見極めるための来訪


 夕暮れ時から続いた最後の宴は終わりを告げた。

 夜空には煌々こうこうと輝く蒼い三日月。


 このまま眠りにつき、夜が明ければ決戦はすぐに始まるだろう。


 討鬼衆とうきしゅうと仏僧連、そしてあやかし衆が総力を上げて探していた――――江戸城攻防戦前にはすでに発見されていた地獄への門は、すでにその仕組みの解析を終えていた。


 元より真皇しんおうの元で技術開発を行っていた理那りなの協力も得て行われたそれにより、仏僧連や陰陽連、そしてあやかしたちの持つ力を組み合わせることで擬似的な地獄門を現世側で創造し、を可能としたのだ。

 

 それらは本来ならば何度か試験を行ってから利用するべき危うい技術だったが、現世勢力に残された時間は少ない。

 すでに神々の結界はその強さを遙かに増し、女神オペルですらもはやこの領域から外に出ることはできなくなっていた。


 今この世に存在する者の命運は、この場に集った者たちと真皇との間で決さなければならない。

 外で待ち構える神々への対処の前に、まずは地獄に赴いて真皇との決着をつける。それが彼らを待ち受ける最後の戦いであった――――。



「綺麗な月じゃな……」


「そうだな……」


 どこかひんやりとした風にはためく陣幕を背に、荒涼とした江戸城城郭の石垣の上から夜空を眺める奏汰かなたなぎ


 頭上には満天の星空と三日月の輝きが。視線を正面へと向ければ、そこには明日にも世界が終わるかもしれないにも関わらず、いつもと変わらぬ町明かりを灯す江戸の街並みがどこまでも広がっていた――――。


「奏汰の調子はどうじゃ? オペルが持ってきたという、今はお主の中にあるのじゃろう?」


「ああ。特に違和感とかはないよ。でも確かに俺の中の力っていうか……沸き上がってくる感覚は凄くわかる。これもあやかしの皆のおかげだな!」


「のじゃのじゃ! 特に輪入道わにゅうどうの奴、今はただの空飛ぶ提灯ちょうちんに甘んじておるが、元はそれはそれは恐ろしいあやかしだったらしいからの。奴もこうして奏汰の力になれて大層喜んでおったのじゃ!」


 すでに二人は各々の正装から、普段の甚兵衛じんべえと身軽な巫女装束姿に戻っている。奏汰は自身の胸元に手を当て、そこに息づく自らが守り抜いた異世界の人々から託された力を感じ取っていた。



 尽きかけていた奏汰の命を繋いだもの。それは女神オペルがこの世界に持ち込み、エッジハルトによって封印された異世界の人々から託された力だった。



 一度は封じられ、最早外部脱出にも使えなくなったその力を、あやかし衆の中でも特に魂魄こんぱくの扱いに長けた者たちが中心となり、奏汰の消えかけていた命と融合させたのだ。


 異世界に住む数十億の人々の――――動植物も含めれば数兆以上にも及ぶ命の想いが、一度は消えようとした奏汰の生命を今この時も支え続けていた。


「でも凪の方こそ大丈夫なのか……? 俺もびっくりしたけど、玉藻たまもさんのこと……」


「……玉藻は、いつもああなのじゃ。いつも肝心なことは直前になるまで話さぬ。自分が何を考えておるかも、すぐに煙に巻いてしまうしの……」


 心配そうに窺う奏汰の言葉に、凪は俯きながら呟く。


「じゃが……玉藻が言う、じゃというその言葉に嘘偽りはない。玉藻が寺子屋で大勢のわらべに囲まれておるのも、私が幼い頃から玉藻に懐いておったのも……楽しいことが好きじゃというあやつの言葉に、表裏がなかったからじゃ……」


