第15話 秘伝の譜の禁忌 《冴えわたる月の夜に…の巻》

 皆さま、お久しゅうございます。

わたくしは、さる楽家に生をうけました"景時と申すものでございます。

楽家とは、雅楽を代々継承していく役目を負う家のことでございまして、わたくしも父から楽を習い、また舞を納め、それを次の代へと受け継いでいく家督者でございます。

楽家にはそれぞれに“秘伝の譜”というものがございます。

これは門外不出で、大切にしなくてはいけません。

家宝なのですから・・・。


 今宵は、その門外不出であるべきの秘伝の譜のお話をさせていただきます。


どこにでも、禁を破る輩の話は耳に届きます。

しかし実際、その禁を破ったが故にきつい処罰を受け、どの様な悲惨な目にあったかという話まではなかなか聞き及びません。

しかし・・・その話が実際にわたくしの仲間のうちから出てしまったのでございます。

その方は、幼い頃からわたくしもよく知っていた昌尚(まさなお)というものでございました。

琵琶の腕前は天下一品との名の通り、見事な腕前でございました。

ある夜・・・朱雀大路で偶然にもすれ違ったのでございます。

お互い牛車なのに気づいたのは、その音色でございました。

わたくしの愛笛“もみじ”と、昌尚の琵琶が音色でぶつかったのでございます。

わたくしは帰路の途中で、昌尚は“公家の方に呼ばれたのだ”というその様子が、どこかの姫ではないか?というひらめきを呼ぶような艶っぽい感じがいたしましたので、深くはお聞きしませんでした。

それは・・・大人のたしなみでございます。

辺りは薄暗くなるころ・・・ちょうど、月が冴え冴えとのぼってくる頃でございました。


 やはり、今宵の月は輪郭が金色に輝く、見事な丸い月でございました。

わたくしの懐のもみじもそわそわとしてまいりましたので、わたくしも今宵の月に任せて息を吹き込むことにいたします。


 その頃・・・昌尚はわたくしの思惑通り、愛しの方のもとで琵琶をつまびいておられました。

男のわたくしでも、このような見事な琵琶を自分の傍らで奏でられましたら、恋におちてしまうでしょう。

音色とは・・・奏者の心に微妙に感応致すものでございます。


「昌尚様の琵琶には、不思議な力が宿っておりまする。」

うっとりとした様子の姫がおっしゃいました。

「さようですか?」

「わらわの心の奥から、何かを盗み出してしまうような・・・そんな抵抗することすら放棄してしまうような不思議な力が・・・。」

昌尚は月の光の下で艶めかしくうつる姫に、心から惚れているのでございます。

二つの影が重なり、琵琶の音が自然に闇に吸い込まれる頃・・・。

御二人の蜜時をお迎えになりました。

そんな時は早く駆け抜けてしまい、気がつくと月はもうその重さに耐えかねたように傾いております。

起きだそうとする昌尚の肩から、さらりと羽織っただけの上着が落ちます。

その肩を引きとめるかのように、姫の細い指がまとわりつき

「もう、お帰りですの?」

と引きとめにかかります。

「ええ・・・。月があのようにいつまで持ちこたえていられるかわかりません。あっという間に沈んでしまうことでしょう。」

そういうと、姫は悲しそうな声でこうおっしゃいました。

「ならば・・・私の願いを聞いてくださいますか?」

「どんな願いでしょう?」

「秘伝の譜を・・・。貴方の真心の重さと秘伝の譜とどちらが重いかしら?」

「それは・・・どなたの頼みでもできませぬ。」

そう強く言う昌尚に、姫はポロポロと涙を見せたそうでございます。

女の涙に弱いのは、男の共通の弱みでございましょう。

「では、さわりだけを・・・。そして、これが限りでございますぞ。」

昌尚は自分にも強く言い含めるつもりで、そう言いながらも秘伝の譜のさわりを演奏することにいたしました。

ほんの一節・・・のつもりが、不思議とすらすらとでてきてしまいます。

止めよう・・・と思っても自分の意思が全く機能いたしません。

そしてもう、ここまできたら止めることはできませんでした。

昌尚は演奏を終え、ぐったりと全身の力を使い果たしたように、その場に倒れこんでしまいました。


それから・・・いく日経ったか!のでしょう?

昌尚と顔を合わせたのは、神社での合わせ稽古の時でございました。

あまりのやつれ様に、驚いて言葉もありません。

「昌尚・・・どうしたのだ?この姿は?」

「あ~、景時か。久しいな。」

「姫に会いに行く時に、朱雀大路で会ったであろう?あれ以来だな?

