エピローグ

お江戸は今日も


 季節は巡る――――。


 瑞々しい緑と蒼穹そうきゅうが駆け抜けた夏は終わりを告げ、金色の稲穂と紅葉に包まれた秋がやってくる。


 異世界で大魔王を倒し、超勇者が空から降ってきたあの夜から半年――――。


 収穫された稲穂を山積みにした荷押し車が道を進み、寺子屋帰りの人とあやかしの子供たちが、共に笑みを浮かべて砂利道の上を駆け抜けていく。


 広々とした路上に人々の往来が絶えることはなく、その賑やかさは日々増していくばかり。今日も広大な江戸の町のどこかで何かが起こり、夜になれば祭りの喧噪が闇を照らす――――。



 今も人々の営みは続いている。

 変わることなく、しかし少しずつ前へと進み、彼らの日々は続いていく。

 


「――――皆、大義であった。この家晴いえはる、何を持って其方らの武功に報いれば良いかわからぬ――――」


 再建が進む江戸城。かつての壮麗な本丸御殿とは違う無骨で質素な殿中でんちゅうで、隻腕となりつつもその命を繋ぎ、こうして再び幕臣の前でその健在を示した将軍徳川家晴。


 家晴はその穏やかな眼差しを閉じると、感謝の言葉と共にその場に集った臣下全てに対して深々とその頭を下げた――――。


 討鬼衆とうきしゅうを率いて見事帰還した四十万しじまは元より、殿しんがりを努めた愛助あいすけかなめもまた同じく深々と頭を下げる。

 その場に揃った者たちはそうしてただ無言で全ての終わりと、日の本を預かる者としての悲願が成就された事実を噛みしめた。


「此度、余からの報せはもう一つある。先の大戦で余に代わって見事総大将を努めた我が子についてのことだ――――吉乃よしのよ、こちらに」


「はい――――父上」


 その家晴の言葉と同時。上座に用意された裏手の扉が静かに開かれ、藍色の見事な仕立ての着物に身を包んだ少女が両膝を突いて現れる。


 深緑色の短い髪をさらりと流し、面を上げて双眸を見開いたその少女のあまりの美しさに、事情を知る四十万や一部の者以外の幕臣たちは、みな言葉を失って見惚れたという。



 徳川吉乃――――後の世に残された彼女の記録はあまり多くはない。



 しかし三百年の時を超えて続いた徳川の世において、女性の身で在りながら一時的に将軍の大役をその身に帯び、日の本を襲った災厄との決戦を勝利に導いたという彼女の記録は、千年の時を経ても人の世に語り継がれていくことになる――――。


 

「お父さん! こんなの拾ったー!」


「ん? ああ、それは……って、それは凄いね? CPUけど、今日はそんな物まで転がってたのかい?」


「うん! さっき寺子屋の皆と見つけたんだよっ!」


 江戸の一角に建つ真新しい平屋の中に、楽しげな親子の声が響いていた。


 フレームの塗装が剥げた眼鏡をかけ、七三に分けられたボサボサ頭をぽりぽりとかきながら山積みになったガラクタの中で作業を続ける父――――かつての緋の大位、れんと、丈の短い浴衣に身を包んだ日に焼けた活発そうな少女――――蓮の娘、風音かざね


