番外 その後の勇者商売
第一章 激動の時代
江戸時代終了! ほうき星と黒船!
そしてその日の本を預かる武士の頂点。第十二代将軍
真皇との激闘で片腕を失い隻腕となった家晴だったが、実は彼には剣以外にももう一つの嗜みがあった。それは即ち――――。
「うむ……今宵の星々の美しさもまた格別の物。このような晴れやかな心持ちで見る輝きは、やはり何物にも代えられぬものだな」
そう言うと家晴は、再建されつつある江戸城の二階張り出し部分に設置された細長い円筒形の器具――――天体望遠鏡を覗き込んで穏やかな笑みを浮かべた。
そう、将軍家晴の密かな楽しみ。それは天体観測である。
幼い頃より昼は剣に励み、夜は頭上に輝く星々を眺める。それこそが家晴のライフワークであった。
家晴は頭上で基点となる星を定め、そこから別の星までの距離や動き、輝き方の変化などもつぶさに捉えて書に書き記すと、再び望遠鏡を覗き込むことを繰り返す。
当初は趣味が高じて始まった天体観測だったが、実はすでにこの頃の家晴の観測術は、当時の天文学者にも匹敵する程であった。
家晴は長崎出島より来訪する蘭学者から天体に関する様々な指南を受けており、今では天文の専門家ですら家晴の知識に舌を巻くほど。
将軍として、江戸の民を守る剣士として。常に気を張る家晴にとって夜空を眺めるこの時間こそは、唯一の心安まる一時だったのだ。しかし――――。
「む……これは……っ!?」
天体望遠鏡を覗き込む家晴の顔色が変わる。今までどのような強敵相手にも戦慄することのなかったその表情が驚愕に見開かれ、その額から冷たい汗が流れ落ちる。
「ほうき星――――しかもこれは、なんと巨大な――――!」
将軍家晴が望遠鏡越しに見つめる夜空の先。そこには真っ直ぐに江戸めがけて迫る、超巨大な青いほうき星が映っていたのであった――――。
――――――
――――
――
「
「ありがとう
まだ日が射して間もない早朝の神代神社。
家の奥からはパチパチと火の燃える音と共に、炊事場特有の煙と炊飯の香りが漂っている。
それは腕まくりをしてせっせと衣類を洗っていた奏汰にも、一日の始まりを告げる日常の光景だった。
「んー……いい匂い! 今日は
「お見事っ! 正解です! それに、昨日
淡い橙色の着物をぴったりと着こなし、その所作にも女性らしさが見えるようになった
「いただきまーーーーすっ!」
「にゃっははは! 今日の秋刀魚はいつもより美味く焼けたのじゃ!」
「僕も大分ご飯の炊き方がわかってきました! お米や麦、ひえやあわの気持ちに寄り添う――――剣と同じですねっ!」
丁寧に片付けられた居間の中央。三人分が広げられた折敷の上に並べられた秋刀魚や雑穀飯、それに昨晩まとめて作られた冷や汁と甘辛く煮付けられたどじょうの佃煮。
今日も朝早くから大変な食事の用意をしてくれた凪と吉乃に奏汰は深々と頭を下げると、横に添えられた白菜の漬け物に早速手を伸ばし、いつものようににっこりと笑い、満足そうな声を漏らした。
「うまーーーーっ! うまい! 思うんだけど、江戸の料理って俺が子供の頃食べてた食べ物より、女神様の世界で食べてた野菜や魚に近い味がする気がするんだよな。食べ物の味が濃い感じ!」
「え!? すみません、味付け濃かったですかっ?」
「にゃはは、違うのじゃ吉乃よ。前にも奏汰は同じ事を言っておったが、奏汰の生まれた土地の魚や野菜はそれそのものがもっと薄味だったらしいぞ? なぜそのような事になっておったのかは知らんがの!」
「そうそう! 女神様に飛ばされた異世界の食べ物は俺の世界とは全然違ったから比べられなかったんだけど、食べ慣れたお魚とかご飯とかだと、全然違うのがわかるんだよ!」
「へええ……そうなんですね。奏汰さんの生まれた世界は僕もあの最後の戦いの時にちらっと見ただけでしたけど、確かにこう――――土の匂いみたいな物は全然感じなかったです」
「俺もずっと東京で暮らしてたから、女神様のところに行くまでは逆にそういう匂いとかも全然知らなかったんだ。今じゃ好きだけどな!」
そう言ってぱくぱくと朝食に手を伸ばす三人。すでに三人がこうして寝食を共にし始めてから三ヶ月以上が過ぎている。
互いの生活リズムや癖、そして役割分担などもすっかり慣れたもの。
真皇との戦いという脅威も過去のものとなった今、三人で過ごす平和な日々は、ますます仲睦まじい家族然とした様相になっていた。
「ごちそうさまでしたっ! あー美味しかった!」
「お粗末さまなのじゃ! 奏汰よ、今日は確か
「うん! 今度の秋祭りで出すお酒の蔵出しと、それを運ぶのを手伝って欲しいって言われてるんだ。ちゃんと勇者商売の話だから、お金も貰えるっ!」
食事を終えた奏汰に、凪が今日の予定を確認するように尋ねた。
奏汰の始めた新しい勇者商売はすでに軌道に乗りつつあり、最近ではすぐ近場の神田は元より、やや離れた日本橋からも仕事の依頼が舞い込むようになっていた。
「勇者の力がなくなったのに、奏汰さんって力持ちのままですもんね。もしかして奏汰さんが力持ちなのって凪さんと同じで、勇者の力とか関係ないのでしょうか?」
「うーん、どうだろう……ずっと全力を出してないからわからないけど、大分力は落ちてる気がするんだよな。今は凪の方が俺より力持ちなんじゃないかな?」
「にゃっふふふ……! 私は勇者ぱわーなどというけったいな物に頼ってはおらんかったからの! 生まれて三日目には身の丈より大きな木を引き抜き、一歳になる頃にはそこらの岩を軽々と握り潰して砂に変えておったのじゃ!(ドヤッ)」
「いやいやいや! 凪さんそこドヤッ! ってするとこじゃないですよっ! 怖いですよそんな赤ちゃんっ! そういうとこ
「あはははっ! 俺は別に弱くなっても全然気にしないよ。それでもまだ他の皆より力はあるし、今も皆の役に立ててるからさ!」
片付けを終えながらにこやかに会話を弾ませる三人。
このなんということもない日常の一時こそが、三人が命を賭けてでも守り抜こうとしたかけがえのない時間だった。だが――――。
「て、ててて、てえええへんだあああっ! 姫様っ! 勇者の旦那ぁっ!」
「にょにょ!? お主は馬三郎っ!? 突然どうしたのじゃ!? 今日はこちらから行くことになっておったはずじゃが……」
だがその時、神代神社の境内に血相をかえて一人の男が飛び込んでくる。かつて奏汰たち三人が初めて出会った麦湯屋の店主にして、本日の勇者商売の依頼主でもあった馬三郎である。
「そ、そんなこたぁもうどうでもいいんでさぁ! う、海に! 海に山みてえなばかでかい黒船が! た、助けてくだせぇ! 江戸中大騒ぎになっちまって……!」
「黒船じゃと!?」
「なんですかそれはっ!?」
「ああーーーーっ!? なんかそれ聞いたことあるぞ!? なんだっけ? いいくにつくろう鎌倉幕府?」
馬三郎のその言葉を聞いた三人は同じように驚きの表情を浮かべたが、奏汰だけはなにやら心当たりがあるようにその首を大きく傾げたのであった――――。
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