光明と深淵


 こうして、また一つの戦いが終わった。

 

 尋ヶ原じんがはらで行われた大位の鬼との決闘は奏汰かなたたちの勝利に終わり、立会人を務めた幕府の公式な書物にも、その決闘の詳細は残されることになる。


 そしてそれから数日を待たずして、徳川幕府は小位の鬼の壊滅と、三体の大位の討伐成功の御触れを出す。


 これほどの短期間で、これほどの数の位冠持ちの鬼を討ち果たしたという事実。


 それは遙か千年の昔、今は影日向大御神かげひなたおおみかみと名を変えた異世界の大魔王ラムダが、たった一人で真皇しんおうに決戦を挑んだ時とほぼ同等の戦果といえた。


 この報せは数百年もの長きにわたり、鬼の脅威に怯えながら暮らし続けてきた人々に希望と活力を与えた。


 そしてそれと同時に。まるで神の救いかのように颯爽と江戸に現れた勇者奏汰と、今日まで日の本を守り続ける守護者である神代の巫女。そして討鬼衆とうきしゅうの名声を大いに高めることになった――――。



 ――

 ――――

 ――――――



「ふー! まさか新九郎しんくろうの部屋を作ってすぐに、また別の家を建てないといけなくなるとは思わなかったよ! でもこんなもんかなっ?」


「おっけおっけ! バッチシよカナっち! 悪いね、俺たちのことなのに手伝わせちまってさァ!」


 神代神社から目と鼻の先――――神社が存在するのと同じ林の一角に、その額に大粒の汗を浮かべて大工仕事に取り組む何人かの男衆の姿があった。


 彼らは皆真新しい木材を丁寧に加工し、見事な腕でえっさほいさとそれらを組み上げていく。すでに土台となる地面にはしっかりと基礎が作られ、後はその上に切り出した木材や板を組み上げていくだけといった様相だ。


 その男衆の中には軽々と何本もの柱を担ぎ上げる奏汰と六郎ろくろうの姿もあり、より作業に手慣れた壮年の職人の指示の元、溌剌はつらつとした様子で大工仕事に精を出していた。


「みなさーん! もうそろそろ休憩にしませんか? あやかしの皆さんが差し入れもってきてくれましたよーっ!」


「おっ! ありがとう新九郎ー! 今行く!」


 辺りからひっきりなしに響き続けるセミの鳴き声にも最早慣れたもの。


 遠くからこちらに向かって手を振る新九郎に満面の笑みを浮かべて応じた奏汰は、額の汗を首に回した手ぬぐいで拭い、木漏れ日の向こうに輝く太陽の光に目を細めた――――。



「――――だからね? 私もあと三年したらお兄ちゃんのところにから、それまでは二人でいいけど、そうなったら三人。それでいい?」


「はは。そうだね――――私もそうしたいなと思っているんだ。ちゃんと待っているから、まちはお勉強やお父さんのお仕事のお手伝いを頑張るんだよ」


「ほんとー? 私、毎日見に来るからね? それに、二人だってその間ずっと仲良くしてないと駄目なんだからね?」


「ああ――――約束するよ」


 夏の日射しが木々の葉に遮られ、穏やかな深緑の輝きとなって降り注ぐ広々とした縁側。


 ゆったりとした菖蒲色あやめいろの着物に身を包んだ理那りなが、その小さな体を乗り出して何度も念押しするまちに穏やかな笑みを向けていた。


「ほむほむ……お主も大分元気になってきたの。影日向かげひなたはともかく、私はここが大所帯になるのは大歓迎じゃ。まちももっと大きくなったらここに住むとよいのじゃっ!」


「わーい! ありがとうございます、姫さまー!」


「余はともかくとはなんだ、余はともかくとは! 余も本来ならばより頻繁に人里に下り、民草からの信仰を集めて一刻も早く完全体に――――ッッ!」


「それは流石にいかんじゃろ……影日向が町に下りたらすぐに鬼と間違えられ、信仰などあっという間に空っぽになるのじゃ!」


「あははっ。私、影日向様のこと可愛いって思うよっ。お花とおんなじ色だもん!」


「おお……君はとても良い子だ! 御礼にドーナツをプレゼントしようっ!」


 そしてそんな理那とまちの周り。


 そこには器用に二つの盆を持ち、その上にきっちりと冷やされた砂糖水が注がれた金属製の器を多数乗せたなぎと、シャカシャカと四本の足を動かして水平移動するドーナツ神、大魔王ラムダもやってきていた。


