宿命の二人
夏の暑さを大地にもたらしていた陽は沈んだ。
夜空には
「本当に、あっという間だったな――――」
今、
実は奏汰がこのように一人で神社の外に出るのは相当に珍しかった。しかし、今だけはそうせずにはいられなかったのだ。
目の前に続く砂利道はうっすらと月の光を受けて白く輝き、川からはカエルの鳴き声が聞こえてくる。川の両岸に青々と茂る草木の間には、淡い緑を灯らせて飛ぶホタルの光も見ることができた。
「これがホタル――――? 初めて見た――――」
奏汰が江戸へとやってきて三ヶ月が過ぎた。
苦しく、戦いに次ぐ戦いを強いられた三ヶ月ではあったが、それでも異世界にいた頃よりは遙かにマシだった。
なにより奏汰は自分の中に、江戸での暮らしを通じてなにか暖かな、本当の意味で身近な存在を思いやる気持ちが蘇っていくのを感じていた。
奏汰はすっかりこの町が好きになっていた。目に見える全てが活気に溢れ、瑞々しく躍動し、熱く、優しいこの町の人々が大好きだった。
心の底から守りたいと。力になりたいと思っていた。
そこには、かつて母の元に戻りたい一身で戦っていた子供の頃とは明らかに違う、一人の人間としての決意があった。しかし――――。
『――――私たちが今いるこの世界は、本来は存在しないはずの閉ざされた世界。世界を救い、しかしその過程で神をも超える力を身につけてしまった勇者を廃棄するための、ゴミ捨て場のようなもの。
『――――そしてその真皇こそ、この廃棄場に送られた勇者を処理するために用意された絶対的終末の存在。勇者の力では絶対に真皇には勝てないように――――神がそう設定していると、私は教えられていた――――』
ただ二人――――大魔王ラムダと
「女神様は――――全部知ってたのかな。最初から、俺をここに捨てるつもりで呼んだのかな――――」
奏汰の脳裏に、優しく美しく、常に奏汰の身を案じ続けていた青い髪の女神の姿が浮かび上がる。
『ごめんなさい――――私が、私が弱いから――――私に力がないから――――っ! いつも、いつも貴方にこのような――――っ』
女神オペル――――彼女は結局奏汰を元の世界に戻すことも出来ず、大魔王との戦いの日々でも、奏汰の傷を無理矢理に治癒し続けてはその度に涙を流してズタズタの奏汰に謝罪していた。
そう――――女神は奏汰の記憶の中で、いつも涙を流していた。自身の無力を呪い、奏汰を戦場へ送り出すことしかできない現状を嘆いていた。
奏汰には、彼女の涙が偽りだったとはとても思えなかった。
「フッフッフ――――だから余が何度も忠告したであろう。神はろくでもないと」
「大魔王……? お前、その格好――――」
だがその時。
奏汰の歩いていた道の先に、奏汰より頭二つは大きい背丈を持つ、流れるような金色の髪を背の半ばまでなびかせた赤い瞳の
かつての奏汰であれば、その姿を見れば即座に剣を抜き、襲いかかっていたであろうその姿――――今はピンクのドーナツ生物と化したはずの、かつての大魔王ラムダの姿だった。
「フ……流石にあの姿では締まらぬのでな。余を倒した最強の男の心が情けなくも戸惑いに揺れていないかと、こうして正装で語らいに来てやったのだ」
「そっか……お前、戻ろうと思えば戻れたんだな」
「まあな――――条件はあるが、僅かならかつての力を振るうことも出来よう」
最早、奏汰はその大魔王の姿を前にしても敵意を抱くことはなかった。
凪が言っていた通り、かつては存在するだけで周囲の草木が枯れ果て、大気すら変容させた大魔王の邪気は、跡形もなく消え去っていた。
「――――お前は知ってたんだな。この世界のこと」
「無論だ。神の考えることなど、この余からすればどれも下らぬ。故に、余はあの時も神々へと戦いを挑み、そして今もこうして挑み続けている――――」
