最後の剣
「う…………っ…………?」
その途絶は、果たして如何ほどの時間だっただろうか。
闇は見えなかった。視界には歪にその輝きを増減させる極光の光。
その光は、最強の勇者アナムの健在を残酷なまでに示していた。
「っ……! ま、まだ……っ! ぐぅ――――ッ! ごほっ……がは……っ!」
瓦礫をどけようと力を込めた新九郎の全身に激痛が走る。
同時に、息をつこうとした新九郎の口腔から大量の鮮血が吐き出される。
致命傷だった。
折れた骨が内臓を傷つけている。
下手に動けば死に、動かずともやがて死ぬ。
新九郎は、自身の死が迫っていることを自覚した。
精鋭たちの束縛を受けたアナムを、新九郎は確かに斬り抜いた筈だった。
だが新九郎の記憶はそこで途絶えていた。気付けば自身はこうして倒れ伏し、今や立ち上がることすら覚束ない有様――――。
「はは……やるじゃないか。今のは……いい剣だった……よ……ッ! けど、それでもまだ僕には届かない……っ! 力の解放が、ぎりぎりで間に合ったよ……ッ!」
「く、そ…………っ」
霞む視界の向こう。
なんとか開いた瞳の先で、新九郎は片膝を突くアナムの姿を見た。
否――――アナムだけではない。四方にはアナムの不安定な極光に照らされて倒れる
見回せば、他にも大勢の精鋭たちがその身を傷だらけにして倒れていた。
皆生きているのか死んでいるのかも分からない。ただその全てが新九郎と同じく深い傷を負い、力尽きていることだけが理解出来た。
「今の君の剣…………それは本来、僕の持つ勇者の力だけを斬るつもりだったんだろう? 最後まで、僕を殺さないようにして…………そういうところ…………エリスにそっくりだよ…………」
「あなた、は……その、体は……っ?」
全身の激痛に耐え、なんとか瓦礫を押し出して立ち上がる新九郎。
その体は煤と血にまみれ、握り締めた愛刀はすでに二刀とも刃を失っていた。
しかし今の新九郎にとって、それらの事実は二の次だった。
なぜなら目の前のアナムの姿がぼやけ、その輪郭が歪になっていたのだ。
「わかるかい……? そう…………僕は幻。
「幻…………っ? 真皇に、作られた…………っ」
「はは……だからさっきの君の剣は効いたよ。僕の力の根源を断つ刃――――危うく、跡形もなく消し飛ばされるところだった…………見事だったよ」
アナムはそう言って新九郎に笑みを向けると、自身の光の収束を試みる。
しかし新九郎の
「だめかな……大きな力の制御は難しい……少し、欲張りすぎたかもしれない」
「アナム、さん……あなたは、一体…………っ?」
「さっきも言っただろう……? 元々、最強の勇者アナムなんて人間はいないのさ…………僕は、真皇の中で眠る大勢の勇者たちが見た夢…………もっと強ければ……どんな邪悪よりも、どんな神よりも強くありたいと願う、大勢の勇者の願いの集合体…………それが、僕だ…………」
「勇者の、願い…………」
徐々にその輝きを減じていくアナム。その身に纏っていた十三もの勇者の力が一つ、また一つと闇の中に消え、アナムという存在そのものが希薄になっていく。
しかしそんな有様でありながら、アナムは僅かにその瞳を閉じて大きく息をつくと、その光刃の切っ先を新九郎へと向けた。
「でもだからかな……僕には真皇の中にいるみんなの無念が誰よりもわかるんだ。志半ばで力尽きる無念……世界を救えずに罵倒される悔しさ……大切な存在と引き裂かれた悲しみ……そして――――」
アナムの白銀の
「そして――――ッッ! そんな誰一人として望んでいなかった未来を無理矢理背負わせ、ゴミのように廃棄した神への憎しみが! わかるんだよッッ! だから! 僕はまだ……ここで消えるわけにはいかない……ッ! あいつらに、神の命にこの剣を届かせるまでは――――ッ! 例え君たち全てをここで皆殺しにしても! まだ消えるわけにはいかないんだ……ッ!」
「そう、だったんですね…………だから、あなたは…………っ」
この人は奏汰と同じだ。
新九郎はそう思った。
