蒼穹の三人



「ふわぁ……き、緊張してきました…………僕、ちゃんとやれるでしょうか?」


「大丈夫だって! 新九郎しんくろうには俺もなぎもついてる! いつもの新九郎みたいに、どやっ! ってしてればいいんだよ!」


「のじゃのじゃ! 奏汰かなたの言う通りじゃ。将軍様も私ら三人で皆の前に出ることを認めてくれたしの! 私ら三人はいつだって一緒なのじゃ!」


「は、はいっ!」


 未だどこかから焼け焦げた匂いが漂う江戸城の白洲の上。


 祭礼用ではなく、戦場で用いられる黒と白の生地に大きく徳川葵とくがわあおいの紋が描かれた陣幕の内側。


 女神オペルによって再び奏汰に与えられた――――陽の光のような白銀の装甲に紅蓮の装飾が施された暁光ぎょうこうの鎧と純白の外套を身に纏い、この世界にやって来て初めてとなった奏汰。


 あまりにも仰々しいために普段は神社の奥に仕舞い込んでいる神代の巫女としての――――かつての大魔王ラムダの戦闘装束が長い時を経て変化した、白く輝く羽衣と金と銀の頭飾りを備えた天神影日向之衣てんじんかげひなたのころもを身につけた凪。

 

 そして壮麗な意匠の施された小具足しょうぐそくと陣羽織に身を包み、緊張の面持ちとなった新九郎が三人で手を重ね、もはやお馴染みとなった円陣を組んで気勢を上げていた。


「父上が公務に戻れるようになるまで、僕がに――――昔の僕なら怖くてどこかに隠れたりしてたかもしれませんけど――――今は奏汰さんも凪さんもいてくれて――――それだけで、なんだか頑張れる気がします」


「大丈夫……俺もここに来たばっかりの頃はなんでも一人でやろうって思ってたけど、そうじゃないって教えてくれたのは新九郎だろ? 自分が困った時は、周りにいる皆に助けてって言えばいいんだってさ!」


「それに此度の代行職は、聞くところによると戦場いくさばでの総大将という意味での将軍様なのであろ? それならば普段のお上の政務と違い、こうして私も奏汰も、玉藻たまもこおりのようなあやかしの皆も、まとめて新九郎の力になれるのじゃ! なにも心配することなどないのじゃ!」


「はいっ! とーっても、心強いですっ!」


 普段の巫女装束と違い足元から袖先、足先までもが神々しく輝く神衣しんいに身を包んだ凪がぽんぽんと新九郎の背を叩く。


 そう。三人は目前に迫ったこの天下危急の一大事にあたり、重傷を負って前線から退いた将軍徳川家晴とくがわいえはるの代行として鬼との決戦に臨むことになる新九郎と共に、江戸城へと集った万を超える大軍勢の前に出るのだ。


「ほほほ……いつ見ても皆様本当に仲の良いことで。微力ながら、この玉藻前たまもまえも最後まで御力になります故――――どうか当てにして下さいまし」


「まったく……たった数ヶ月で良い目をするようになったじゃねぇか。これからは人前でお前のことを呼び捨てにはできねぇな。 ――――そろそろ時間だ、


「玉藻さん……四十万しじまさん。ありがとうございます……! 僕……皆さんと一緒に出来るところまでやってみようと思いますっ!」


 陣幕を抜けてその場に現れた玉藻と四十万にも深々と頭を下げた新九郎。

 彼女はいよいよとばかりに両隣に立つ奏汰と凪と眼を合わせると、三人で大きく頷いて陣幕の外へと向かった。



 あの江戸城での決戦からまだ一週間と経っていない。

 しかし、すでに奏汰たちの覚悟は決まっていた。



 奏汰はどこともしれぬ異世界から突然やってきた自分を、何よりも温かく迎え、癒やしてくれたこの地に住む人々のために。


 凪は生まれ落ちた瞬間から自らを育み、例えどんな時でも見守り続けてくれた大勢の人々のために。


 新九郎は自らを愛し、自分が常に笑顔で生きれるように大切に守り続けてくれた父と母――――そして全ての人々の想いに今こそ報いるために。



 まだ年若く、未熟ながらも前に進み続けた三人は今この時。もはやこの世界のことも、鬼の悲しみも、そして自分たちが成すべきことも全てを理解していた。


 後はこの陣を抜け、そこで待つ大勢の人々と共に力を合わせて未来を勝ち取る。


 泡沫うたかたの夢であるこの世界を――――この世界で生きる全ての人々の営みを確かな現実とするために戦う。


 奏汰、凪、新九郎。かつて賑やかな屋台の前で豆大福に誓った三人の思いは、今ここに至ってもその時と変わらず、こうして共にあり続けていた。



 吹きすさぶ風にはためく陣幕を抜ける。



 夏の終わりが近づき、どこか薄くなったように感じられる蒼穹の下。


 崩れた本丸御殿の残骸の上に立つ奏汰たちの前には、この地に生きる無数の人々が詰めかけていた。


 その中には武士も、町人も、異形のあやかしの姿もあった。


 未だにすすが舞い、この世の黄昏たそがれを感じさせる荒れ果てた江戸城。しかしそこに集った人々の目には、一切の絶望も不安も浮かんではいなかった。


 玉藻と四十万が陣間を横に引き上げ、奏汰と凪を左右に従えた新九郎が一歩前に出る。


 新九郎は最後に一度だけ大きな深呼吸をして蒼く広がる空を見上げると、眼前を埋め尽くす全ての人々に届く決意と強い意志の籠もった声で第一声を発した。


「――――此度、ここに集った各々方にはお初にお目にかかります。父、十二代将軍徳川家晴に代わり、本陣総大将を勤める家晴が長子――――徳川𠮷晴とくがわよしはるで御座います。未だ若輩じゃくはい故、この天下存亡の危急において各々方のお力添えを頂くは必定――――この地に集いし知と力と勇とをもって、共に永年の災厄をもたらす鬼の脅威を討ち果たす所存――――!」


 彼女のその声は、荒れ果てた江戸城の白洲しらすの上に凜として響いた。


 まばらとなった蝉の鳴き声が遠くから聞こえ、夏の終わりを告げる涼風すずかぜが新九郎の声と共に人々の間を駆け抜けていった――――。




 勇者商売――――第五部完


 最終章に続く。



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