ラムダは無防備に歩み寄ってきた奏汰の隣に自身も自然体で並ぶ。
そして互いにとって因縁浅からぬ宿敵同士。神田上水に流れる月の光とホタルの光、二つの光に目を向けた。
「お前に敗れ去った後――――余はこの世界で一人の女に救われた。凪に良く似た、気丈で何事にも動じない、良く笑う女だった」
ラムダは目の前の光の向こうにその女性の面影を見ているかのように呟いた。
その横に立つ奏汰は、ただ黙ってその話を聞いていた。
「余はその女に惹かれ、やがて子を儲けた。大魔王ともあろう者が、才こそあれただの人間と共に一族を成すことになったのだ――――まあ、悪い日々ではなかったな」
「わかるよ――――今のお前を見ればさ」
その話に笑みを浮かべて頷く奏汰。
ラムダの語るその決断の果てがあの完全な円を描くドーナツの姿なのだとすれば、文字通り大魔王は身も心も丸くなったのだ。今の奏汰には、その意味がなんとなく理解出来た。
「だがある日、俺は鬼と呼ばれる者共と、その背後にいる真皇の存在を知った。そして――――この世界にすら神の下らぬ計画が介在していることを知った。勇者よ、この世界に迫る本当の危機が何か分かるか?」
「――――真皇よりもヤバイのがいるってのか?」
ラムダは自身の視線を目の前の光から、隣に立つ最強の宿敵へと向けた。奏汰もまた大魔王のその赤い瞳を正面から見据え、次の言葉を待った。
「この世界も、この世界に生きる人々も、動植物も――――全ては真皇を封じておくための生け贄なのだ。神の管理も及ばず、ただ無尽蔵に勇者の力を放り込まれるだけの世界。神々からすれば、いつ消えても痛くも痒くもなく、真皇からすれば自身を縛る枷でしかない――――この世界に住む人々は、最初から全てに見捨てられているのだ」
「――――っ!」
その言葉に、奏汰はぎりと奥歯を噛みしめて拳を握る。
ラムダの言葉は
数多に存在する異世界の神々にとって、始めから勇者の処理場として生み出されたこの世界を守る責務は誰にもなく、真皇がいかに人々を苦しめようと手を差し伸べることもない。
真皇にしても、この世界は自らを縛り付ける牢獄以上の意味はなかった。その時が来れば一顧だにせず全てを破壊し、闇の中に飲み込むだろう。
「真皇の力が満ちる時は近い。もしそれが成されれば、この世界は真皇からも、真皇の力を恐れる神からも同時に攻撃を受けるだろう。そうなれば、この世界に存在する全ては消え去る――――」
「そんなっ!?」
元より、廃棄場として生み出されたこの世界で何も知らずに生きる大勢の人々のことを真剣に考える存在など、一人もいなかった。
全ての神々からも、闇からも顧みられることのない、ただそこにあるだけの世界。それがこの世界だと。ラムダは、奏汰にそう伝えたのだ。
「させない――――っ! そんなこと、この俺が絶対にさせないっ! この世界も、凪も新九郎も他の皆も――――俺が絶対に守ってみせるっ!」
「そうだ。この世界に人々を守る神はいない。いるのは大魔王である余と超勇者の貴様、そして我ら以外にもその事実を知り、この世界で生きる者達――――我々全てでやるしかないのだ」
奏汰の決意に満ちた言葉に、ラムダは大きく頷く。
「だが――――どうやら貴様が惑っていると案じたのは余の
ラムダは自身をまっすぐに見つめる奏汰の瞳を見下ろすと、かつては決して見せることのなかった穏やかな笑みをその精悍な顔に浮かべる。
そしてそのまま奏汰の肩に手を当てると、まるで長年の信を置いた友に対してするように、その力を確かめたのだった――――。
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