勇者商売


「えーっと……その、僕……じゃなくて! っ! っ! お待たせしました、奏汰かなたさんっ! なぎさんっ!」


「ははっ! しんくろ……じゃなくて……吉乃よしのかっ! なんかちょっと変な感じだなっ!?」


「にゃっははは! なーに、どうせすぐに慣れるのじゃ! その着物姿もとても良く似合っておるぞ、吉乃よっ」


 神代神社の境内けいだいの一角。奏汰たちが今も三人で暮らす平屋の前。


 僅かに息を切らした様子の新九郎しんくろう――――すでにその素性を世に明かし、すっかり可憐な少女の身なりとなった吉乃が、二人に向かって頭を下げていた。


「ええっ!? そうですか!? 似合ってます!? その……僕、じゃなくて私もまだ慣れてなくて……どこかおかしいところはありませんか!?」


「大丈夫! 凪の言う通り、とっっても可愛いと思うよ! なんたって吉乃はっ! だもんな!」


「のじゃのじゃ! 女の私から見ても見惚れる可憐さじゃぞっ!」


「フ……フフフ……っ! やはり! やはりそうでしたか……っ! フフフフ……フンフンフーンっ!? 実はっ! もしかしたらそうじゃないかなと思ってたんですよっ! 天才剣士はもうお終いですけど、これからはとして生きていきますのでっ! お二人とも覚悟しておいてくださいっ!(ドヤッ!)」


 そう言ってその胸をフンスと鼻息も荒く張って見せる吉乃。どうやら彼女が一人称を僕から私に変更するのはまだまだ先の話になりそうである。

 奏汰も凪も、そんな自然体の吉乃の姿に変わらぬ日常が戻ってきたことを実感し、柔らかな笑みを浮かべていた。


 三人を囲む周囲の木々の葉はすっかりと色めき、鮮やかな緋色の紅葉へと変わっている。


 ぐるりと視線を巡らせれば、奏汰と吉乃が毎日のように稽古をしていたご神木や、今も時折来客が訪れては賑やかになる馴染の縁側が、いつもと変わらずにそこにあった。そして――――。


「クックック……どうやら揃ったようだな。のためとはいえ、わざわざご苦労なことよッッ!」


「こんにちは皆さん。そして超勇者奏汰……本当に、今までありがとうございました……」 


「あ、こんにちは影日向かげひなた様! オペルさんも!」


「ああ! 二人とも気をつけてな!」


「影日向がこのというのはちと不安じゃが……他の神に偉そうなことを言って追い出されんように気をつけるのじゃぞっ!」


 三人が揃ったのを確認してその場に現れたのは、禍々まがまがしい瘴気しょうきほとばしらせて立つ大魔王ラムダと、美しい青い髪をなびかせた異世界の女神オペル。


 実は二人はこれからこの宇宙を飛び出し、から生き残った神々が集う会合へと出席することになっていた。


「ヌワーーーーッハッハッハ! 口の利き方に気をつけるのは奴らの方よ! 余の力はもはや凡百の神共を! もしもこの地の有り様や勇者システムの再興などという戯言たわごとを抜かす輩がいれば、即座に焼き滅ぼしてくれるわッ!」


「あの後、こちらにいらっしゃったぬえさんから聞きました――――『ねぼすけの神にを勧めておいた。暫くは他の神々も下手なことはできない』と――――私にも詳しくはわかりませんが、もしかするとあの方は、私たち現世の神々が存在するよりもずっと以前から満ちていただったのかもしれませんね――――」


「そういえば、玉藻たまもも似たようなことを言っておったのじゃ。数えきれんほどある世界の果ての果てには、神でもわからぬことがまだまだ広がっておるのじゃとな。もしそうならば、鵺にもいつか御礼をせんとのっ!」


「女神様はそのまま自分の世界に帰るんだろ? あっちに戻ったら、皆に俺は元気にやってるって宜しく言っておいてくれよ!」


「ええ……勿論です。きっと皆も喜びますよ……」


 すでにその赤い瞳を爛々らんらんと輝かせてやる気満々のラムダを余所に、奏汰はその身に眩い輝きを宿したオペルへと微笑む。


「よいか奏汰よ…………余が留守の間に凪を悲しませるようなことをしてみろ。勇者パワーを失って弱体化した貴様などもはや余の敵ではないが……貴様が我が最愛の娘を傷つければ即座に消し炭に――――」


