勇者の帰還


 陽が昇る――――。


 美しく広がる江戸の街に、どこまでもまぶしい光が射す。


 この街に住む人々にとって、それは当たり前の光景だった。

 この街で生まれ、この街で死ぬ。

 その間決して途絶えることなく訪れる日々の光景。


 多くの江戸の人々にとって、この朝陽が特別な意味を持つことはないだろう。


 。そうあることこそが彼らの願い。

 それこそが、今日この陽を昇らせるために全てを賭けて戦った人々の願い。


 明日もまたこの美しい陽が昇るとなんの疑いもなく信じ、またやってくる日々を疑いなく迎えられるようにする――――。


 その当たり前を守るために彼らは挑み――――そして、帰ってきたのだ。



「ああ……奏汰かなた……っ! よくぞ……よくぞ無事に……っ!」


「ただいま! 女神様っ!」


 眩い光に包まれ、江戸城の白洲の上へと帰還した奏汰たちを迎えたのは、青髪の異世界の神――――女神オペル。


 奏汰たちだけではない。世界を救うために旅立った現世の精鋭たちを出迎えるべく、その場には全ての事情を知る大勢の人々が集まっていた。


「はははっ! 不思議だな、前に大魔王を倒して帰ってきたときも、こんな風に女神様に出迎えて貰ってさ――――なんだか、凄く前のことみたいに感じるよ」


「奏汰――――貴方は私の世界だけでなく、この世界も守り抜いたのです。やはり貴方は勇者を超えた勇者――――でした。 ――――そして、貴方にそのような望まぬ道を歩ませてしまったこと――――全ては私の罪です。償いきれることではありません――――っ」


「ありがとう女神様――――でも大丈夫。もう、いいんだ」


 その美しい瞳に涙を浮かべて何度目かもわからぬ謝罪をするオペルに、奏汰は柔らかな笑みを浮かべて頷いた。



 真皇しんおうの闇は晴れた。

 牢獄は打ち砕かれた。


 神の怒りによって根絶やしとなった世界は癒やされた。

 一度は死に絶えたこの宇宙も、今は再び様々な場所でその命の鼓動を刻んでいる。


 気付けば、神々の軍勢は消えていた。

 無数の異世界もまた穏やかにたゆたい、何一つとして傷つくことはなかった。


 泡沫うたかたの世界と滅び去った地獄は

 泡沫の世界は現実となり、地獄をその土台としてこの地に根を張った。


 滅びた世界で失われた無数の命もまた、これから先の時で再びその産声をこの地で上げることになるだろう。



 全てを守り抜いた――――。


 滅び、全ての神々から見捨てられた自らの故郷。

 それを奏汰は救い、守り抜いたのだ。



 眩い朝陽に照らされた白洲の上をぐるりと見回せば、奏汰と共に戦った大勢の仲間たちが、各々の帰りを待ち続けていた人々と涙を流して抱き合っていた。


 人もあやかしも、武士も町民も皆笑みを浮かべて今この時を享受していた。そして――――。


「奏汰…………っ。やったのじゃな…………私らは、やったのじゃな…………っ」


「うん……っ!」


 なぎは泣いていた。薄汚れた天神の巫女装束のそでを握り締め、奏汰にしがみつくようにして泣いていた。

 嗚咽おえつを漏らし、誰はばかることなく肩を震わせて涙を零すその少女の姿は、もはや気丈な神代の巫女ではなく、年相応の少女のものだった。


「あ、あはは……っ。やった……。やりました……! 奏汰さん……っ。僕たち、本当に……っ! う……うぅ……うわあああんっ!」


「ああ……! ありがとうな、新九郎しんくろうっ!」


 新九郎もまたボロ泣きだった。冗談のようにその双眸そうぼうから涙を零し、見目麗しい顔をすすと涙と渇いた血で汚しながら泣いていた。

 新九郎も凪とは別の意味で、その小さな背に多くの物を背負い続けてきた。その重荷の全てが、今この時の皆の笑顔となって昇華したのだ。


 奏汰は最後まで自分を必死に支え続けてくれた二人の少女を慈しむように抱き寄せると、二人から与えられた温もりを今度は自分が返すように、静かにその身を支えた。そして――――。



「――――剣奏汰つるぎかなた


「エッジハルトさん……。それに、ミスラさんとキリエさんも……」


 一塊になってわんわんと泣く三人の前に、三つの人影が現れる。


 それはその肩と腕に四体の子龍を留まらせたエッジハルト。

 そしてミスラとキリエだった。


「俺たちが間違っていた――――最初から最後まで、俺たちはお前の――――いや、を信じようとせず、自らの罪から目を背け続けていた。あの男の言う通り、俺たちはとうに道を踏み外していた――――」