その後、姫とはどうだ?」

いつの時代も、男同志の会話はこういう感じで始まることが多いものです。

「姫は・・・毎日、会うているぞ。」

「毎日か!それは息災だな。では・・・。」

話を短く切ったのは、懐のもみじが騒いでいたからでございます。

人気のない場所で、もみじを磨くふりなどして尋ねてみました。

「一体、何を騒いでいる?」

「景時、わからぬか?あやつは、もうすっかり吸われておるわ。」

「吸われている?」

「命の火を、妖しの者に吸われているのじゃ。だから・・・このままいけば、死ぬか怪しに変化するかじゃ。よいのか、このままで。」

「良いわけなかろう!どうしたらいいのだ?」

「怪しの姫が奪った秘伝の譜を取り返すしかあるまい!」

全くのいきさつの分からないわたくしに

「景時は時として、面倒くさいのう~。」

と、もみじはあきれながら言い、昌尚と怪しの姫との秘伝の譜のいきさつをかいつまんで説明されました。

わたくしは昌尚のような真面目で好い男が、楽家の家宝とも、命ともいえる秘伝の譜を自分の色恋で、簡単に姫に聞かせた事のほうが衝撃でございます。

ただ・・・いくら秘伝の譜といえども、楽士や楽家という家柄ものでなければその重さや価値は推し量れず、無用の長物と成り得ます。

今回の昌尚のように、怪しの者に狙われて奪われたとなると、話は変わってまいりますし、相手はその価値を十分わかっているという事でしょう。。

それゆえ、もみじも景時にただならぬ注意を与えたのでございます。

同じ術にはまってしまう危険性も、もちろんあるからでしょう。

(ということは・・・わたしの秘伝の譜も吸われる?)

そう思うと、これはわたくしのやるべき仕事ではないように思います。

「やはり陰陽師様にお願いしたら・・・。」

「景時、さっき申したであろう?楽の価値の分からぬものには無理じゃ!」

(だから・・・わたしか?それはおかしいぞ!)

もみじは、

「しつこい!」

そう一言叱咤した後は、口を聞いてくれませんでした。


昌尚が入り浸っている荒れ果てた屋敷に、わたくしが引っ張られるかのようにたどり着いたとき、怪しの姫はもうすでにその秘伝の譜を、琵琶でつまびいておりました。

青い炎のような光が飛ぶ中に、昌尚は正体のない目をしたまま座っておりました。

「昌尚、しっかりしろ!」

「おや、今宵は楽家の仲間を連れて来てくれたのかえ?あな、うれし・・・。」

「いや、返してもらいにきた!」

景時がはっきり怪しの者にいい放ったとき、もみじは懐で

(いいぞよ、景時!)

と喜んだ。

「そうはいかぬわ。せっかくの秘伝の譜じゃ。返すわけがなかろう?」

「そなたには、必要のないものじゃ。」

「いや!わらわも秘伝の譜を奪われた身じゃ。奪われたものを取り返して何が悪い!」

「お前は・・・もうこの世には居ない。あの世の身ならば、いさぎよく自分の行くべき所に帰れ。秘伝の譜は子孫へ口伝してその価値があるものだ。お前だけのものではない!」

「小賢しい戯言を言いおって・・・。お前の秘伝の譜も吸いとってやるわ!」

景時はもみじを取り出し、とうとう怪しの者と対決する羽目になったのでございます。

景時がもみじで奏でるその譜を聞いて、怪しの者は

「ちがう、ちがう。その譜は聞いたことがある。秘伝の譜ではない。」

と怒りだしました。

「そうか・・・。ならば・・・これはどうだ?」

と、景時が言えば

「え~い、違うと言っておるのにぃ~。」

と怒りだす始末でございます。

景時は、一晩じゅうのらりくらりとこの作戦をして、怪しい者と根競べをいたしました。

夜が明けるころ・・・さすがの怪しの者も精も根も尽きはて最後にはこう言ったのでございます。

「おまえ・・・相当しつこいな。もう、分かった。秘伝の譜は返す。」

「そうか・・・。わたしが今まで奏したこの曲だって、いつまで伝えられるかわからんぞ。そうなれば・・・今宵の曲のすべてが幻の秘伝の譜になるかもしれぬ。」

「あながち間違いでもない・・・。」

怪しの者はそういうと、疲れ果てた様子で夜明けとともに、自分の世界へと帰って行ったのでございました。


昌尚を引きずる様に連れ帰り、その後、程なくして、体を持ち直したそうでございます。

昌尚は未だにうっとりと、そして、しみじみとよく申します。

「あの時の姫は、この世のものとは思えぬほどいい姫君であった。」と・・・。


 「景時が怪しの者に打ち勝つとは・・・。ほんに、景時のしつこさは武器でもあるのじゃな。愉快・・・愉快。」

もみじは、完全に面白がってわたくしをからかいます。

陰陽師ならば術も使えるでありましょうが、わたくしが身を守るとなれば楽しかございません。

必死ながらも、唯一の武器でございました。

怪しのものにまで、“しつこい”・・・と言われたわたくしは相当しつこいのでしょう。

                            景時 記

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もみじと景時 @jennifer0318

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