アポカリプス

木野原 佳代子

第1話


アポカリプス(黙示)

神が選ばれた預言者へ与えた「秘密の暴露」またはそれらを記した書





 21世紀初め、突如として世界各地に疫病や不治の病が起こり、それらは治療法も特効薬も見つからないまま、世界に蔓延していった。

 有史以来、哲学諸分野の細分化に伴い、医学、科学技術等は其々の専門をもって発展を続けていてが、世界各地の緊急事態を受け学際的に研究の道を歩み始めた。数世紀が過ぎた頃には科学医療の飛躍的な進歩により、極端に病死という死が少数になっていた。


 世界は国という概念を無くし、「地球市民」つまり「コスモポリタン」として再出発を果たしていた。

 人々は自由に移動することができ、自由に定住する場所を決めることが出来た。故に政府という概念は無く、「コスモポリタン最高議会」という協議会が設けられているのみである。そのメンバーは地球市民の知るところではあるものの、その姿を実際に見たものはいないとされる。おそらく特別保護区に居住区がありそこで生活しているのであろうというのが地球市民の認識であった。

 また地域としての主要都市はポリスとして以前と同じように人口密度の高さを保ったまま人々は暮らしていた。人口の過疎化した都市は緑化推進のため、建物を壊し平地に戻し、人口の集中している都市は、ある一定の数値を超えると、上下に生活スペースを広げた。街の中心に高層の建物を置き、その周りに同心円状にいくつもの円盤状のエリアが光を遮らないように重ねられ、交通機関を上下左右に展開し、その周辺に居住区や医療施設、商業施設が設けられた。

 過去に人類達が思い描いていた未来の姿通りの都市がそこにはあった。


 大型の主要都市は5つ設けられ、「メガポリス」「プセノポリス」「アクロポリス」「ミクロポリス」「メテロポリス」と呼ばれた。

 北半球、主要都市の一つメガポリスから北へ5マイルほどの場所にガラテアという街があった。その中心には医療施設「アポカリプス」があり、ガラテアの街はアポカリプスを中心に栄えていた。

「アポカリプス」の存在意義は全コスモポリタンの統括的な幸せにあり、その機関は第三セクターに所属し、コスモポリタン最高議会のメンバーの数人と民間の医事企業との合同経営であった。




 「悪性腫瘍」いわゆる癌と呼ばれるものは、遺伝子に何らかの原因で細かな傷がつき、細胞分裂の際に正常にDNAが転写されず、故に脳のオーダーを聞かずに、自己増殖を異常に続けてしまう異常細胞の事をいう。またその際に正常な細胞が必要な栄養分を奪い死に至らしめるため、それは個体の死を引き起こす。

 故に不治の病とされていたが、とある研究者がDNAの異常を正常なデータに書き換える特異細胞:re細胞を考え出したのである。

(re細胞は母体内と同じ溶質、濃度の陽水の中にて栽培可能である。本人の細胞を取り出し、初期化データ「死と再生のプログラム」を加える。初期化完了後、re細胞となる)

 それを体内に戻すと、Re細胞は体内の異常細胞のデータの書き換えを始める。



 それが、コードリライトである。


 

 人類は何度もコードリライトを試し、通常の治療ならばもう少し長く生きられたであろう被験者を多く見送り、やはり机上の空論でしかないのかと、世界が諦め始めたその時、ある少女がコードリライトに成功したのだ。その後も何度もコードリライトを繰り返したが、その少女以外にコードリライトに成功した人間は現れなかった。

 人類は絶望の縁に立たされつつあった。偶然の産物でしか無かったのかと。研究チームにも医療チームにも、そうした虚空の中を当てもなく虚無感を抱えながら歩いている様な毎日をもがいていたある日、一人の医師がコードリライトに成功した少女のDNAを初期化プログラムに複写したのである。そうして出来たRe細胞を体内に戻された患者は、コードリライトに成功したのである。



     『最初の少女のDNA』



 人類が追い求めて来た不老不死。それに一歩近づくために必要なのは、科学技術や医学と共にソレであった。

「100匹目のサル理論」と呼ばれるもの。

 進化の途中で、それまで芋を洗うことを知らなかったサルが、集団の中で最初のサルが行うと、その集団にいる他のサルも芋を洗うようになる。だが、他の集団では未だその作業を知らない。が、芋を洗う事を覚えたサルが100匹目に到達すると、それは何らかの遺伝情報を発して、遠く離れた集団でも自発的に芋を洗うようになるという理論である。

 比較的発展を遂げた20世紀においてもその理論の本随は解明されず、とある生物学者が唱えた架空の理論に過ぎないと見られていたが、実際には100匹目に到達するという事はソレが「発現」するという事なのであった。

 人類には確かにその理論が必要だったのだ。

 


 その最初の少女の名をフリュギレとして以来、フリュギレはコスモポリタンの女神の名となった。





2月某日 午前10時


 巨大医療施設アポカリプス内の警報機がけたたましく鳴った。

 医療棟第1ステーションでは医師であり副院長のイアンは診察中であったが、驚きと不安の表情を浮かべる患者に向かい、安心させるように微笑んだ。

「大丈夫ですよ」

 研究棟では研究員や作業員達が慌ただしく動いている。二人の医師は研究棟第1セクションから地下通路を通り、虹彩認証と腕につけられたブレスレット型コード認証機(ブレスリング)を使い、医療棟第4ステーションへ出ると、険しい表情のまま、だが決して院内は走らず院長室を目指す。

 院長室では、院長の渡邉佐保子がデスクの上に映し出されたモニターを確認していた。ノック音がすると、佐保子の返事を待たずにドアが開く。慌てた様子で入ってきたのは白石医師とジョディ医師であった。

「院長、緊急事態です。あるものが盗まれました」

 佐保子は二人を一瞥した。

「『何を』かは聞きたくないわね」

「『DNA』です」






 マリア・ルピーはその日、退院の為に準備をしていた。茶褐色の肌にクセの強い細かなウェーブの黒髪はマリアが東南亜熱帯の旧区の血をルーツに持つことがわかる。半年前に突如病気を発症し、医療機関で診察を受けたところ、コードリライトの治療を受ける事になりアポカリプスへ入院していた。その際、家族達はガラテア第4区に住居を用意してもらい、マリアもアポカリプスを出たのち、そこで暮らす事になっていた。

 ガラテアの街にはいくつか居住区があり、区分けされている。その中の第4区はアポカリプスで治療を受けた人達の為の居住区であった。保育施設や教育機関、常にアポカリプスと連携が取れる簡易病院もあり経過観察も兼ねていた。マリアも2週間ほど通常の生活を送り、問題無いと判断されれば学校に通えるようになる。マリアは再び学校に通えることを楽しみにしていた。治療の為に学校を休んでいたのでもう一度ジュニアクラス1年生をやらなくてはならないが、ガラテアにはそんな子達が沢山いるらしいので気にしない事にした。

 荷物を鞄に詰めていると、コンコンとノック音がして、マリアはふと顔をあげる。開け放しておいたドアの影からマリアと同じ年頃の男の子が顔を出した。

「冬馬。見送りに来てくれたの?」

 冬馬は、白い肌に白い髪、赤い目が特徴のいわゆるアルビノ体質の少年である。

 アルビノ体質とは、元来ヒトの遺伝子の中に存在しているメラニン色素の情報が、欠損している個体の事で、皮膚や眼球、毛髪などにおいて色を持つことが出来ないため、紫外線などに極端に弱い性質のことである。

 入院の初日、マリアは治療を受けることに不安でいっぱいで、気を落ち着けるために院内にある全天候型の庭園を散歩していた。その時に庭園の芝生で昼寝をしていた冬馬に会ったのである。