「うん……そうだな」


 凪の言葉に、奏汰は深く頷きながら同意した。


 奏汰もまたこの数ヶ月、玉藻が教師として主宰する寺子屋に通っていた立派な教え子の一人。玉藻という存在が、常にを判断の基準としていることは、奏汰も良く理解していた。


「ならば……私にしてやれることはことだけじゃ。悲しみや辛さなど微塵も与えず、ひたすらに楽しいと――――私らと過ごした日々はなんと楽しかったのかと、最後まで思っていて欲しい――――それがあやつにしてやれる、私からの一番の恩返しじゃ……」

 

 言うと、凪は自身の内にある寂しいという感情を隠しもしない、その心の有り様の全てを現わしたような複雑な笑みを奏汰へと向けた。

 それは誰もが息を呑むような至純の想いに満ちた笑みだったが、しかし美しいが故に悲しく、寂しい笑みだった――――。


「なら……やっぱり俺は凪や皆を絶対に守らないとな。凪が傷ついたり、江戸の皆が悲しんだりすれば、玉藻さんも凄く辛いだろうから……」


「ん…………ありがとうなのじゃ…………」


 どちらからともなくその手を繋ぎ、共に夜空を見上げる奏汰と凪。

 

 奏汰が燃えさかる江戸の町へと降って来てから今日この時まで、二人は何度こうしてこの夜空を見上げてきただろうか。


 数え切れない言葉を紡ぎ、笑みを浮かべて夜遅くまで身の上話に華を咲かせ、時には憤慨し、時には涙を流したこともあった。


 しかし二人は決してその繋いだ手を離さずに今日まで生き抜いてきた。


 やがて二人の輪には新九郎しんくろうが加わって三人となり、これからもその輪は更に大きく広がっていく――――二人はそれ以上何も言わなかったが、その繋いだ手から互いの想いは充分に伝わっていた。


 この繋いだ手を離さず、これから先に繋ぐことになる大勢の人と共に生きる。

 それこそが、決戦を控えた二人に共通の想いだった。そして――――。



「――――お互いのことを、大切に想い合っているのですね」


「ん……?」


 不意に――――夜空を見上げる二人の背後から穏やかな声がかけられた。


 奏汰も凪も、その声の主の接近に全く気づけなかった。

 否、気づけなかったという表現は適切ではない。気づく必要がなかったのだ。


 なぜなら、振り向いたその先に立つ一人の女性からは、一欠片の敵意も、害意も感じなかったのだから――――。 

 

「大切なお二人の時を邪魔してしまい申し訳ありませんでした――――私の名はミスラ。あなた方が黒曜の四位冠と呼ぶ、真皇を守る勇者――――かつてはと呼ばれていた者です」


 二人の前に現れたオーロラ色の髪の女性はそう言うと、驚く二人に向かって恭しく頭を下げ、どこか悲しみに満ちた瞳を奏汰へと向けた――――。



 ――――――

 ――――

 ――



「あのぉ~……? こんばんは? えーっと、吉乃よしのさんってこちらにいらっしゃいますかぁ……?」

 

「うひゃあ!? だ、誰ですか!? え――――……っ?」


 そして最善の勇者ミスラが奏汰と凪の前に姿を現わしたのと同時。


 小具足を外し、それなりにだらしのない格好で自身の汗を拭っていた新九郎の元にもまた、突然の来訪者が現れていた。


「か……かあ……さま…………っ?」


「え? そんなに似てるかな……? でもごめんね……私はあなたのお母さんじゃないんだ……」


 目の前に現れた深緑色の髪の少女の相貌そうぼうに、自身の記憶の中の母の姿を重ねて絶句する新九郎。


 しかし少女は照れるように、申し訳なさそうに首を傾げると、新九郎とその母であるエリスセナに良く似た可憐な微笑みを新九郎に向けた。


「私はキリエスト・カリス。あなたのお母さん――――エリスセナ・カリスは私の姉さんだから――――つまり私はあなたの叔母さんってことになるのかな? あははっ。面白いよね。私たちって同い年くらいに見えるのにねっ!」


「母様の……妹様……? 僕の、叔母上……?」


 そう言って無邪気に笑うキリエに、新九郎ははだけた自身の着物を直すことも忘れ、ただ呆然と立ち尽くすのであった――――。

 

 

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