12、こんなことは「前回」はなかった

ミュリエルの涙が止まった。


「は? 何それ」


好戦的な目付きで私を見る。


——あらあら、そんなすぐに顔に出しちゃ駄目よ。


内心で諌めながらも、私は握った手を離さない。


「わかるわ、ミュリエル、あなた、不安なのね。でも大丈夫よ、私の真似をしなくても、あなたはあなたで可愛らしいから」


——ああ、私ったら本当に性格悪いわ。


「——素晴らしいわ、クリスティナ様」


案の定、そんな声が飛んできて、私は驚いたような演技で声の主を見る。

社交界の花と呼ばれるケイトリン・ギャラハー伯爵夫人が私に向かって微笑んでいた。


「ギャラハー伯爵夫人、失礼いたしました。お見苦しいところをお見せしましたわ」

「いいえ、私、感動しましたの。クリスティナ様は本当にお優しい方ね」


そんな、と困惑したふりをする私にミュリエルがいち早く体勢を立て直す。


「お姉様……困らせてごめんなさい」


この切り替えの良さは長所かもしれない。ミュリエルは天使のように微笑んだ。


「私、着替えて参りますわ」


私も負けじと微笑む。


「いい子ね、じゃあ誰か人を」

「いえ、一人でいけます。パーティーの邪魔をして申し訳ありませんでした」


形勢が悪くなったと察したのか、あれほどドレスにこだわっていたミュリエルは、あっさりと出て行った。


「重ねて失礼しました」


私はギャラハー伯爵夫人に向き直る。ギャラハー伯爵夫人は首を振った。


「いいえ、お気になさらないで。姉妹の仲が良さそうで結構だわ」


どこをどう見たらそうなるのかと思うが、私は黙ることで肯定した。

社交界の花であるギャラハー伯爵夫人は、社交界を取り仕切る情報通でもある。逆らうと面倒くさいことになるので曖昧に笑っていると、音楽が始まった。


「クリスティナ、踊らないか」


お兄様が出してくれた助け船に、全力で乗る。


「お願いしますわ」


幼い頃から練習相手として、お互いの踊りに慣れている二人だ。体が勝手に動く。

おかげで考え事がはかどった。


——そもそも、お父様は何をしているのよ? あれだけミュリエルのことを可愛がっておきながら、こういうときは知らんぷりなのね。


どうせ、自分が桃色の上着にするのが嫌で、ミュリエルのドレス作りを許したのだ。


——自分のことしか考えていないものね。


父は外面だけはいい。つまりずる賢いのだ。

そしてそれは宮廷で存分に活かされているらしい。表向きの父の評判は悪くなかった。


——でも、家族は部下じゃないわ。


ダンスが終わるとまた、人に囲まれた。

挨拶に次ぐ挨拶、お祝いの言葉にそのお礼、初めて会う人の紹介。

それらをこなしながら、私はふと思う。


「遅いわ」


ミュリエルが戻ってこないのだ。お兄様も頷く。


「ああ、僕も気になっていた」

「私、見てきます」

「クリスティナは主役だろ。僕が行くよ」


だが、この場を離れたかった私は、


「女性しかいけない場所もありますから」


と、半ば強引にそこを離れた。


——気に入るまで、何度も着替え直しているのかしら。


オフラハーティ家の広大な敷地がこんなときは仇になる。王都では、宮廷の次に広いと言われているくらいだ。どこにいくのも時間がかかる。


「ここじゃないのね」


ミュリエルは、自室にはいなかった。

私は外の空気を吸うついでに中庭を通る。すると、数人の令嬢たちがパーティーにも出ず、つる薔薇のアーチの下に集まっているのを見かけた。


——何をしているのかしら。


私はそっと近付いた。

と、ミュリエルのイライラとした声が飛んでくる。


「だから、何が言いたいの?!」


びっくりしてさらに近付くと、桃色のドレスに着替えたミュリエルを、令嬢たち三人が取り囲んでいた。


「平民のくせに、生意気なことはやめなさいってことよ」


一人が言う。


「あなたたちには関係ないでしょ」

「クリスティナ様が困ってらしたじゃない」


ミュリエルはムッとした顔をする。


「お姉様のさしがね? お上品な顔してやり方が汚いわ」


別の令嬢がせせら笑う。


「下品な人には理解できないのね」

「なんですって?」

「だってそうでしょう? 平民だもの。たまたま母親が死んだからここに引き取られたんだじゃない」


こんなことは「前回」はなかった。

美しいミュリエルをギャラハー伯爵夫人は可愛がったし、ミュリエルに手出しをする令嬢なんてひとりもいなかった。それがますます彼女を我儘にした。


あ、もしかして。


そこで私は思い当たる。


——ズレてきている?


好ましいことなのかわからないが、「前回」と変わってきているのは確かだ。


「クリスティナ様はお優しい方だから、代わりに言ってあげるわ。あなたもあなたの母親も、公爵家に相応しくないの。あなたの母親が捨てられたように、いつかあなたも捨てられるわ」


驚いたことにミュリエルは、そのことについては何も言い返さなかった。


——どうして黙っているのよ?


「前回」も今も、私はミュリエルが大嫌いだ。恐ろしいくらいに私のものを何でも欲しがる妹を、好きな姉なんて多分いない。なのに私は。

気づけば、アーチの下に飛び出していった。


「あなたたち! なにをしているの!」

「え? クリスティナ様?」

「どうしてここに?」


令嬢たちは突然私が現れたことに驚いた様子だった。

何を勘違いしたのか、誇らしげに報告する。


「私たち、代わりにミュリエルさんに教えてあげていたんです」

「貴族の礼儀を」

「頼んでないわ」

「え」


私はあっさり切り捨てる。


「勘違いしているようだけど、ミュリエルもれっきとした公爵家の人間です」


ミュリエルまで目を丸くしてるのには、なぜか腹が立った。

私だって放っておきたかったんだから! 勝手に体と口が動いてしまうのよ!


——君が淑女の鑑を止めるのは無理じゃない?


イリルの声が頭の中で蘇る。

だけどこんなこと、許せない。


「よくも私の妹に、嘘ばっかり言ってくれたものね」


こんなことしてたらますますミュリエルを調子づかせてしまうだろうと思いながら、私の口は止まらなかった。


「ミュリエルを捨てるなんてありえないわ! 二度とそんなこと言わないで!」


          ‡


同じ頃。

そんなことが起こっていると想像もしていない、イリル第二王子は、


「これはなんだ?」


ドーンフォルトとの国境近くの村で、奇妙なものを見つけて首をひねっていた。


「お墓、かな?」

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