 最初、あまりにも真っ白な生き物で人間じゃないと思ったのだ。

「退院おめでとう」

 そう言って冬馬は赤、白、ピンク、黄色の花で作られた小さな花束を差し出す。

「わぁ。可愛い。ありがとう」

「僕の事忘れないでね」

「当たり前じゃない。何でそんな事を言うの?」

「退院しても、僕にメールをくれる?」

「もちろんよ。私、ガラテアに住むのよ。ここにだってすぐ来れるわ。冬馬が私に会いたいと思ってくれたらいつでも会えるわよ」

「うん・・」

 冬馬はマリアの退院が決まってから元気が無くなっていたが、今日は特に寂しそうだ。理由は分かっている。マリアは治療が終われば退院する事は可能だが、冬馬はそうではないのだ。

 現在、アルビノはあくまでも体質の一つとして考えられていて病気という概念はない。勿論、その体質により引き起こされる様々の症状及び、障害はその限りではないが。アポカリプス内の庭園はいわゆる全天候型でドームで覆われている。そのドームの天井にはいわゆる天気が映し出されているが本物ではないため、紫外線の影響を受ける事がない。極端に紫外線に弱い冬馬は外の世界で生活をする事が難しいため、恐らくは生涯の殆どをアポカリプスで過ごす事になるだろうと本人もわかっている。

「絶対に会いに来る。冬馬は、私がここに来て初めて出来た友達よ。大事な友達だわ」

 マリアは真っ直ぐに冬馬を見つめた。冬馬は少しだけ嬉しそうにうなづいた。

「うん」

 だが、冬馬もまた分かっていた。アポカリプスを出て外の世界に行ってしまえば、自分の事が優先事項の一番下になる事を。過去にいた友人達もみなそうであった。

 冬馬は物心ついた頃からアポカリプスにいる。持っている記憶で一番古いのは6歳頃だろうか。最初に出来た友達の名はサラだった。同じ歳の女の子で、彼女もまた治療の為に入院していたのである。その後退院する事になったサラと一生の友達である約束をしたのだが、彼女が冬馬を訪ねてくる事はなく、最初の頃は毎日届いていたメールも年月と共に減り、10歳を迎える頃には完全に連絡が途絶えたのである。

 マリアも自分の事を気にかけてくれるのは今だけだと思いながらも、友人が退院する事は嬉しい事なので素直に喜ぶ事にした。

「アカデミーってどんなところ?友達がたくさんいる?」

「そうね、近い年齢の子達が集まって勉強する所だから」

「楽しそう」

「確かに楽しいわ。でも、大変な事もある」

「そう?健康なのに?」

「うん・・。それはそれで他に色々気になる事が出てくるのが人間なのよ、きっと」

「ふーん。マリアはガラテアのアカデミーに行くの?」

「うん。このまま体調が良いならね」

「じゃあ、外のお話、沢山聞かせて。僕、待ってるからさ」

「わかったわ」

「約束だよ」

「ええ。約束ね」

 二人は指切りをした。


 と、次の瞬間。

 アポカリプス内に警報機がけたたましく響き渡った。




 ガラテア第4区の住居にマリアの家族はいた。娘の退院のため、病院へ迎えに行こうとしていたその時、ハウスコンピューターのサリーが病院からの電話を受けた。事故が発生したため、アポカリプスを一時的に封鎖するというものであった。




 半年後


 8月


 午前2時

 ガラテアを凄まじい地震が襲った。

 地震発生が夜中であった為に、思うように動きが取れず、被害状況を確認できたのは明け方になってからだった。

 一夜にして外の風景が変わっていた。

 午前4時15分。

 光の加減よっては緑に変化する薄茶の瞳に映った変わり果てた街に、驚きを隠せないワタシにハウスコンピューターのサリーが話しかけてくる。

「ハイジ。大丈夫デスカ?」

 柔らかい女性の声に設定しているが、話し方は古いタイプのコンピュータ仕様にしていた。何となく懐かしい感覚がするのだ。不思議だが。

「ええ。サリー、メールの確認をしてくれる?」

 ハイジは背中まである亜麻色の髪を器用に結い上げた。

「モウシテマスよ。ソノ前に報告シマス。マズ第一にサリーは無事デス。正常に機能してイマス。第二にハイジは無事デス。何処にも怪我ハアリマセン。サリーがスキャンしまシタ」

「アカデミーに行って様子を見てくるわ。交通網はどう?」

「電車は全線停止中。自動車及びスクーバーも充電切れデス」

 予想はしていたが徒歩で向かうしかない。

「メール確認終わりマシタ。緊急メールは一件。ガラテアのセキュリティガードが緊急対応・救助活動ヲしておりマス。安否の確認が出来るマデ自宅待機デス。ゴ両親、オヨビ友人の方々ヨリ大丈夫デスカメールが届いてマス」

「大丈夫と返信しておいて。あと、心配するメールもお願い。じゃあ、出かけてくる」

「ワカリマシタ。気をツケテ」

 外に出ると、道路が歪み、古い建物の多くが半壊状態にあった。比較的新しく作られた建物はそこまでの被害は見られなかった。

 ここはガラテアの第4区。ここの住人達はアポカリプスに縁が深い。かく言うワタシもコードリライトを受けた人間だ。18歳の時に病気を発症し、1年間、治療の為にアポカリプスに入院する事になった。そして退院した後、同じような境遇の子達の心的サポートをすべくスクールアドバイザーを目指した。ガラテアにほど近い街で故郷のアンキルの大学で飛び級で学び、ガラテアのアカデミーに戻って来てから6年目の夏を迎えていた。アカデミーはアポカリプスの広大な敷地内にある。



 第4区アカデミー(Academy Of District 4、単にアカデミーと呼ばれている)に到着すると他の職員も何人か到着していて、みな状況の確認をしていた。災害時は基本的には自宅待機であるが、病院や学校などの施設は職員が状況確認のために動く事が許されている。来週から秋学期が始まるので、教師達はその準備にも追われている時期だった。アカデミーはセメスター制(二学期制)をとっている。

 セキュリティガードの人間も既に到着して活動していた。セキュリティガードは「コスモポリタンセキュリティ機構」に所属する人達の呼び名で、単にguard(ガード)と呼ばれる事もある。

 黒い迷彩服に身を包んだガードの人間に虹彩認証を受け、ブレスリングを使い、アカデミーの中に入った。


 コスモポリタンと呼ばれるようになってから人々の戸籍の整理が始まった前々世紀。人は母親の体内にいる時にその虹彩が決まり、それは何らかの外的要因が無ければ生涯変わる事はない。故に、全地球市民は産まれると、戸籍の登録として虹彩の登録を義務付けられた。それは、個人を特定する認証として学校や病院、商業施設等への出入り時に確認される。また、虹彩認証登録から13年目を迎えるとブレスリングが配布され、それは、自動車(自動型の車で一人〜複数人用の乗り物)やスクーバー(小型のバイク型の一人用の乗り物)、自動バス(自動型の乗り合いの多人数用の乗り物)、電動車(軌道上を自走する鉄道車両)を利用する時に必要になるのだ。

 (個人の財産は口座という形で銀行施設に設けられ、移動や買い物の際、口座の金額が直接動く仕組みになっている。厳密にはコスモポリスの財産を個人に配布しているという事である。故に個人が金券を持つこと自体が無くなった社会である)


「テイト。貴女も来ていたの?」

 同僚のテイトを見つけるとハイジは近づく。テイトは教師で彼もまたハイジより1年早くコードリライトを受けていた。歳は確か二つ下だと記憶している。少しウェーブの乗った柔らかな黒髪が、彼の涼やかなアイスブルーの目元と相まって凛々しさを醸し出していた。

「ハイジ。君は、大丈夫か?」

「ええ。街は酷い状況ね。アカデミーは建物自体は大丈夫みたいだけど、メインコンピュータは無事かしら」

「他の先生が見に行ってる。セキュリティガードも来ているし、何かあればわかるさ」

「ええ。そうね」

 二人は少しの時間見つめあった。

「こんな状況なのに君にキスしたいと思う俺は変かな」

「いいえ。ワタシも貴方とキスがしたいわ。きっと無事だったから安心したのね」

 実は二人は少し前からデートを重ねていた。半年前テイトがこの学校に赴任した日、ハイジは惹きつけられたように彼から目が離せなかった。テイトも同じ気持ちだったと聞いたのは初デートの日だったかしら。そして今、二人は唇を重ねた。

