリエルは、私の前に立って両手を広げた。


「駄目よ! 行かせない」 

「なぜ?」

「お姉様がそんな勝手なことするからよ。私許してないもの」

「いいのよ別に。許してもらわなくても、私のすることは私が決めるから」

「なにそれ! なにそれ! ずるい! 私は特別な子なのよ?! 特別に扱ってよ」


もう扱ってもらってるじゃない、とはわざと言わなかった。


——ほんと、性格が悪いわね、私。


言いたくなかったのだ。

わざわざ、言葉で認めるようなこと。


「待たせたわね、行きましょう」


私は離れたところで待っていたルシーンたちに声をかけ、部屋に戻った。


         ‡



「クリスティナ・リアナック・オフラハーティです。至らないところもございますが、どうぞよろしくお願い申し上げます」


出仕初日。

カハル王国の王太子殿下と王太子妃殿下の前で、あらためてそう挨拶した。


「そんなにかしこまらなくていいわよ、クリスティナ」


そう笑うのは妃殿下であるフレイア様。


「クリスティナが来てくれて助かるよ。フレイアのいい話し相手になってくれ」


イリルのお兄様でもある王太子殿下、レイナン様も頷く。


「本当よ。来てくれて嬉しいわ、クリスティナ」

「もったいないお言葉です」


友好国のエルディーノ王国の王女様だったフレイア様とは、王子妃教育で宮廷に来る度に親しくさせていただいた。

私と二歳しか違わないのに、すでに未来の王妃様の貫禄があった。


「そうだ、クリスティナ、明日お出かけしましょう!」


でも、子供みたいに突然無邪気にそんなことを言ったりもする。


「お出かけですか? 明日?」

「ええ! 一緒におめかしして観劇でもしたいわ! いいでしょ? レイナン」


王太子殿下は優しく笑う。


「わかってるくせに。クリスティナを理由にしても、突然そんなことは無理だよ。何人警備を動かさなきゃいけないか」


フレイア様はおとなしく引き下がる。が。


「わかりました……じゃあ、クリスティナにドレスをプレゼントしていい?」


レイナン様は苦笑いする。


「最初からそれが目的だったね? そう言えばいいのに」

「観劇もしたいのよ。計画してね」

「わかったよ」


私は、そこでやっと口を挟んだ。


「あの、私のドレスですか? いくつか持ってきておりますが」


一応公爵令嬢として、ドレスなら持っている。しかしフレイア様は首を振る。


「だって、クリスティナ、あなたいつも地味なドレスじゃない?」

「フレイア、失礼だよ」

「違うのよ、レイナン。クリスティナは美人でスタイルもいいから、どんなドレスも着こなせているのわ。でも、もっと似合うデザインがあるはずなのよ。オフラハーティ公爵は、ご自分は洒落た上衣をいつも着てるのに、ご令嬢には保守的なデザインばかり着せるのねって思ってたの」

「鋭いですね……」


その通りだった。

「前回」も今回も、父は流行に則ったようなドレスをひどく嫌がり、野暮ったいくらいのものを私に勧める。


「地味なドレスが必要なときもあるけど、メリハリも大事だわ。ついでに髪型も少し変えて、お洒落を楽しみましょう」


フレイア様は嬉しそうに手を合わせた。


「私以上にフレイア様が楽しんでくださっている気がします」

「役得よ」


私は少し笑ってから、お辞儀をした。


「ぜひお願いします」


率直に言って、わくわくした。

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