第28話 今日も明日も明後日も大好き

「絵里香ちゃん、がんばったなあ」


 お父さんと美奈子さんを見送って店に戻ると、おばあちゃんと五島さんが待っていてくれた。

 ふたりの笑顔を見ると、安心して肩の力が抜けた。

 ちゃんとしたいと思ってたけど、ずっと逃げてた。

 お店にくる天音ちゃんや典久くん、それにおばあちゃんや五島さんに勇気を貰わないと、言葉の棘を抜くことはできなかった気がする。

 お父さんから言われたあの一言は、ずっと私の中に刺さっていたから。


 夜になり、三人で五島さんが作ってくれた晩御飯を食べた。

 おばあちゃんは、お風呂に入り寝室に向かった。

 私は食後の片づけくらいは手伝いたくて、最近は一緒にお茶碗を洗っている。

 茶碗を片付け終え、お茶の準備をしていたら視線を感じた。

 横をみると五島さんがまっすぐ私を見ていた。


「好きな人と紹介してくれて嬉しかった」

「!! あ、はい。えっと……それ以外に言葉が見つからなくて……」

 

 私がそういうと、五島さんは「おいで」と小さく言って私を引き寄せた。

 私は身を任せる。


 五島さんの身体は、肩幅が広くてそこに頭を預けると安心する。

 私の身体は、五島さんのなかにすっぽりと、少しもはみ出すことなく収まる。

 ここにいれば大丈夫だと自然と思える場所。

 うっとりと頭を預けていると、ヒヤリと氷が触れた。

 それはさっきまでお皿を洗っていた五島さんの指先だった。

 私の顎にヒヤリと触れた氷が次第に熱を持ち、私の一部になる。

 指先に繋がれるように顎を引き寄せられた。

 近づいてきた五島さんの真黒な目がゆっくり閉じて……私も目を閉じた。


 引き寄せる強い指先とは対照的に、そこにいるのを確かめるように、優しく唇がおりてきて重ねられた。


 ついばむように、触れるように、優しく。


 やがて指先が肩に移動して、強く引き寄せられる。

 そして唇は、雨音のように静かな音をたてて離れた。

 少しだけ目を開くと、五島さんは優しく目を細めて私を見て口を開いた。


「絵里香」

「!!」


 名まえで呼ばれて指の先まで血が送られたみたいにビクンとなる。

 好きな人に呼ばれる名前って……どうしてこんなに特別なんだろう。

 同じ名前なのに、どうして違うものになってしまうんだろう。

 もじもじする私の顔を覗き込んで五島さんは続けた。


「絵里香、結婚して。ずっとここにいて」

「!!」


 その言葉が嬉しくて、ねじられて苦しい胸から言葉をひねり出す。


「私も、ななな、な、尚人さんと、結婚して、ずっとこうしていたい、です」

「!! お前……うん……悪くない」


 尚人さんから私のことを名前で呼んだのに、私が名前で呼ぶと驚くほど動揺して……可愛い。

 私は尚人さんの胸元の服を引っ張って目を閉じた。

 尚人さんは私の背中に手を回して強く抱きしめて、そのまま再び唇を重ねた。

 何度も、何度も……。

 そして私を抱きしめたまま口を開いた。


「さて……と。恋人として絵里香のお部屋にお邪魔しようかな」

「……来週。いえ、月末、または来月のご予約をお願いします」


 さっきの甘さはどこへやら。

 私は急に現実に引き戻されて、胸もとから離れようとモゴモゴ暴れた。

 でも尚人さんは私をまったく離さない。


 でも無理です!!


 私の部屋は今、二百本のVHSと五百冊の漫画、同人誌の在庫が段ボールで六箱、そして段ボールがあるから良いか~とそのままにしていた丈があってないカーテンがぶら下がっている。

 その段ボールに頭を隠すようにして眠っている……なんというか普通に魔境だ。

 なんなら荷物が多くて布団はまっすぐにひけていない。隙間で眠っている。

 広げればベッドになるソファーを買ったが一度も広げたことがない。

 あの部屋に尚人さんが入るなんて、ないない。

 私が静かに首をふると尚人さんは奥の部屋から袋に入った何かを持ってきた。

 出してみると、


「カーテン!!」

「渡そうと思ってずっと忘れてた。お前なあ、俺はずっと気になってたんだよ。表の道路からお前の部屋を見ると、カーテンの丈があってねーじゃねーか。あげく下に段ボールが見えてる」

「ひえ!」

「持って行った棚に何も入れてないのか」

「通販の段ボールが数個ねじこまれてます……」

「なんでだよ! どうせ引っ越したままVHSも片付けてないんだろ」

「はい……すいません」


 シュンとする私に尚人さんの顔が近づいてきてキスされた。


「同僚じゃない。恋人として部屋に入れるのが嬉しいんだ」


 その言葉が嬉しくて私はしがみ付いた。

 そしてそのまま顔を上げる。


「……でもほんとすごいんですけど……」

「容易に想像がつく。棚入れた時と変わってないんだろ、まったくお前は」


 尚人さんは私を抱きしめたまま椅子に座った。

 私は尚人さんの上に座るような状態で話す。


「だって! お店に来たら尚人さんに会えて、おばあちゃんも居て、お店が大好きで、映画も大好きで、このお店が、この台所が、大好きなんです。だからずっと物置だったんです」