 蓮は風音から板状の金属ともガラスともつかないを受け取ると、眼鏡のフレームを押さえながらしげしげと見つめた。


「この調子だと、本当に色んな物があっちこっちに落ちてそうだねぇ……これも私たちの世界とこの世界がなのかなぁ?」


 そう言うと蓮はそのモバイル端末を室内の机に置き、所狭しと置かれたガラクタの山を見つめた。良く見れば、それらは全てが精巧なプラスチックや金属、ガラスで出来ただ。


 泡沫うたかたの世界と滅びた世界の融合により、世界にはこういったかつての現世での遺構や遺物が大量に見られるようになっていた。

 今の蓮はそういった用途不明のガラクタを集めて再利用を試みる、変わり者のからくり問屋の主となっていたのだ。


「あははっ! わかんないけど、お父さんなんだか楽しそうっ! 私また皆と一緒に探してくるー!」


「あわわ……ちゃんと夕暮れには帰るんだよ。今日はひいらぎ君からもらったどじょうの蒲焼きがあるから……」


 落ち着く間もなく外に飛び出していく風音に、蓮は汗をふきふきそう声をかけると、再びガラクタの再生作業へと取りかかる。

 かつては現世の歴史を後追いするだけだった泡沫の世界も、これからはと運命を歩むことになるだろう――――。



「わはは! おい六さんっ! どじょう鍋追加じゃて!」


「はいよーっ! うちのどじょうは年がら年中いつでもうンめぇから! いくらでも頼んでオーケーよ!」


「まちも手伝うよー! もうお金だって数えられるし、お料理もできるんだからっ!」


「なら、まちは私と一緒にお勘定をお願いして良いかな?」


「はーい! 理那りなねえと一緒にやるーっ!」


 江戸の昼下がり。朝からの仕事を終えた職人衆が一斉に詰めかけた『神田どぜう煮売屋二番店』の店内。


 あまりにも熱心な六郎ろくろうのその働きぶりと才覚に惚れ込んだまちの父である信衛門しんえもんは、のを機に、かねてから計画していたのれん分けの第一陣を六郎に託したのだ。


「にははは! 俺ってばマジもんの天才だからサァ! なーにやっても上手くいっちゃう! 旦那サンのためにも、理那やまちのためにも、いつでもどこでもバリバリやるよォ!」


「ふふ……私もまさか江戸時代で女将になるなんて全く想像してなかったから新鮮で楽しいよ。それに、まちから姉さんって呼ばれるのもね」


「えーっ? 駄目なの? 私は全然変じゃないよー?」


「うん……そんなことないよ。なにもおかしいことなんてない……のは、いつだって当たり前のことだからね……」


 大繁盛する店内で、理那はそう言って深い優しさを湛えた笑みを浮かべ、自分を見上げるまちの黒い髪を撫でた――――。



「はははっ! ほんっとーに良かったよ! 玉藻たまもさんがいなくならなくてさ!」


「全く――――何が『これで最後です』じゃ! 全然普通におったのじゃ! 私の涙を返して欲しいのじゃっ!」


「ほほほ……いえいえ姫様、あの時はだったのですよ。私も一度は他の私の所に帰ったのです。そしたらですね――――」


 賑やかにあやかしの子供たちが走り回るあやかし通り。普段と変わらず寺子屋の授業を終えた玉藻の前に、笑みを浮かべた奏汰かなたとぷんすかと両手を振り上げるなぎが立っていた。


「そしたらも皆ね。とりあえず一度私がとして案内役を勤めることになったのですよ。なので今の私はそれはそれは強いですよ。恐らく、先の真皇しんおうも尾の一振りで消し飛ばせる程に――――」


「そんなにっ!? た、玉藻さんって本当に今までは閉じ込められてただけだったんだな……」


「にょわー! 強いとか弱いとか、そんなのもうどうでも良いのじゃ! ――――ならば、暫くはここにおるのじゃろ……? もう勝手にどこかに行ったりしてはいかんのじゃ! 私が、ちゃんとここにおると約束せいっ!」


 普段と変わらずその美貌をそでで隠し、目を細めてホホホと笑う玉藻。そんな玉藻に凪は憤慨した様子で詰め寄るが、しかし僅かに甘えるような仕草と共に彼女の手を握った――――。


「ええ……他の私もこの世界をとても楽しんでいるようですから、遠慮なくそうさせて頂きますよ。私も姫様をこうして見守り続けることができて、嬉しいですから――――」


 玉藻は握られた凪の手を優しく握り返すと、まるで母が娘にするかのように凪の小さな体を抱き寄せると、慈しむようにしてその身を包んだ。そして――――。


「じゃあ玉藻さん、俺と凪は塵異じんいさんと零蝋れいろうさんのところに行ってくる。また明日なっ!」


「畏まりました……あのお二人だけでなく、鬼との戦いで傷ついた多くの魂魄もお二人の姿を見れて大層喜んでいることでしょう――――どうか、明日も明後日もその次の日も――――またお目にかかれるよう――――」


「もちろんなのじゃ! 私も奏汰も、もちろんお主も――――皆そのために頑張ってきたのじゃからなっ!」


 そう言うと二人はしっかりと手を繋ぎ、笑みを浮かべて玉藻に手を振った。


 あやかし通りの奥へと進み、並び立って小さくなっていく二人の背。


 そんな仲睦まじい様子の二人の姿を玉藻はどこまでも穏やかな、全てを包むような深い愛情のこめられた瞳でいつまでも見守っていた――――。 



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