 と、部屋をノックする音。

「誰かいますか?」

 ガードの人間だ。二人は唇を離し、ふと微笑みあった。

「はい」

「先生方ですか?ラウンジに集まって下さい」

「わかりました」 

 二人が歩き始めると、地鳴りが響いた。

 それは地震の第二波で、第一波より強力だった。瞬く間に激しくなる揺れに建物は崩れ出し、舞い上がった粉塵が二人を飲み込む。

 ハイジは薄れゆく意識の中でテイトの腕の中に引き寄せられた気がした。




 3か月後


 アポカリプスのステーション内の朝を告げる柔らかいメロディで起きると、ダイニングルームで食事を取る。その後共同スペースのコモンルーム(談話室)で食後のコーヒーを飲んでから、出勤の準備をする。

 それが今のハイジの日課になっていた。

 サリーとの会話が無くなった寂しさはあるものの、今は一緒に生活する生身の人間が近くにいるので、彼らとの会話を楽しむ事にした。



 アカデミーにてハイジは生徒達と対面していた。

 子供達の顔は光り輝いてた。コードリライトにより輝きの途中で終わりそうだったその人生に光が差したからだ。

 だが、子供達はコードリライトの欠点を知らない。ハイジは複雑な思いで子供達を見つめた。



 1ヶ月前

 地震の被害より2ヶ月が経った頃、ハイジは朝靄の中、身体中の細胞が焼けるような痛みを覚えて目を覚ました。ベッドから降りて水を飲もうとサリーに声をかけたが、サリーから「ハイジであってハイジでは無いもの」と呼ばれ、痛みと困惑の中起き上がった。そして、サリーに何か異常が起きたのかと調べようとベッドから足を下ろし踏み出したその瞬間、壁に激突した。驚きと全身を襲う痛みを抱え、起きあがろうと床に足を軸に着いた瞬間、今度は天井に激突した。身体中の痛みと引き換えに半日かかって何とか自身の体の動きをコントロールする術を覚えた。

 その後、アポカリプスへ連絡するとすぐにガードらしき人達が家にやってきた。半ば強制的に運ばれたアポカリプスの特別待合室では、同じ様な症状を訴えた患者で溢れかえっていた。その後、6人程度に分けられ、ベッドが数台とソファが数脚置かれた小部屋へ通された。誰もが暫くはここにいる事になるだろうと予想し、くつろぎ始めると共に情報の共有を図ろうと会話が交わされ始めた。ワタシも隣に座った女性に話しかけられ、自己紹介と共にお互いがコードリライトを経験しているという共通点がある事が分かった。周りの会話を聞いてみても、ここに集められた人の殆どがコードリライト被験者であったようで、少しの安心感が場に漂った。だが次の瞬間、その女性が尋常ではなく苦しみ出し、細胞が溶け出したのである。(その女性は身体が痛いだけで特別変化は無かったようだったが)

 その場にいた人々はパニックになった。

 と、他の人にも同様の症状が現れ出す。そこかしこで悲鳴が響き渡る。モニターに映し出された様子を見ていたのだろう、慌てて医師達が部屋に駆け込むも、細胞が溶けるのを止める手段も無く、異臭と共に粘性の水分となってしまったその液体の上に落ちたブレスリングをただ見つめるしか出来なかった。

 症状を訴えた30名程のうち細胞が溶け出さなかったのは数名であった。



 ハイジ達は別部屋へ通され説明を受けた。

 人間の叡智の結晶と思われたコードリライトも完璧ではなく、実はそれまで生きてきた年数分しかその後の人生を生きられない。ブレスリングから彼らのコードリライトを受けた年を確認したが、殆ど同じ時期であった。つまり彼らは寿命がきたのだ。その前兆に身体の痛みが現れたという。

 勿論、生き残ったワタシ達はその説明に異議を唱えた。施術が同じ時期だとしても、それぞれ年齢が違っていたので、残っている寿命も違う筈だと。

 医師達はまだ寿命が残っているにも関わらず痛みが現れ出したのは我々も初めてで、驚いている。そして、その原因究明の為に、君達には協力を願いたい。もちろん、アポカリプスはその寿命を伸ばすべく、日々研究を続けている。


 今の私達には、その申し出を断る事は出来なかった。そして、生き残ったワタシ達はお互いに何かしらの能力が発現した事を確認した。言い換えれば、能力が発現したワタシ達だけが生き残ったのだった。

 










 アポカリプス


 それはポリス一の医療施設と謳われる巨大施設である。

 国という概念を無くしコスモポリタンとなって久しい私達は、ある時よりルーツやバックグラウンドといった観念を持たなくなった。(心の奥底にはあるのかも知れないが)家族という最小の集合体形は理解していても主体は個にあるとして、地球市民つまりコスモポリタンとなり生きて行くべく教育を受ける社会となって数世紀。国境が無くなり、一見自由を手に入れたかに見えた地球市民は、その中に僅かな存在意義を感じられる者が少数になりかけ、生きるという事に命題を見つけ出せないまま、虹彩認証とブレスリングのコード認証によってしか自分の存在を確認できない今、何となく時代に生かされている感覚しか持てなくなっていた。

 


 主に医療棟と研究棟に分けられ大勢の人間がそれぞれの分野を跨いで、他機関、異業種に携わり生活をしている。

 医療棟第1ステーションから第13ステーションは通常医療の人々の為のスペースになっている。

 第14ステーションから第19ステーションはコードリライトに携わる人々の為のスペースになっていて長期の入居が可能になっている。

 第20ステーションからは本来は何かしらの突発的な事由により短期間の入院・入居者用のスペースなのだが、ハイジ達は今、第21ステーションで生活していた。

(因みに、研究棟は第1セクション〜と区分けされている)




 ハイジはその日もガーデンルームで、子供達にオリエンテーションをしていた。(ここで言うオリエンテーションは物事の方向性を話し合う事とする)

 ガーデンルームはアカデミーの一室に設けられた温室である。季節に咲く花や木々に囲まれて、ソファや椅子で寛げるようになっていた。

 生徒達は時折、学年ごとにガーデンルームに集まり、自分達の身に起きた事、それについてどう思ったか、家族との関わりがどうなったか、また、コードリライトを受けた事によって心境の変化があったかなど、そして将来の事を語り合う。そんな時間になっていた。

 そして生徒達は特別な用事が無くてもガーデンルームを利用することは可能であったし、ハイジに用事がある時は小部屋に使用中のプレートが下げられるので、その部屋への入室を遠慮するのが暗黙の了解になっていた。

 また、学期毎に学年を交えてオリエンテーションをする事もあった。



 午後になりジュニアクラスの2学年のオリエンテーションが始まった。午前中のエレメンタリークラスの5学年より話し合いが細かく進んでいく。ハイクラス以上は集団オリエンテーションは行わず、個人の面談という形になっていた。

 終わりの時間を告げるチャイムが鳴ると、皆は名残惜しそうにしつつ、ガーデンルームを後にした。ジュニアクラス以上は必要があれば資料や教材を使う事が可能なので、それらの片付けに入ると、一人の少女が声をかけて来た。