「うん。でもさあ、さすがに俺もばあちゃんが寝ているこの家で絵里香を抱けないよ」

「!!」

「でも絵里香の部屋なら抱ける。はやく絵里香を甘やかしたい、もっと色んな表情を見たいんだ」

「!! ……は、い」

「それなのに、まずは部屋の片づけか」

「すいません……」


 尚人さんはシュンとする私の頬にやさしくキスをしてくれた。

 うう、恥ずかしいけど一人だと永遠にやらないことは分かっていた。


 意を決して尚人さんを部屋に入れたら……やっぱりあまりの惨状にめちゃくちゃ怒られたし笑われた。

 でも始めてみたら、さすがお店用に買った棚。VHS用がぴっちり入って良い感じだし、本もかなり入った。

 同人誌の在庫は段ボールはもうそのまま置くしかないけど、それでも部屋は綺麗に片付いた。

 わあ、人間の部屋になった。ソファーがベッドに変身できそう!

 尚人さんは頭にまいたタオルを取り、ソファーに腰かけた。


「はあ。疲れた」

「あ、もう無いと思ってた在庫を発掘! 長崎に送らないと」

「ったく、整頓しろよ」

「まだ何か出てきそう……お、これは何だ?」

 モゾモゾと探し物を始めたら、尚人さんが私を呼んだ。

「絵里香おいで」

「はいっ!!」


 呼ばれると抱っこしてほしくなり、トコトコと膝をついて向かった。

 すると尚人さんは私を太ももの上にのせた。

 そして私の頭からもタオルを取って、髪の毛を優しく撫でて……ゆっくりと唇を重ねた。

 尚人さんとするキスは……優しくて気持ちが良い。

 尚人さんは私の背中を優しく撫でて口を開いた。


「さて。汗かいたし一緒にお風呂入るか」


 その言葉に私は、ついにこれを伝える時がきたかと尚人さんの胸元の服を掴んだ。


「あの! 私、実は今まで彼氏がいたことがなくて……あの……尚人さんが、全部、はじめてです。だから一緒にお風呂とか、死んじゃいます!!」

「……すまん。俺、旅行で……絵里香の鎖骨かじったな……」

「そうですよ!! もう突然あんなの!! 五島さんと私は違うんですから!!」


 慌てていつも通り『五島さん』と呼ぶと、顔を近づてきて優しくキスをしてきた。


「尚人」

「はい……尚人……さん。尚人さんみたいに……慣れてないから、無理です」


 私がそういうと尚人さんは私を優しく抱き寄せて、


「俺は、自分からこんなに好きになったのは初めてだ。早く抱きたくて、部屋の掃除なんて自分でもがっつきすぎだろと思う」

「いいえ! あの、うれしいです」

「そっか。じゃあ、一緒に入るのは今度の楽しみにしよう」

「!! ……お、て、やわらかに、お願いします」

「ヤダ」

「またこの流れですかーーー!!」


 笑いながら尚人さんは私の頭を撫でてくれた。

 お部屋にきてくれたのに、掃除させてしまう駄目ぶりなのに尚人さんは優しい、情けない。

 でも……! 私は横に正座をして尚人さんの頬を包む。


「あの、私、尚人さんに甘えっぱなしだし、全然だめですけど、これからはちゃんとして! 尚人さんを、すっごく幸せにしますから!」

「!! なんだよそれ、根拠なさすぎだろ! ……くそ、すげー嬉しいわ」


 尚人さんは私の言葉に思いっきり笑って、優しく抱き寄せてくれた。

 尚人さんが大好きで、大好きで仕方がない。

 これから毎日、こんな風に暮らせるなんて嬉しくて仕方がない。





 数日後。

 尚人さんと出勤していたら、天音ちゃんが制服を着た状態で大きな道で信号待ちをしていた。

 私は駆け寄る。そうか、もう九月で学校が始まってるのか。

 

「おはよう、天音ちゃん」

「絵里香さん、おはよう。私ね、最近特別室登校始めたの。そういうお部屋があるんだって。そこからなら始められそう」

「そっか、また一緒にワイファイジャー見ようね。お店にいるからいつでも来てね」

「はい、また行きます」


 そう笑う天音ちゃんの前の信号が青になった。

 そして羽ばたくように、ゆっくりと足を前に出して、赤信号が横たわっていた道を歩き始めた。

  

「行くぞ」


 後ろで見守っていてくれた尚人さんが私の手を握って口を開く。


「ばあちゃんが、私が死ぬまえに結婚式しろって言ってるんだけど、どうする?」

「おばあちゃん、この前の健康診断めちゃくちゃ数値良かったような……。でも結婚式するなら! 【血の絆 ラストゲーム】で高見さんが日本刀振り回したホテルで結婚式したいです!」

「それ縁起的に大丈夫なのか?」

「おばあちゃんきっと喜びますよー!」

「もう俺は、絵里香とばあちゃんが喜ぶならなんでもいいよ」


 そう言って尚人さんは爆笑した。

 私たちはふたりで歩き出した。

 今日も明日も明後日も、私は私のまま、この町でこの人と生きていきたい。

 そう決めたんだ。



(終わり)


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最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

楽しんで頂けたか気になるので、☆をポチリと押して評価して頂けると嬉しいです。

感想もお待ちしております。


また絵里香ちゃんも出ている『オタク同僚と偽装結婚した結果、毎日がメッチャ楽しいんだけど!』が電撃文庫の新文芸から6/17に発売されました。

コミカライズも決定しています。

たくさん書き下ろして頑張ったので、読んで頂けるとうれしいです。

よろしくお願いします。



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