「心配するなよ大魔王っ! 俺はもう絶対に凪から離れない! これからもずっと俺と凪と吉乃の三人で、みんなで頑張るよっ!」


「フン…………言うようになったではないか。それでこそ我が宿敵…………だッ!」


 奏汰とラムダは互いにそう言い合うと、固く握り締めた互いの拳をぶつけ合って不敵に笑った。


「どうか、これからは生きて下さい――――貴方はもう勇者ではありません。一人の命として――――貴方の願う未来を生きてください」


「言っておくが余はからなッ! 孫の顔だとかそういうのはぞッ! 良いなッッ! わかったか! 約束しろ超勇者よッッ!」


「あ、ああ! わかった! 気をつけるっ!」


「ま、孫……!? 輿入れもまだなのに……っ!? そんな……っ!?」


「のじゃー!? 奏汰と私は大恋愛でくっついたのじゃから特に問題なかろうにっ! 影日向の干渉はもう受けんのじゃーっ!」


 その言葉を最後に、女神オペルとは二条の光芒こうぼうとなって天へと昇った。

 残された三人は笑みを浮かべて大きく手を振ると、その光が見えなくなるまで空を見つめ続けていた――――。


「行っちゃいましたね……」


「うむ……ようやくこれで一区切りといったところじゃな……」


 その二人との別れに、少々の寂しさを感じさせる声で呟く吉乃と凪。しかしそんな二人の声を聞いた奏汰は――――。


「ははっ! 区切りとかそういうのはよくわかんないけどさ! 二人ともまだ時間あるだろ? 今から三人で町に行かないか?」


「え!? どうしたんですか奏汰さんっ!?」


「にょにょ! そうじゃった! 吉乃よ、実は奏汰はここ数日――――」


 突然の奏汰のその提案に驚きの声を上げる吉乃。凪は何か心当たりがあるのか、そう言えばという顔で吉乃に事の次第を説明しようとする。

 しかし奏汰は言うが早いか三人で暮らす家の中に飛び込むと、その両手にを抱えて戻ってくる。


「これっ! 新しい! しかも今度のは、ぜーんぶ俺が書いたんだっ! これを今から町で配ろうと思っててさっ!」


「ええええっ!? これだけの枚数、全部奏汰さんが書いたんですか!?」


「そうなのじゃ! 奏汰は吉乃が江戸城で色々やっておる間、せっせとこれを書いておっての。前のちらしは私が書いた物じゃったが、今度のちらしは正真正銘っ! 奏汰直筆なのじゃ!」


「もう鬼退治をする必要もないし、これからは皆の役に立つことならなんでもやろうって思ってるんだ!」


 奏汰の持つちらしを手に取った吉乃は、そこに『人助けいたします。なにかお困りのことがあれば、神代神社の超勇者剣奏汰まで!』と――――綺麗ではないが大きく元気な字で書かれているのをその目に留めた。


「いいですっ! とっっっってもいいですよ奏汰さんっ! 勇者の力はなくなっちゃいましたけど、やっぱり僕にとって奏汰さんは勇者ですからっ!」


「実は俺も迷ったんだけど、凪が吉乃とを言ってくれてさ――――本当に色々あったけど――――やっぱり俺は勇者だったおかげで皆を助けられたし、凪や吉乃と会えたんだと思う。だから――――俺はこれからもよっ!」


「うむ……奏汰はまだ出会って間もない頃、私に教えてくれたのじゃ。勇者とは、――――そのような立派な人物のことじゃと……」


 奏汰が抱えるちらしの半分ほどを受け取りながら、凪は奏汰の姿をまっすぐに見据えてそう呟いた。


「ならばじゃ――――たとえ力を失おうと、たとえ誰がなんと言おうと――――この凪姫命なぎひめにとって奏汰は誰よりも立派で、じゃ!」


「はいっ! 凪さんっ!」


 その凪の言葉に、奏汰と吉乃も力強く頷いた。そして吉乃は凪と同じく奏汰のちらしをさらに半分ほど受け取ると、にっこりと笑みを浮かべてぴょんと飛び跳ねて見せた。


「なら早速行きましょう! 新しい勇者商売……っ!」


「うむ! 私ら三人――――どこまでも、いつまでも一緒なのじゃ!」


「ああっ!」


 三人はそう言って互いの目を見合わせると、まるで軽やかな風のようになって神代神社の鳥居を抜け、小高い丘を駆け下りて江戸の市中へと走って行く。


 三人の進む先には大勢の人が行き交う江戸の街並みが続き、広大な町の回りを実りある稲穂の金と、色づいた紅葉の赤がどこまでも彩っていた――――。




 かつて――――望まぬままに勇者の力を与えられ、世を脅かす大魔王を討ち果たした一人の少年がいた。


 戦いの果て。少年は世を救ったが、なにより願った母の元に帰ることは出来ず、新たなる災厄の訪れと共に再びその手に剣を握ることになる――――。



 全ては、その目に映る人々を守るため。

 一つでも多くの命を守るため。


 たとえ未熟でも、たとえ間違っていても。

 少年は良かれと思ったことを成すために戦い続けた。


 誰かが少年のことを想い。

 少年が誰かのことを想う。


 戦いの中で芽生えた小さな螺旋は、やがて全てを照らす光へと帰結した。


 これからは、その光の中で生きていく。

 もう見失うことも、引き裂かれることもない。


 少年は日々を生きていく。

 

 その心はどこまでも晴れ。

 繋がれた三人の手は、もう二度と離れることはなかった――――。





 勇者商売 完 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る