「先生。手伝うわ」

「ありがとう、クレア。でも、あなたはこの後の授業はないの?」

「ええ。大丈夫」

 クレアは小柄な少女である。ブルネットの腰まである髪の毛を後ろで三つ編みに結っている。

「何か話がある?」

 ハイジは聞いた。教材の片付けといっても、生徒達が使う端末は全てアカデミーが管理するものでただ集めて元の場所に戻すだけなのである。

「先生。会って欲しい人がいるの」

「誰かしら」

「アカデミーの外にいる人」

「もし必要ならそうするわ。詳しく聴かせて」   

 クレアの話はこうだった。

 姉がガラテアに住んでいて、妊娠している。あの地震の後、一月前から体調が良くない。アポカリプスへ行こうと言っても拒否をされる。クレアが何故なのかを尋ねると、同じく妊娠している友人がいたが、身体の痛みを訴えてアポカリプスへ行ったが、そこから行方が知れなくなったというのだ。アポカリプスへ問い合わせても、患者のことは教えられないと言われ、ブレスリングで連絡を取ろうにも一切連絡が取れなくなった。(ブレスリングは通信機能も兼ねている)家族へ状況を聞こうとしたら、既に引っ越した後らしく、家には誰もいなくなっていたという。

 ハイジはハッとした。あの時、あの中にお姉さんの友人の妊婦さんがいたのかも知れない。

「わかったわ。でも、今日は無理なの。明日、何とか時間を作ってみるわね」

 



 

 ガードの人間が操作をしている自動車に乗り込み、アポカリプスへ戻る。と言っても敷地内なので、自動車に乗っている時間は5分にも満たないが。

 自動車及びスクーバーは個人の所有ではなく、コスモポリスの財産として扱われる。操作に必要な知識は16歳になるまでに各教育機関にて教わるので、その後、自分のタイミングで試験を受けて免許取得となる。自動車自体はカーステーションと呼ばれる場所に保管されていて、申請をしてから貸与される仕組みになっていた。

 ハイジも免許は持っていたが、アポカリプスから今暫くは自動車貸与の申請を受け付ける事は出来ないと言われていた。


 ハイジは自室でトレーニングウェアに着替えると、研究棟の横に独立している屋内プールになっているドームの地下にある訓練室へ向かった。

 本日は訓練と観察の日である。能力のコントロールに慣れるまでは、毎日何かしらの訓練があったが、今は一日置きになっている。

 

 訓練室に到着すると、ガラスの画面越しにモニタールームを見る。いつもの面子の中に東雲研究員の姿を見た。

 

 東雲 亮二 25歳

 アポカリプス研究員

 茶色の髪にオリーブの瞳


 あの日、医師達と共に青ざめた顔で私達を見ていた。だが、あの後の対応では彼が一番落ち着いていたと思う。

 訓練室では先に到着していたナギサとシオンが訓練室の真ん中で、座禅を組んで目を閉じて座っていた。二人の周りに目には見えない円の様な気配を感じた。二人はハイジに気がつくと視線を向けた。

 

 三上ナギサ 24歳 

コードリライト被験者 18歳当時

 赤色の髪・ブラウンピンクの瞳

 イベント会社に入社しパーティプランナー

 として勤務。

 



 パク・シオン 25歳

 コードリライト被験者 16歳当時

 黒髪・グリーンの瞳

 アポカリプス付属の博物館職員として勤務。

 

 


 少し遅れてサーシャが入って来た。



 サーシャ・ローウェル 21歳

 コードリライト被験者 14歳当時

 茶髪・アンバーの瞳

 アカデミーの工学部の学生。

 



 サーシャとハイジはストレッチをした後、お互いの手をパチンと合わせた。

 次の瞬間、サーシャは両手の平で電気を作り出し、青白く光ったソレをハイジに向かい飛ばす。ハイジはそれを超加速で避ける。を繰り返していると、ハイジは突然、見えない力で弾き飛ばされ、壁に激突した。サーシャの電気も自身の意思とは別にサーシャに向かい飛んできた。それをギリギリで避けたが、電気は頬を掠めた。

 驚いた二人の視線の先には、クラウスがいた。

「見えてる相手だけが敵とは限らないぜ」



 クラウス・ハーモン 27歳

 コードリライト被験者 17歳当時

 金髪・碧眼

 メテロポリスにあるハーモン医学校の生徒であったが、病気が発覚。ハーモン医学校はコードリライトの専門機関ではない為、アポカリプスへ。

 



「クラウス。敵って・・私達の能力は戦いの為にあるのじゃないわ。そうでしょ」

 ハイジは壁に打った左腕を庇いながら、立ち上がった。

「どうかな?」

「どういう事?」

「さぁ」



 真っ白な世界にナギサとシオンはいた。

 ナギサは精神攻撃をシオンに向ける。と、シオンの普段は薄茶の瞳が金色に変化した。彼は邪眼能力でナギサの攻撃を交わしていた。

 二人は主な意識を精神世界の中に置いて、意識の一端は現実世界を捉える訓練をしていた。

と、もう一人、別の人間が部屋に入って来たのを感じた次の瞬間、ハイジとサーシャの動きのリズムが崩れたのが分かった。

 意識を現実世界へと戻した二人の目に飛び込んできた光景は・・。

 


「ハイジ、大丈夫?」

 ナギサは身体を庇いながら立ち上がったハイジに駆け寄った。肩の上で切り揃えられた髪が跳ねた。

「クラウスったら嫌なヤツね」

「心の声が聞こえてるぜ」

「聞こえるように言ってるのよ」

 ナギサはクラウスを睨んだが、クラウスはどこ吹く風というように人をくった様な笑みを浮かべたまま、頬から流れる血を手の甲で拭うサーシャに向かい言う。

「切れたのが頬で良かったな。避けるがもう少し遅かったら顔に穴が空いてるぜ」

 怒りに言葉なくクラウスを見やるサーシャの肩に手をポンと置いたのはシオン。

「いきなり攻撃を仕掛けておいて、その言い草はないんじゃないか?」

「攻撃ってのは突然仕掛けられるものさ」

「これは能力のコントロールの訓練だよ」

「そうか。じゃあ、攻撃するぜ」

 言い終わるタイミングと衝撃がシオンに向かって飛んでくるのが同時であった。

 シオンは後ろに吹っ飛び壁にぶつかる。

「言ってやったろ・・」

 ニヤリと笑うクラウスの背後、背中は腎臓の辺りに手が当てられた。サッと表情が曇り、振り向くと金色の瞳のシオンが微笑んで立っていた。

「僕の手がナイフなら君は死んでいるよ」

「・・・」

「見えている事だけが現実とは限らないぜ」

「っ」

 クラウスは苦々しい表情でシオンを見やる。





 東雲 亮二は訓練室の二階から、細胞質が変化をしたコードリライト被験者たちを見つめていた。


半年前

 一度目の地震は夜中であった為に、それ程人的被害はなかった。旧建物は現在は人が使用してはおらず建物の崩壊だけで済んだのだが、二度目は明け方であった為に少数ではあるが、活動をしている人達がいた。被害を受けた人々が運ばれて来たが、その中でアポカリプスに縁の深い人達が、治療後に再びアポカリプスを訪れたのは、二ヶ月後であった。

 身体の焼け付くような痛みと共に起床したという人達が殆どで、コードリライトに何らかの影響を受けたと思われた。そして現状観察の流れになるかと思われた時、モニターの向こうから凄まじい叫び声が聞こえて来たのである。

 それもその筈であった。人間が溶け出していたのだから。

 能力が発現した彼ら以外の。



 クラウス・ハーモンがパク・シオンとのやり取りの後、こちらを睨んだ。かと思うと、フイと背を向けた。

 メテロポリスにあるハーモン医学校の御曹司でコードリライトの治療の為、アポカリプスへ移ってきた。治療後はメテロポリスに戻らず、アポカリプスで医師としての道を進むべく、研修中と資料にはある。

 このコスモポリスにおいて、アポカリプスは唯一のコードリライト研究機関である。世界中から患者、医師、研究者、そして情報が集められている。最高議会の意向でコードリライト研究機関は一箇所に定められているが、各医療機関及び研究機関はコードリライトの情報が欲しい筈だ。

 最初の少女のDNAの盗難があった凡そ一年前、彼は医学部の生徒でこのアポカリプスに出入りをしていた。その事は佐保子も承知で、彼を容疑者から完全に外してはいない。

 コードリライトを受けた人間で細胞が溶けださなかった人間に共通する特徴が何であるのか。それが能力の発現とどう関係しているのか研究中であるが、未だ、答えはない。



 


