どこか懐かしい、この世界で。~不遇なまま命を落とした青年は、辿り着いた異世界で幸せを求める~

あざね

オープニング

プロローグ ただ報われない、一人の青年。








「今日はなんとか、日付が変わる前に帰ってこれたか……」




 俺はそう呟いて、なるべく音を立てないようにボロアパートの一室に入る。築五十年というだけあって、隣人の生活音が聞こえてくるのは当たり前。だから俺も、最大限に配慮して生活をしているのだった。

 社会人になって三年目。

 高校卒業と同時に働き始めて、今年で二十一歳になった。



「さて……。ようやく、飯が食えるな」



 気付けば立派な社畜である。

 夜遅くまで仕事をして、寝るためだけにアパートに戻る。

 朝日が昇れば眠い目を擦りながら、また会社へと向かうのだった。それも三年が経過すれば、いよいよ慣れてくる。

 残業代の支払いはおろか、給与の金額すら怪しい。

 それでも俺には取柄というものがなかった。


 だから、せめて今の職場には一生懸命にしがみ付かないといけない。

 たとえ『人間扱い』されずとも……。



「それにしたって、寝るまで時間があるな。珍しい」



 軽食を摂って、シャワーを浴びて。

 俺は髪を乾かしながら、時計を確認して思った。



「…………ふむ」



 今日はやけに早く帰るよう促されたこともあったが、そうなると今度は手持無沙汰。いつもなら布団に潜り込んで爆睡、という流れだが、今日はまだ眠くもない。

 そのため、久々に何かしらの時間潰しをしたい。


 そう思って、俺はふと型落ちのノートパソコンを起動した。



「でも、時間を潰すにしても何をすればいいのか…………ん?」



 そして、すぐに一つのアイコンを見つける。



「このゲーム、まだ続いてたのか」



 それはいわゆる、ソーシャルゲーム、というやつだった。

 友人の乏しかった高校時代。そんな俺が唯一、多くの人と交流を図ることができた場所。それがこのゲーム――【ファンタジア・ワールド】だった。

 キャラクターの造り込みや世界観、そして神話などといったものへの造詣が深い。一部のマニアの間では、それなりに評価されていたゲーム。



 クリックして起動すると、懐かしい光景が広がる。

 世間ではVRMMOやら、仮想現実が持て囃されている昨今だが、俺にとってはこれくらいが心地よかった。それに何より『懐かしい』のだ。



「久々に、少しだけプレイしてみるか」



 俺は郷愁に駆られたような感覚で、手を動かし始めた。

 その夜は久しぶりに、楽しい時間を過ごせたと思う。

 幸福な、時間だった。




 でも、俺は知っている。

 幸福な出来事の次には決まって、悪いことが起こるのだ――と。







「……それって、どういうことです、か……?」

「あぁ? 分からねぇのか――」




 翌日、俺が出社するとそこに居場所はなかった。

 自分のデスクがあった場所には、なにもない。慌てて直属の上司に声をかけると、まるでゴミを見るような目で彼は言ったのだ。



「――クビだよ、クビ!」



 ハッキリと。

 あまりに唐突な宣告を。



「そんな!? あんまりでしょう! 非常識だ!!」



 俺は思わず声を荒らげた。

 それもそのはず。こんな横暴が許されて良いわけがなかった。

 しかしこちらの言葉を鬱陶しそうにしながら、上司は続けるのだ。



「うるせぇな、負け犬。キーキー騒ぐんじゃねぇよ」

「なっ……!?」



 あまりの扱いに、思わず声を詰まらせる。

 それでも俺はまだ冷静だったのか、すぐにこう言い返した。



「今すぐ、労働基準監督署に訴えてきます……!」



 こんなの、不当解雇も良いところだ。

 たしかに俺には取柄もない。それでも、ルールというものがあって――。



「あぁ、それだけどな……」



 しかし、上司は口角を歪めて言うのだった。




「労基には、俺の親父がいるんだよ。だから無駄だ。これくらいのこと、簡単に握りつぶせるからな!」

「え……?」




 そこで、俺の思考は完全に停止。

 すぐに分かった。


 これはもう、勝ち目がないのだ――と。




「それじゃ、元気に暮らせよ? ――負け犬」




 皮肉交じりに、上司は俺の肩を叩いて激励する。

 そこから幾ばくかの記憶は、なかった。










 気付けば俺は、見知らぬ公園にやってきていた。

 どうやってここまできたのか、それも分からない。帰り道も分からないし、これからどうすればいいのかも、まるで分からない。


 いいや。

 だからこそ、これは好都合だったのかもしれない。



「…………」



 冬の寒空の下。

 俺はぽっかりと浮かぶ三日月を見上げた。

 まるで、こちらを冷笑しているようなそいつ。



「……あぁ、でも」



 そうは思ったが、もうどうでもよかった。

 だって、俺にはもう帰る場所がないのだから。あの上司に言われたように、誰にも必要とされない負け犬。それに、違いなかったから。

 笑われて、馬鹿にされて、捨てられて当然だった。


 昔からそうだ。

 俺はこうやって疎まれ、蔑まれ、孤独になる。


 今さらな話だった。

 それでも、辛い。辛かった。




「…………」




 フェンスの向こう側に、大きな池がある。

 気付けば俺は、ゆっくりとそこへ足を踏み入れていた。

 身を刺すような感覚。冬の冷気によって、水は氷よりもさらに鋭く。




「あぁ……」




 ――意識が遠くなる。



 だけど、これでようやく終われるのだ。

 俺はそう思ってゆっくり、目を閉じるのだった……。









「まったく、あの駄女神……」




 一人の少女が、森を歩いていた。

 服装は神官のようであるが、舌打つ姿には清らかさがない。

 そんな彼女は金の髪を風になびかせながら、大きなため息をつくのだ。



「なにが、面白い落とし物がある、よ。人使いが荒いっての……」



 そして出るのは、自身が仕えるはずの神へ対する不満。

 猫背になって眉をひそめながら、少女は文句を垂れ続けた。



「拾ったら好きにして良い、って言ったって。――金目の物じゃなかったら、ただじゃおかないんだから」



 いつもなら、突っぱねて拒否するような案件。

 しかしながら今の少女の懐事情は、なんとも悲しかった。

 だから、こうやって神に言われた通りに森へと足を運んだのだ。



「さて、そろそろあの駄女神の言ってた場所だけど……?」



 ブツブツと呟きつつ。

 彼女は、ふと背の高い草を掻き分けた。すると――。



「え、これって……」



 そこには、一人の青年がいた。

 眠っているのだろうか。


 静かな呼吸を続けながら、彼はただそこにいた。



「はぁ……。そういうこと、ね」



 普通なら慌てる場面だろう。

 しかし、少女はすぐに何かを察したらしい。



「分かったわよ、アルテミシア……」



 額に手を当てながら。

 呆れたように、神の名を口にするのだった。



 

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