1.青年の辿り着いた場所。







 ――僕はずっと、その景色を求めていた。




 澄んだ空気。

 木々が生い茂る森の中で僕は一人、大の字になって寝転がっていた。

 お気に入りの場所。見上げた木々の隙間から見える空には、満天の星空があって。三日月はこちらに微笑みかけているように思えるのだった。


 いつからだろう。

 僕はそんな場所を追い求めていたんだ。









「ん、うぅ……?」



 身体がやけに重い。

 だけど、動かせないほどではなかった。

 視界はまだ不明瞭。手で目をこすりながら半身を起こすと、そこにあったのは知らない一室だった。殺風景ながらも、整理整頓の行き届いた空間。


 木造の建物なのだろうか。

 板張りの床や天井を確認して、俺はふと記憶を手繰った。



「あ、れ……? 俺は――」



 ――冬の水に、身を投げたはず。


 それなのに、今は温かなベッドの中にいた。

 もしかしたら誰か、通りがかった人が助けてくれたのかもしれない。そうだとしたら、感謝しなければいけないのだろう。


 危うく命を落とすところだった。

 そんな俺を救ってくれたのだから……。



「あら、起きたのね」

「ん……?」



 そう考えていると、不意にそんな声が聞こえた。

 おそらくは、助けてくれた恩人だ。まだまだ幼い少女のような声だったが、それは些末事だろう。俺はゆっくりと、声のした方へと目をやった。


 そして――。




「――え?」




 そこに立つ女の子の姿に、声を失うのだった。



「どうしたの? そんな、信じられないものを見る目をして」



 腰ほどまである滑らかな金の髪に、青の瞳。

 背丈はさほど大きくなく。年もまだ十代前半だと、そう思われた。

 身にまとうのは西洋の神官服――それにしては、やや軽い趣だが――だ。そんな彼女は俺を見ると、小首を傾げながらこちらに歩み寄ってくる。



「事情は分からないけど、行き倒れを助けないわけにはいかないからね。もっとも、アンタの場合はなにか訳あり、って気もするけど……」



 そう語る少女。

 しかし俺は何も言えず、ただため息をつく彼女を見つめていた。

 そうしうていると、不意に少女はこう口を開く。



「そうね、まずは自己紹介しましょ。私は――」



 だが、俺はそこで口を挟んだ。

 ようやく絞り出した、かすれた声で。



「セシリア・アーデルエイム……」――と。





 【ファンタジア・ワールド】の中に出てくる、ヒロインの名前を。










「……なるほど、ね。アンタは私をその【げぇむ】ってので見たことがある、と」

「あぁ、なにを言ってるんだ、って感じだけど……」

「…………」



 俺が説明をすると、セシリアはどこか考え込むようにしていた。

 ベッドの隣に置いてあった小さな椅子に腰かけた神官少女は、その整った眉にしわを寄せている。それもそのはず、俺の発言は狂っているとしか思えなかった。


 ゲームの登場人物が目の前にいて、喋っているなんて。

 普通に考えたら、怪しい人物だ。しかし――。



「あいつなら、何かやりそうね……」



 セシリアはそう言うと、深くため息をつくのだった。

 どこか納得したようにして。俺はその反応に首を傾げてしまったが、どうやら彼女の中では合点がいったのだろう。

 そして、こちらを見た少女は仕切り直すようにこう訊いてきた。




「ところでアンタ、名前は?」――と。




 ひとまず、話を進めようといった感じに。

 セシリアはまっすぐに、俺の瞳を見つめてきた。だから――。




「…………あ、れ?」




 彼女に名前を告げようとした。

 だが、その時である。



 俺は背筋が凍えるような錯覚を抱いた。




「どうしたの?」

「あぁ、いや――」




 訝しむセシリア。

 そんな彼女に、俺はまた絞り出すような声で答えるのだった。




「分からない。自分の名前が、分からないんだ……」――と。




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どこか懐かしい、この世界で。~不遇なまま命を落とした青年は、辿り着いた異世界で幸せを求める~ あざね @sennami0406

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