 訓練を終えると、採血と簡単な計測を行い部屋へ戻る。シャワーと食事を終え、第21ステーションのコモンルーム(談話室)へハイジは向かった。ソファに座り雑誌を読んでいたナギサは、ハイジに気がつくと手招きをする。

 ハイジがナギサの横に座ると、ナギサはハイジの顔を覗き込むように見た。

「それで?何か気になる事があるんじゃない?」

「どうしてそう思うの?」

「別に能力を使ってとかじゃないわよ。何となくそんな雰囲気を感じるの。でもまぁこれも女の能力の一つか。とにかく、ハイジ、いつもと様子が違うもの」

「ナギサっていい子よね。学生時代もそんな感じで友達の面倒を見てたのね」

「やだ、暗にお節介って言ってる?」

「違うわよ。私、あんまり友達の記憶って無いから、こんな風に会話をするのがくすぐったい感覚なの」

「子供の頃とか友達いなかったの?」

「うーん。姉が唯一の友達だったけど、思春期以降、疎遠になっちゃって。ワタシがあまり丈夫ではなかったから両親もワタシにかかりきりだったし、彼らから姉の話題が出る事はあまりなかったかな」

「そう。でも、もう私達友達なんだから何でも相談してね。境遇も一緒だし、お互い助け合おうよ」

「わかったわ」

「で?」

「あぁ、そうね。でも実はまだ状況がハッキリしないから、分かったら言うわ」

「もう、ハイジってば秘密主義なのね」

「そういうわけじゃ・・そうなのかな」

「ふふ。いいわよ。ゆっくりで」

「ありがとう」


 


 次の日、アカデミーへ行くとクレアが昨夜遅くに引っ越した旨を告げられた。

「どこへ引っ越したかわかる?」    

 受付に設置された画面の向こう、ホログラムのサリーに問いかける。

「もうウチの生徒では無いので、データは既にデリート(消去)されています」

「彼女の住んでた地区番地は?」

「デリートです」

「何か情報は残っていない?」

「デリートのみです」

「そう。わかったわ」

 ハイジはため息を吐き、その場を後にした。


 ハイジはアカデミーの院長室へ向かった。ここへ赴任してから何かと良くしてもらっている。

 学院長のミレーユは金髪を後ろに引っ詰めた五十絡みの女性である。

「ミレーユ。昨夜遅くに引っ越したという、ジュニアクラス2年のクレア・モリソンの事なのだけど、実は昨日、彼女と今日に話し合いの予定をしていたのよ。連絡が取りたいのだけれど、彼女の通信番号が知りたいわ」

 彼女はそれまで目を通していた資料を消すと立ち上がり、デスクを回ってハイジの目の前までやって来ると、そっと肩に触れた。

「ハイジ。貴女はコードリライトの被験者でカウンセラー。子ども達のサポートに熱心な事はわかっているわ。でも、クレアの事は諦めて」

 ミレーユは慈愛の眼差しでハイジを見つめた。ハイジはハッとした。

「まさか、彼女は・・・」

「ええ、恐らく。今朝早くにアポカリプスから登録抹消要請の連絡があったのよ」

 



 カフェでティータイムを取りながら、記憶を思い返してみる。

「それで、クレアは貴女に何を話したかったのかしら」

「・・わからないわ」

 部屋を出ようとした時ミレーユに聞かれたが、ハイジは咄嗟に嘘を吐いた。自分でも何故そう言ったのかはわからない。ただ、いつものミレーユと違った気がしたのだ。

 と、窓の外、人工的に手入れされた庭園にテイトの姿を見た気がした。ハイジは咄嗟にホールを抜けて、外に出ようと扉に手をかけた。

「どちらに行かれますか?」

 ガードの一人に声をかけられた。

「えっ。あぁ、ちょっと庭園に。誰かいたような気がしたの」

「今日は庭園を使うクラスはありませんし、誰も外に出ていませんよ」

「そう・・ね」

 ハイジはもう一度庭園を見たが、確かに誰かいた気配はなく自分の勘違いだろうと思い、席に戻った。テーブルの上に置かれた、注がれた液体を適温に保つように開発されたコーヒーカップを手に取る。

 テイトの行方がわからなくなった時に、サリーに協力してもらいテイトを探したが依然として行方は分からなかった。

 セキュリティガードにも掛け合ったが、不明者が多数のため、彼にだけ時間を割けない。勿論、我々も探すがねという返事をもらったのみだった。家にも行ってみたが、元々彼の部屋は簡素で、手がかりがないまま時間だけが過ぎた。

 と、次の瞬間。

 ハイジを閃光が襲った。

 記憶がフラッシュバックする。

 昨日、クレアがガーデンルームを出て行く時に、小振りだが優雅な丁装の本をハイジのデスクの後の棚に並べたのだ。

 本。紙に文字や絵、写真などが書かれてある、または描かれてあるもの。それを背表紙で閉じたもの。書物とも。

 情報というものがデータとして保存され、媒体さえあればいつ何時でも引き出し可能な現代において、それは美術品となっていた。様々な書体やレタリングなど、動かないデータが載っているのである。書き換え不可能の一見不便にも思える物だが、そこには歴史がある。その時代を見て取れるため、一定数、本の支持者やコレクターは存在した。ご多分に漏れず、ハイジも棚の三列分程収集していた。そこに彼女は並べた。そして、その記憶をワタシは今の今まで忘れていたのだ。何故?



 学院長室ではミレーユが副学院長のロドリゲスと話をしている。

「アポカリプスから連絡のあったクレア・モリソンだけれど、ハイジに何かを伝えようとしていたようよ」

 栗色の巻毛をオールバックに撫でつけたロドリゲスは、デスクの上に映し出されたホログラムの画面を見つめ、手元のキーボードを操作する。

「恐らくクレアの消えたであろう時間帯のガラテア4区の監視カメラの映像もデリートされています。やはり・・痕跡は追えません。多分ですが、ガードのソフィスト達にも追うのは難しいかと思います」

「そう。あの子は確かコードリライト被験者ではないわね」

「はい。

 東雲研究員の研究機関『ネオ・グラビティ』の子です」

「今はネオから通っているのは、クレアだけだったわね」

「はい。ですが、過去の子達と違うのは、クレアは家族がガラテアに住んでいます。いえ、いました。なので、彼女はアポカリプス以外にも帰る場所があったという事です」

「そうね。今はハイジに気を配って」

「わかりました」

「それから、クレアの帰宅頻度の情報を」

「それは・・」

「アポカリプスの情報がデリートされたとしても、アカデミーにはまだ彼女の情報が残っているのでは?」

 個人の情報はサリーが全て統括している。だが恐らく、どの機関でも媒体を別に記録として残している筈だ。無論、アカデミーも例外ではない。ミレーユは暗に仄めかす。

「わかりました」

「それともう一つ。クレアの能力は確か・・」

「あの子は邪眼子です」


 

 ハイジはガーデンルームに足早に向かった。

 何故今まで忘れていたのか。今、思い出したのもまた、彼女の能力なのではないかという疑問がハイジの中に生まれていた。

 それと同時にハイジの中に、それまで不確かな疑問であり現実味があまり無かった思いが、確信へと変わりつつあった。あの時、確かにテイトの温もりを感じたと思ったが、東雲からは発見されなかったという報告を受けた。だが、恐らくテイトは生きている。そして、彼もまた能力が発現したのではないかとハイジは感覚的に思った。

 



 棚から目当ての本を取り出す。前々世紀の遺物であるソレを開くと・・。


 ハイジは今日の予定を確認する。今日は午後にエレメンタリークラス4年のグループセラピーがあるだけだ。

(今抜け出しても、午後まではワタシがアカデミーにいないのがバレないわね。抜け出すのは今しか無いわ)

