最後の夢
「今日は皆様大変でしたねぇ! ほれほれ、こっちはもう始めておりますぞ!」
「うおおおおお!? ご馳走だ! 凄いっ!」
崩落した江戸城城郭内。
本陣総大将を勤める
まだ完全な闇は訪れていないものの、すでにあちこちに
全軍への顔見せと挨拶を終えた
「わっはっは! いよいよ明日の朝には鬼の本丸で最後の
「うむ……私らが留守の間、江戸のことは頼んだのじゃ!」
「ありがとうございますっ、ぬらりさん!」
戻ってきた奏汰たちを迎えたのは
ぬらり翁は未だ立派な正装に身を包んだ奏汰たち三人の姿に眼を細め、その皺だらけの顔をさらにしわくちゃにして何度も頷いて見せた。
「このぬらり……どうやら歳を取り過ぎましたかな……このような立派なお姿のお三方を前にして、万感の思いがわき起こるのを抑えることが出来ませぬ……っ。
「ああ! わかったよ、ぬらりさん!」
「にゃはは! そう心配せずとも、私も見違えるように強くなったのじゃ! 奏汰のことも新九郎のことも、私がまとめて守ってやるのじゃ!」
その瞳を潤ませてそう呟くぬらり翁に、奏汰と
「あはは……いや、その~……僕のことは新九郎のままで大丈夫ですよ。この戦いが終わったら、僕が女だってことも、
「おや? 𠮷晴様は幕府をお継ぎにはならぬと? 先ほどの皆々様の前でのお姿には、儂も大層立派なものだと感銘を受けておりましたのに」
奏汰たち三人を用意された豪勢な食事の前に案内しつつ、ぬらり翁は新九郎のその言葉に首を傾げる。
「元々、僕は弟たちが生まれるまでの代理でしたし……。僕はやっぱり皆を上から見下ろすのには向いてないなって……さっきも思って……」
「ははっ。確かにそうかもな! 俺も今までに何度かやったことあるけど、あれって大変だもんな!」
「はい。それに……」
新九郎はそう言って自らの手をそっと奏汰の手に重ねると、その様子を見ていたぬらり翁すら思わず見惚れるような可憐な笑みを奏汰へを向けた。
「僕はこうして……大好きな人と手を繋いで生きていきます。父上がそうあって欲しいと願っているように……鬼との戦いが終わったら、僕は吉乃としての生に戻ります」
「新九郎……」
新九郎に優しく握られた手を、奏汰は新九郎が痛みを感じないように、自分の固くひび割れた手で恐る恐る握り返した。
「いつか僕がたくさん歳を取って……同じように歳を取った奏汰さんに言うんです。『ふむふむ……あなたの手もすっかり柔らかくなりましたね。これなら僕から教えることはもう何もないです(ドヤッ)』って! それが……今の僕の夢ですっ!」
「うむ! 良くぞ言ったのじゃ新九郎! ならばこの
「ははは! 二人ともありがとな! なら俺は二人がむちゃくちゃ長生きできるように頑張るよ! そんでもって、もっともっと皆が楽しく過ごせるようにして、大変なこともしなくていいようにして……えーっと? とりあえず他にも色々ある! 頑張るっ!」
「うむ、うむ……! このぬらりも、皆様の夢が叶うよう祈っておりますぞ……」
そう言って口々に未来への夢を語る若い三人の姿――――その輝くような光景に眼を細めて何度も頷くぬらり翁の横に、今度は黒と金の着物を纏った
「フフ……本当に見る度に見違えるように立派になられて……。私がこの世界に舞い降りてから今日まで数千年の時を過ごしてきましたが……やはり人とは存在そのものが至上の
「玉藻……?」
その美貌に微笑みを浮かべ、隣に立つぬらり翁と同様に眼を細める玉藻。しかしそんな玉藻の姿に、この中で誰よりも彼女の姿を見続けてきた凪は不安げに眉を
「実は先日から思っておったのじゃが……お主一体どうしたのじゃ……? 近頃のお主の物言いは、聞く度に胸がざわざわして嫌なのじゃ……っ。まるで、もうすぐお別れになるような……とにかくそんな感じなのじゃ!」
「ホホホ……そんな感じじゃないですよ姫様。私は姫様が
「えっ!?」
「あ、姐さんっ!?」
「っ? な、なにを言っておるのじゃ……!? どういうことじゃそれは……!?」
その突然の玉藻の言葉に、凪だけでなく奏汰も新九郎も、そしてその場に居合わせたぬらり翁すら驚きに目を見開いて玉藻へと目を向ける。
「この前
玉藻はそう言って陣幕に区切られた空を見つめる。玉藻の視線の先には星の光が輝き初め、その光の先にはどこまでも続く虚空があるだけだった。
「神々の障壁がなくなり、この世と外界とが地続きになれば――――今の私が持つこの記憶も人格も、姫様や剣様の生き様を愛おしく思う気持ちもまた――――偏在する無数の私の中へと帰るでしょう。まあ……別に死ぬわけじゃありませんからご心配なく」
「ふざけるでないッ! お主が何を言っておるのか……私にはさっぱりわからん……っ! だがお主が消えるなど認められるわけなかろうッ!? 私は…………私がお主に……今までどれだけ世話になったと……!」
「ええ……良く存じておりますとも。姫様がそうして、私のことをどれだけ大事に思い、信を置いてくれているのかも……」
その蒼と黒の混ざり合った瞳に涙を浮かべ、縋るように玉藻へと詰め寄る凪。玉藻はそんな凪の小さな両肩にそっと手を置くと、まるで実の母が見せるような慈愛に満ちた笑みで凪を支えた。
「どうか――――この世のあかやしを頼みます。あらゆる世界を旅して回った私ですが、こうしてあやかしと人とが深く手を繋ぎ、共に笑い合って暮らす世はここだけです――――それがいかに尊いことか、今の姫様ならばきっとご理解できるはず」
そう言って笑う玉藻の赤い瞳の向こう。凪はそこに、玉藻が今まで見てきた無数の世界の光景が映っているように見えた。
数え切れないほどの滅びと絶望。そしてそれすらも押し流す無限の好奇心と大勢の人々の営み。
全ての家族を失い――――それからずっと母のように姉のように、家族として、そして友として自分を見守り続けてくれた玉藻の穏やかな眼差しに、凪は何も言うことが出来なかった――――。
「私が育てた大勢のあやかしの子らのため――――この世で暮らす全ての人ならざる者のため――――姫様は最後まで振り返ることなく、前を向いてお生きなさい。姫様の物語がこれからもずっと続くこと――――それこそが、私がこの世で願い見る最後の夢ですから」
「……っ。玉藻…………っ」
凪はその玉藻の言葉を聞き終わると同時。玉藻の胸へとその身を埋め、嗚咽を漏らして涙を流した。その光景は、まるで母との別れを拒絶する幼子のようであった。
別れと出会い。
全てが帰結へと導かれるその時は、刻一刻と迫っていた――――。
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