「許して欲しいなどとは言えません――――私は貴方の未来だけに囚われ、貴方を支える大勢の可能性に気付くことができませんでした。どのような罰も受けましょう」


「あー……あのっ、その……二人はとっても真面目だからこんなこと言ってるんだけど……ごめんなさいっ! 私たちもずっと悩んでて、でもそれ以外に方法がないって思い込んでて……! だから――――っ!」


「うん………わかるよ。全部、もうわかってる……」


 そう言って奏汰に頭を下げる三人の勇者。しかし奏汰はそんな三人を責めることなく、ただ一度だけ頷いて言った。


「俺、思うんだ――――みんながみんなずっと悩んで、誰かを傷つけたり、傷つけられたりして――――でも本当は目指してるのは同じで。きっと、今俺たちがここでこうしていられるのって、そっちの皆がやってきたことのおかげだった部分も絶対あったと思う――――だから、最後にぶっ壊れそうになった俺を助けてくれたのは、し――――」


「超勇者…………」


「許す許さないじゃない――――ただみんな、それが良いと思って頑張ってただけだ。敵も味方もなくて、みんながそうやって頑張ったから今こうなったんだ。もちろん、鬼がこの世界でやってきたことを全部許すなんて出来ないことだろうし、許せとも言えないけど――――」


 うんうんと首を捻り、なんとかして自分の考えていることを言葉にしようとする奏汰。しかしやがて自分でも何が言いたいのかよくわからなくなったのか、くるくると目を回してから――――数秒の再起動の後に再び満面の笑みを浮かべて元気よくこう言った。


「いいよっ! なんかよくわからないけど、そういうもんだろっ! まずはみんな、いっかいっ! 難しいことは全部、その後で考えればいいんだっ! なっ!」


 奏汰のその言葉が合図だった。エッジハルトたち三人の後方に、の輝きが一斉に現れる。

 それは神々によって真皇へと廃棄され、最後には奏汰と共に全てを救うために尽力した無数の勇者たちの命の輝きだった。


「超勇者……お前は……どこまで……っ」


「剣さん……この場にいる全ての勇者に代わり、心からの感謝を…………私は必ず、自らの罪を償うために再びこの地に戻ってきます…………っ」


 その奏汰の言葉は、だった。


 罪の意識と自らの使命の間で板挟みとなり、正しく動くことが出来なくなっていた全ての勇者の心と魂を解放する、だった。


 無数の勇者の光に包まれ、三人の勇者の姿もまた朧になっていく。


吉乃よしのさん……っ! 私も一度私たちの世界で姉さんのことをちゃんと整理したら、またここに戻ってくるからっ!」


「キリエさん……っ! 母様のことって……っ?」


 少しずつ上昇していく光の中から、キリエが新九郎に向かって声を上げた。

 新九郎は泣きはらした瞳をキリエに向ける。


「実はさっきね……私もの。私と一緒に帰らないかって聞いたんだけど――――姉さんったら、大好きな旦那様と吉乃さんがいるここに残るんだってっ! だから、私が姉さんの代わりにあっちでちゃんとお片付けしてあげないとっ!」


「ええ……!? そ、そうなんですかっ!?」


「そーなのっ! あのいっつも危なっかしかった姉さんが……すっかりって感じだった……吉乃さんも、もう少ししたら姉さんみたいになるのかな?」


 光の中、キリエは感慨深げにそう言うと、もはやはっきりとは見えない輝きに包まれながら笑みを浮かべた。


「またすぐに戻ってくるから……っ! 絶対にまた会おうねっ!」


「はい……っ! 待ってます! ! ここでっ!」


「うんっ!」


 その言葉を最後に、光は朝陽の中に溶けて殆ど見えなくなる。しかしその朝陽の向こうへと昇華するように昇る無数の虹は、早朝の仕事へと取りかかっていた大勢の江戸の人々の目を楽しませた。


「また会おう剣奏汰――――俺も必ず自らの罪を償うべくこの地へ戻ると約束しよう。そしてあの大魔王にも伝えておいてくれ――――とな」


「ありがとう剣さん――――貴方がで良かった――――」


「またねみんなっ! 吉乃さんも、奏汰君と仲良くねっ!」


「ああっ! 色々あったけど――――みんな! またなっ!」


 虹が昇った。

 それは朝陽に照らされた白い空を一直線に天へと昇る一条の虹だった。


 全ての勇者たちは、皆その魂が本来あるべき地へと帰っていった。



 否――――すでに彼らは勇者ではない。

 神が創り出した勇者という肩書きから解放された、ただ一つの命。



 ただ一つの命となって、思い続けてきた自らの家に帰った。



 全ての勇者は終わり、江戸の空に虹を残して帰還した――――。

 

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