 アポカリプスは、私達の能力の発現以来、私達の行動の管理を行なっている。だが、もし、能力の発現をしたクレアが昨日、細胞が溶けたとしたら、私達もいずれそうなるという事だ。

 そして、アポカリプスはその事実を公表する気はないのだ。

 自分達で動かなくては。

 ハイジはガーデンルームを出ると、ブレスリングを使い大学部にいるであろうサーシャに連絡を取り、大学図書館で待ち合わせをした。

 アカデミーの周りにはセキュリティガードが見えるように配置されている。そして、見えない部分にはセンサーがあるのだ。そのセンサーの波をサーシャに繋いで貰い、外に出ようと思ったのだ。

「いいよ。任せて。面白そう」

 サーシャは言うと手の平を上に向けて神経を集中させた。可視化させた電気を何もない空間に向けると、ソレは混ざり合い、張り巡らされたセンサーを見ることが出来た。

「外に出れるかしら」

「いいよ。待って」

 サーシャの掌から続く電気は人一人通れるくらいの空間を作る。その隙間をハイジは抜けた。サーシャも続く。

「ハイジ。これから何処に行くの?」

「ワタシの家よ」

「前に住んでた?やったね。何だかワクワクするよ。俺」

「サーシャ、あなたは戻って」

「まさか。嫌だよ」

 無邪気な彼は頼もしくもあるが、巻き込んでは恐い気もするのだ。まだ、推測の域を出ないし確実では無い。

「でも・・」

「ねぇ、ハイジ。俺たち、本当ならもう死んでる命だよ。コードリライトのお陰で生き延びれてる。でも、それも完璧じゃなくて、いつ細胞が溶け出すか分からない。もちろん不安はあるけど、普段真面目なハイジがアカデミーを抜け出そうとするんだもん。何だかスゴイ事が起こりそうな予感がするんだ、俺。ハイジと一緒に行くよ」

 そのキラキラとした表情には若さが現れていたが、瞳には真剣な思いが浮かんでいるのが見て取れた。

「わかったわ」

「だから、道すがら詳細を説明してね」

「あっ、そうね。分かったわ」

 やっぱり前言撤回ね。何も説明をしなくても無条件でワタシを信用してくれた彼の勇敢さは頼もしいわ。




 ハイジ達は住居に到着すると、虹彩認証とブレスリングを使って中に入る。 

 良かった。まだ使えるようだ。

 サリーに呼びかけると、

「ハイジであってハイジで無いモノがイマス」と言われ「またか」という表情でハイジはサリーに言った。3ヶ月前もこのやり取りをした記憶がある。

「ワタシがハイジよ。スキャンをし直して」言うとサリーはその通りにする。そして、「おかえりなさい」と。

 「ねえ、サリー。あなたと話をしたいのだけど、誰にも知られたく無いの。誰かに聞かれていない?」

「今ハ大丈夫でス」

「では見つかりそうになったら教えてね」

「わかりマシタ。ハイジ、彼はダレですカ?」

「サーシャよ。友達なの」

「ワカリマした」

「ワタシとサーシャの身体に起こってる変化がわかる?」

「サリーは分かりマス」

「では教えて」

「デハまず、コードリライトの説明ヲしm」

「それはいいわ」

「細胞質が変化をシテイマス」

「原因はわかる?」

「サリーはワカりませン」

「そう。サリー、他にも変化した細胞を持っている人間を探せる?」

「ハイ。ネットワークにアクセスをしマス。スキャンを開始しマスですが、ガラテアのセキュリティコードにアクセスすれバ、記録がノコリます。良いデスカ?」

「いえ、待って。そうね・・特定の誰かならセキュリティコードにアクセスしなくても良い?」

「サリーがデータを持ってイル、ニンゲンであれば大丈夫デス」

「テイトを探したいのだけど」

「テイトとは誰デスカ?」

「え?都築テイトよ。ワタシの恋人の。ここにも来たわ」

「ツヅキテイトのデータはありまセン」

「どういう事?」

「ハイジ。お知らせシマス。誰かガ来ます。2秒後二」

「え?」

 振り返ると同時にドアが開いた。



 黒い迷彩服に身を包み懐中電灯を片手に銃を構えた男が入ってきた。

「動くな」

 ハイジ達はホールドアップした。

「君たちは誰だ?」

「ワタシはここの住人なのだけど」

 男は構えた銃で近づく様に指示した。

「ゆっくりだ」

 二人が近づくと、胸ポケットから虹彩認証機を取り出し、二人の瞳に当てる。

「名前を」

「ハイジ。ハイジ・リオルッサ」

「サーシャ・ローウェル」

「本人のようだ。だが、何故ここにいる。君達は保護されている筈だが」

「忘れ物を取りに来たの」

「僕は冗談が好きじゃない」

「本当よ」

「何を忘れた?」

「昔の自分」

 しばらく無言のまま時が経ったが、男は銃を降ろした。


「僕は、鏡 真紘。都築の、都築テイトの同僚で友人だ」

 ハイジの表情が変わる。

「テイトの?彼を知っているの?居場所は?」

 ハイジの矢継ぎ早の質問に首を振る真紘。

「僕も探しているんだ」

 落胆の色を隠せないハイジはある事に気付いた。

「待って。同僚と言ったかしら?貴方の仕事はセキュリティガードの様だけど、彼は教師よ」

「違う。彼はガードの人間だ」







 アポカリプス 研究棟 地下

 真っ白な照明に照らされた廊下を、ハイヒールの音を鳴らしながら歩いていた佐保子はとある部屋の前で止まる。ブレスリングをかざし、ロックの外れる音がするとゆっくりと扉は開いた。

 中にいたのは、アポカリプス副所長のイアン。そして彼は今、この部屋で軟禁状態になっている。何故なら、DNAが盗まれたと思われるその時、保管庫の最終使用者であったからだ。




 あの日、警報機が鳴って10分後、突然ガードの人間が診察室にに入って来た。

「ドクター・イアン。我々と一緒に来てもらえませんか?」

 イアンは近くにいた看護師に他のドクターを呼ぶように指示をして、患者に向かい安心させるように笑みを残し、部屋を後にした。そして研究棟の地下にある個室に連れて来られると、そこには佐保子がいた。

「佐保子、どういう事だい?」

「イアン。私が聞きたいのよ」

「何を?」

「何故、DNAを盗んだの?」

「何だって?」

「DNAが盗まれたの。保管庫の最終使用者は貴方よ」




 それ以来、ここに軟禁状態である。部屋の出入りは監視付きではあるが、自由に出来るし、フロア内は自由に移動することが出来た。

 彼が盗んだかどうかは、現時点では推測の域を出ない。現に『最初の少女のDNA』は今も見つかっていない。だが、コードリライトの研究に初期から携わってる彼は、医療の発展に必要不可欠であったからだ。



 イアンは人の気配に読んでいた資料から目を上げた。彼の目に映ったのは険しい表情の佐保子。

「どうした?佐保子。難しい顔をしているね」

「ハイジ・リオルッサがアカデミーから消えたわ」

「何だって?行方は?」

「落ち着いて、イアン。大丈夫よ。絶対に探し出すから」

「・・東雲には?」(知らせたのか?)