いや――――真皇の中に眠るという大勢の勇者たちは皆、多かれ少なかれ
それらの悲しみが億を超えて積み重なり、アナムという彼ら勇者にとっての理想の姿――――どんな脅威にも決して負けることのない、最強の勇者という存在となって顕現したのだ。
今の新九郎には、彼らの辛さも悲しみも無念も――――その全てが手に取るように理解出来た。
奏汰という大好きな勇者と過ごした日々が。
自分を産み育ててくれた最愛の母の面影が。
そして立場は違えど、多くの人を救い守ろうともがいていた父の背中が。
その全てが、闇の中に囚われた勇者たちの悲しみを新九郎へと伝えていた。
「さあ、これで最後だ――――! 僕には……まだやることがあるッ! あの超勇者を止め……神を殺すッ! そして…………今度こそ僕が皆を救うんだッ! それが最強の勇者、アナム・ベル・イルナダームの使命――――存在理由だッ!」
「アナム、さん…………」
張り詰め、今にも破裂して霧散してしまいそうな歪な力の奔流。
アナムの見開かれた瞳は怒りと憎悪、そして悲しみに満ちていた。
億を超える勇者の感情を背負い、その身をなんとか維持するアナム。
そしてその身を文字通り焼き尽くしながら、アナムは力尽きる寸前の新九郎めがけ、自らもその輪郭がぼやけた一歩を踏み出す。
鬼気迫る様子のアナムに、新九郎はその震える手を僅かに掲げると、刃の折れた二刀をなんとか構えようとした。しかし――――。
『
その時、新九郎の胸に母の残した最後の言葉が響いた。
『――――倒さずとも良い。相手の気を呑む必要もない。お前が誰も傷つけたくないというのなら……ただ相手の心に寄り添うだけで良い。お前はお前のやり方で、自らの道を極めれば良いのだ』
その時、新九郎の胸に父が何度も語り続けた教えが蘇る。
『全部片付いたら――――新九郎がもう戦わなくて良くなったら。その時には、きっと新九郎の優しさが皆の役に立つ! 俺、新九郎と会えて良かったよ――――!』
その時、新九郎の瞳の先に、初めて思いを重ねた少年の力強い笑みが浮かぶ。
「奏汰、さん…………僕の…………剣…………僕に、できること…………」
霞む視界の中。ついに新九郎は気付く。
そして今までどんなに傷つき、どのような恐怖に怯えようとも決して取り落とすことのなかった二刀を、新九郎は手放した――――。
「……? 諦めた、のか……?」
「僕は…………諦めてなんていません。僕だって……ここであなたを倒して……奏汰さんのところに……早く、行かなきゃいけないって……っ。さっきまで、そう思ってました…………」
新九郎が踏み出す。その身に負った無数の傷口から鮮血が滴り、落ちる。
「でも……もうあなたを……倒すのは止めました……ふ、フフ……ふん、ふん、ふーん……見逃して、あげますから……感謝してください……」
「っ!? 何を……言って……っ?」
一歩、また一歩と。
今にも消えてしまいそうなその命の炎を燃やしながら、しかし一切の敵意を感じさせないまま無防備に近づいてくる新九郎に、アナムは動くことが出来なかった。そして――――。
「これが……僕の……最後の剣です…………」
「……っ!?」
新九郎はそのまま、もたれるようにしてアナムにそっと身を寄せると、朧となって不安定な輝きを発し、昇華していくアナムの光を優しく抱き留めた。
「少し…………一緒に休みましょう…………少し休めば……きっと、もっと良い考えが……浮かびます…………いつだって、心の余裕……です、よ…………」
「き……君は…………っ」
新九郎は最後にそう呟き、そのままアナムの体を暖めるように、慈しむように寄り添うと――――静かにその鼓動を止めた。
アナムはそんな新九郎のぬくもりに驚愕の表情を浮かべ、しかし今正にその命を失おうとする小さな背を支えながら、消えゆく自らの光の中で我知らず一筋の涙を零した。
重なった二人の影は眩い極光の昇華に飲まれ――――やがて、消えた。
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