「ええ。彼らに探して貰うわ」

「その方が良い。だって彼女は・・・希望だ」

「分かっているわ」

「その事は彼には・・」

「もちろん、話してないわ」

 イアンは無言で頷いた。



 


 


「あの日が、僕が都築を見た最後だ」


 テイトと真紘は午後のトレーニングを終え、それぞれシャワーを浴びた。真紘は濡れた銀髪をバスタオルで拭きながら、トレーニング中に気になっていた事をテイトに聞いた。

「今日、何だか動きが悪いような気がしたが、具合でもわるいのか?」

「そういうわけじゃないが、調子が良くなかったな」

「大丈夫か?」

「ああ」

 ロッカーを開いた時、テイトのブレスリングが点滅した。デジタル文字が浮かび上がる。

「課長から呼ばれたようだ」

「仕事か?」

「多分な」

「代わってやろうか?」

「バカ言うな。そこまでじゃないさ。そう言うお前こそ・・」

「何だよ」

「いや、何でもない」



 セキュリティーガード


 コスモポリタンセキュリティーに所属する、前世紀の警察機構及び軍事機構を統括した組織として、それぞれの都市に配置されているコスモポリスのガーディアン的な存在である。


  第一部隊  通常部隊 各施設に配備されている部隊

  第二部隊  特殊部隊 緊急事態時の初動部隊

  第三部隊  特秘部隊 機密事項に際して動く部隊



 テイトと真紘は共に第三部隊に所属していた。

 テイトが部屋に入ると、課長のマックスが振り向き言った。

「都築、教師になってくれないか?」

 



「潜入捜査中は、外部はもちろん内部とも仕事以外の連絡を取る事は殆どないんだ。だが、僕らは親友だからね、時折秘密裏に話したりするのさ。それで、君の事を聞いた。恋人が出来たとね。最初、僕は任務のためなのかと思ったが、どうやら本気らしい。僕らの仕事はハードだからね。中々恋人を作るのは難しいんだ。よしんば思いが叶ったとして関係を続けていくのが大変だ。そんな中でも君とのことを大事にしたいと言っていたんだよ」

「テイト・・」

「で、あの事故だ。僕らに聞かされた事実は『都築は死んだ』とだけだ。遺体も無しにそんな話が信じられるわけが無い。しかも、ガード内部で何となくだが都築の事を話題に出すのもタブーな雰囲気が出来上がったんだ。尚更、信じ難い」

「ワタシもテイトは生きている気がするの。ただ、記憶が曖昧で・・。それに他に気になることもあって」

「気になる事って?」

 ハイジは迷ったが、テイトの友人の真紘を信じようと思った。

「ワタシの生徒にクレア・モリソンという子がいるのだけど・・いえ、正確には昨日まではワタシの生徒だった。昨夜、亡くなったらしいのだけど、でも、色々と不可解で・・」

「データを照合しよう」


 言った瞬間、照明が落ちた。数秒後に非常灯が点灯したが、薄暗い。

「どうしたの?サリー」

「不特定侵入者デス」

 ハイジは真紘へ問う。

「ガードの人間かしら?」

「違うと思う。二人ともこっちへ」

 真紘は自分の背後に二人を隠し、辺りを見回す。

 と、次の瞬間。軋み音と共にドアが壊される。

 そして、黒い塊が高速で部屋に侵入して来た。

「ハイジ?いるでしょ?出て来てよ」

 少年の声だった。

「ねぇ。僕と勝負しようよ。・・・嫌なの?じゃあ、この部屋吹っ飛ばすよ」

 少年の言葉にハイジは咄嗟に前に出ようとしたが、真紘がハイジを制して、少年の前に進み出た。

「君は誰だ?」

 構えた銃の照準を少年に当てる。

「ガードの人間かぁ。なぁんだ。じゃあ・・死んで」

 少年が動き出すのと同時にハイジは超加速を使い、真紘を連れて部屋を出る。

「いたんじゃん」

 少年は楽しそうに追いかけた。

「君は一体・・」

 真紘は驚きの表情で、ハイジを見つめた。

「話は後で。今は彼を振り切りたいわ」

 ハイジは自身の居住区を抜けると、後ろを確認する。まだまだ余裕のある少年に対し、自分は体格の良い成人男性を抱えている。振り切るのは無理だと確信すると、センタービルの屋上を目指した。通常は立ち入り禁止区域であるため、人目につかないハズだ。

 ハイジが降りると同時に、少年も降り立った。




「さてと、困ったな。あの超加速を追いかけるのは難しいなあ。ねぇサリー」

 サーシャが呑気にサリーに話しかけていると、壊れた薄暗い壁の向こうで影が揺れた気配がした。

 振り向くサーシャ。暗闇の中から姿を表したのは黒服に身を包んだ青年。歳の頃はサーシャと一緒か。

「もう一匹いたか」

 徐に口を開くとニヤリと嗤った。そして、手を掲げると飛散したコンクリートの破片が浮き上がる。

「念力系だと思った。超加速では壁を壊せない。もう一人いると思ったよ」

 サーシャが言い終わると同時に破片が向かってくる。それを電気の壁で受け止め、落とす。

「電気系か」

 青年が呟く。

 何度か応酬を繰り返しサーシャの反応を見るようにしていた青年だったが、焦れたサーシャがサリーに電気を送り、室内の照明を元の明るさに戻すと、青年はそれ以上攻撃を加えようとはしなかった。先程までの好戦的な雰囲気とは打って変わって優しい声音になる。

「良い能力だね。僕は円路。コモンウェルス・ネイションズのメンバーさ。君も僕たちの仲間にならない?」



「コモンウェルス・ネイションズ?」

 ハイジは少年に尋ねた。

「そう。僕たちの様な異能者がメンバーの機関なんだ。君とその仲間の勧誘に来たんだよ。僕はイライジャ。君と同じ加速系の異能者さ。宜しくね」

 イライジャはニッコリ笑った。



「待ってくれ。君たちは一体・・何なんだ」

 真紘は驚きの表情でハイジとイライジャを交互に見やる。

「あぁ。まだいたのか」

「いたのかじゃない。取り敢えず、身元の確認をさせて貰う」

 真紘が自身の胸ポケットから虹彩認証器を取り出しイライジャに向けようとしたが、

「無駄だよ。僕らは登録されていない」

「そんな事はない。どこのコミュニティに属していようが、コスモポリタンである以上は産まれた時に虹彩を登録するのが決まりだ」

「こいつ、面倒だな」

 イライジャは真紘を屋上から落とそうと能力を発動させた。が、それを間一髪で止めるハイジ。真紘の手から離れた虹彩認証器がスルリと滑り落ち、空中に消えた。

「駄目よ、イライジャ。簡単に人の命を奪っては」

 強い眼差しでイライジャを見つめ制するハイジ。

 それを馬鹿にした様にフッと鼻で笑うイライジャ。

「僕らは身勝手な実験の結果産まれた命だけど」

「どういう事?ねぇ、イライジャ。貴方の話をもっと詳しく聞きたいのだけど、でもここでは難しいから・・・」

「良いよ。コモンウェルス・ネイションズの施設へ来たいんでしょ。でも、こいつは連れて行かない」

「いいえ、連れて行きましょう。ワタシ達の能力を知ったのよ。このまま帰す方が問題が面倒になるわ」

「だから、ころ」「駄目よ」

「あぁ。そうか、ハイジはコードリライトを受けたんだっけ」

「そうよ。本当ならもう死んでいるわ、ワタシ。だから、誰であろうと今ある命を大切にしてほしい」










 大学図書館にて調べ物をしているクラウスのブレスリングが点滅した。


 同じ頃、博物館にいるシオンとその手伝いをしているナギサのブレスリングも点滅する。

「ドクター東雲からよ。アポカリプスに戻って来いって」



 アポカリプス内 第21ステーションのスタッフが慌ただしく動いている。

 ナギサとシオンがコモンルームへ入ると既にクラウスがソファに座り、本を片手にページをめくっていた。

「サーシャは?大学で一緒じゃなかったの?」

 ナギサがクラウスに話しかけたが、クラウスは二人を一瞥しただけで、直ぐに視線を落とした。

「聞こえたでしょ?返事くらいしなさいよ」

 クラウスはため息一つ、本を閉じると徐に顔を上げた。

「今、ここにいないなら戻って来てないんだろ。俺はヤツの保護者じゃない」

「もう。そんな言い方しなくたって良いのに」

「フン。それに呼び戻されたのが俺たちだけという可能性もある」

 クラウスのどこか馬鹿にしたような発言にシオンは穏やかに反論した。

「ステーションのスタッフの動きを見れば何か起こった事は明白だよ。君の言う可能性が低い事は君も承知だろ?」

 クラウスは無言の肯定をした。




 



 アポカリプス通路にて

「何を怒っている?東雲の言う事は別に間違った理論ではないだろう。それに俺たちは同時期に能力の発現があったと言うだけで、運命共同体という訳じゃない」

 クラウスは前を歩く二人に宥めるように声をかけた。怒気が伝わってくるからだ。




 絶妙に居心地の悪い空気の中無言で座っていると、亮二が現れた。

「ハイジとサーシャがアカデミーから勝手に動いた。ブレスリングの追跡機能で居場所は既にわかっている。君たちに聞きたいのは、彼らを連れ戻す手伝いをしてくれる意思があるかどうかだ」

「・・・」

「異能力が発現してから君たちは拘束生活を強いられている。不自由なのはわかるし、時には外に出たいと思う事もあるだろう。だが、いつ細胞がどうなるか分からない今の状況で市街に出るべきではないと思う」

「それを見た地球市民がパニックになるしな」

「それもある。混乱を避けるためにも、コントロールを覚えたばかりの今の状態で外に出るのは君たちにとっても他の市民にとっても危険だ。だから彼らを連れ戻して欲しい。まだ地球市民には能力の存在を知らせるべきではないと思う」





「別に貴方に怒ってる訳じゃないわ」

 ナギサが振り向き様答える。

「僕らに相談の一つもなかったのが寂しいだけだよね。ナギサは」

「そういう貴方はどうなのよ。シオン。寂しくないの?この数ヶ月間の私達の友情は?」

「うーん。まぁ突発的な事が起こったなら仕方ないとは思うよね」

「何よ、突発的な事って。・・ああ、そういえば昨日、ハイジの様子がおかしかったわ」

 シオンは「だろう?」と言うようにナギサを見つめた。その瞳は優しかった。








 亮二は、医療棟内入院病棟の地下へと降りて行く。細長い廊下を歩いて行くと、そこに現れた広い空間の壁には両側に開く扉が備え付けられていた。虹彩認証と掌紋認証を使い扉を開ける。


  ネオ・グラビティ


 アポカリプス内、遺伝子研究機関

 およそ50年程前、亮二の祖父、東雲総二郎が立ち上げた。その目的は、健常者へのコードリライト研究である。

 その詳細を知るものは、アポカリプス内の一部の者のみであった。

 コードリライトのもたらす影響を知るため、経過観察を行い、そして、それらの詳細は、日記という形で記され総二郎から亮二へと引き継がれていたのである。


 当時、研究員であった東雲総二郎はその優秀な頭脳を買われて、当時のアポカリプス所長の佐保子の父から健常者へのコードリライトの作用を研究する様に言われた。助手として、同研究所内に勤務するローラ・沢上が一緒に研究する事になった。亮二の祖母である。映像でしか知らないが、笑顔がチャーミングな女性である。彼女は愛子(亮二の母親)が幼い頃に事故で亡くなり、それ以来、愛子と研究一筋の祖父との仲は徐々に険悪なものになっていった。

 祖父の残した日記によれば、健常者へのコードリライトの影響の多くは、コードリライトの最後と同じように、細胞が溶けて死亡するという結果だった。そしてその殆どが、細胞が溶け出す前に尋常ではない身体の痛みを訴えている。


 被験者の分布を性別や年齢、既往歴や果ては細胞の誕生から一日単位で細かく分類し、DNA投与のサンプリングを開始した。すると、ある特定の条件の被験者には細胞が溶け出す兆候が見られず、代わりに異能力の発現という形で現れた。

 それ以来、同研究は原因究明のために続けられていた。

 だが、祖父の日記によれば、本来の健常者へのコードリライト研究の目的は別にあったようだ。




 睡眠のリズムを測れるカプセル型のベッド内、心地よいタイミングで起床できるように耳に優しいメロディーのアラームが鳴る。

 食事の前に簡単な計測と軽い運動。食事の後に異能力の測定を行う。

 その後、それぞれの能力の訓練が待っている。

 それが、ネオ・グラビティの日常であった。



クレア・モリソン 14歳 

 オリジナル異能者(邪眼子)F

 元アンダーグラウンド市民 

 旧市街区で亮二に拾われた

 姉が妊娠して出産費用やその他のお金の為に

 ネオの研究へ参加した



柳田 イト 14歳 

 オリジナル異能者(精神系)F

 先天性で下半身の神経麻痺で生まれた。

 治るならとネオの研究へ参加した

 東雲総二郎とイトの祖父、柳田牧生が友人



リオ・タランスキー 14歳 

 セカンドキャリア M



メイ・エリクソン 15 歳 

 セカンド異(念力系)F

 ユーリの妹



ユーリ・エリクソン 16 歳 

 セカンド異(電気系)M

 メイの兄



 

「リョージ。クレアが戻って来ないわ。連絡も取れないの」

 車椅子のイトが亮二を呼び止める。ブレスリングでの連絡だけではなく、思念が届かないのだろう。

 元々学校へ行っていないイトやネオで育ったユーリ達と違って、クレアは家族が彼女に教育を受けさせたがった。故に、アカデミーへ通っていたのである。

「クレアを探せるか?」

「やってみるけど・・」

 イトは精神を集中させた。

 多数ある思念の中から、クレアを探し出そうとしたが、見つからない。いつもなら呼びかけると、彼女の意識が見つかるのに。

「ダメ。いないわ。意識がないか、私が探せる範囲にいないのよ。リョージ、どうしよう」

 他のネオの子達が集まってくる。クレアは家族がガラテアにいるため、アカデミーから直接ネオに帰って来ないことがあった。だが、連絡が取れないことはない。

「様子を見てくるわ、リョージ」

「メイ。一緒に行くよ」

「ありがとう、ユーリ」

「サリー、正式な住所をブレスリングに送ってちょうだい」

「ガラテア4区2-1246ですが、既に退去しております」

「え?」

 メイとユーリは互いに顔を見合わせた後、亮二に視線を向けた。

「家族までいなくなったのか」

 亮二はブレスリングで緊急コードを告げた。

「佐保子。話がある」





「それで、ネオの子達にクレアを探しに行かせたの?」

「いや。家族もいなくなったんだ。何者かが手引きしたに違いないし、クレアを選んだという事は、こちらの事情にも詳しい人間の仕業だろう」

 ここは佐保子の部屋である。いささか疲れた様子を見せた佐保子はこめかみを抑える。

「何だってこんな時に・・。いいわ。アカデミーにはこちらから連絡を入れておきます。それで、・・目処はついてるの?」

「さあ、どうかな。佐保子。君の方には心当たりがあるかい?」

 佐保子は驚いたように亮二を見つめる。

「バカ言わないで。私にあるわけがないじゃない」

 亮二は佐保子の真意を探るようにジッと見つめた。

「サリーは既に退去していると言ったぞ。そんなオーダー(命令)を出した覚えは、僕には無い。ここで、そんな事が出来るのは・・」

「ええ。私か、イアンね。わかったわ。それは、こちらで調べます」

 佐保子の力強い眼が、東雲を捉えた。




 それが昨日の出来事である。

 亮二は自室のソファに座り、置かれてある水槽の中で泳ぐ魚達を見つめる。

「コモンウェルス・ネイションズ・・」

 祖父の日記の中に書かれてあった機関である。最初のオリジナル達がネオから逃亡し作ったとされる。その後、消息は不明という事だった。

 クレアは異能力者である。一般の地球市民がそう簡単に誘拐できるとは思えない。ましてや、家族も一緒だとすると相手も能力者の可能性がある。それも、個人ではなくて組織の可能性が。

「ハイジ探しは彼らに動いてもらおう」

 亮二はハイジ達のようにコードリライトを受けていて異能力が発現した人間達をD(Derive)異能者と名づけていた。派生という意味である。

 クレアのいなくなった次の日に、ハイジが動き出した。

「ハイジ・リオルッサか」





























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