「日の本の夏は暑すぎ――――しかも江戸は特に暑い。全然尊くない。雪山に帰りたい――――」


「ほほほ……それはいけませんよこおりさん。貴方があやかし通りからいなくなったら、誰がうちらを涼しくしてくれるんです? 凍さんがいなくなったらあやかし衆も夏を越せずに全滅の憂き目。一巻の終わりなのですから、頑張って頂きませんとね」


玉藻たまもの姐さんでもそれくらいできるじゃない……他にもほら、この前大陸から来た? あいつも出来そう」


「いえてぃさんはねぇ……涼しいのは良いのですが、ちょいと息が臭くてねぇ……」


 見れば、凪の後方からは青と白の着物に身を包んだ汗だくの凍と、普段通りの涼しげな顔で笑みを浮かべる玉藻までもが続いていた。


 そのかつてない程の人口密度はただでさえ暑い周辺を更に過熱させ、ついには凍がその能力を使って辺りに無数の氷柱を建造して凌ぐ有様となってしまう。そして――――。


「――――にはははっ! なんかすげえ人の多さじゃネーの! こういうの好きよ俺! しかもさ――――!」


 僅かな後、大工仕事を切り上げて戻ってきた男衆と共に縁側の輪に加わった六郎は、その日に焼けた顔に屈託の無い笑みを浮かべ、隣り合って座る理那とまちの手を取る。


「その中にこうして理那もまちもいてくれるンだ――――こんなに嬉しいことないって。ほんと、ありがとな――――カナっち、凪チャン、新チャン」


「そんなことないよ。前にもやったからわかるんだ。俺の力だけじゃ、真皇にはまだ勝てない――――六郎も理那さんも、自分の力でそうなったんだよ。俺の方こそ、二人が元気になってくれて凄く嬉しいんだ――――」


 あの決闘の夜以来、もはや何度目になるかもわからない感謝の言葉を口に出す六郎。

 結局、六郎はそのまま神代神社の近くに家を建て、理那と共に暮らすことになった。大恩あるまちの店にはその家から通い、今後も働く許可を得ている。


 鬼から人へと戻った理那の力は、全て失われていた。


 六郎のようにその内に闇を抱えていない分安心とも言えたが、それは即ち、万が一鬼から狙われれば抗する術をもたないということだ。


 幕府からも理那の存在は最重要人物として保護対象になっている。なぜなら、理那は力こそ失ったものの、鬼であった頃の記憶は六郎よりも遙かに鮮明に残っていたからだ。


 これからも、六郎と理那――――そしてまちの三人には様々な困難が待ち受けているだろう。さすがのあやかし衆も元鬼の二人を受け入れることはできず、幕府からの厳重な監視はこれからも受け続けることになる。


 だがそれでも、三人はとても幸せそうだった。


 笑みを浮かべて手を繋ぐ三人の姿からは、とてもつい最近知り合ったかのようには見えない。本当の家族のような絆をはっきりと感じることが出来た――――。


 しかし、奏汰はそうして手を取り合う六郎と理那、そしてその隣に座るまちの姿の向こうに、笑みを浮かべて闇に消えた仲睦まじい夫婦の姿を重ねていた。


 もしあの時、奏汰が自身の力の本当の有り様に気付いていれば。


 一人で何もかもやろうとせず、凪や新九郎と共にその心を繋いでいれば。もしかしたら救えたかもしれない。そんな後悔の思いが奏汰の胸にこみ上げようとした、その時――――。


「――――奏汰よ。お主はもっと自分の行いを誇って良いのじゃ。今ここにあるこの景色はお主が懸命に悩み、生きたからこそここにあると――――私は、それを誰よりも知っておる――――」


「凪……」


 気付けば、いつの間にか隣にやってきていた凪が奏汰の手をそっと握っていた。

 見上げるようにして奏汰を見つめる凪の瞳は、どこまでも深く澄んでいた。そして――――。


「はいはいっ! 僕も……っ! 僕もそう思いますっ! っていうか、あの決闘の時とか奏汰さんに助けて貰ってなかったら僕は確実に死、ししし、死んでましたしっ!? それだけじゃなくて、最初に会った時からずーーーーっと! 奏汰さんには助けられてばっかりで……っ!」


「し、新九郎っ!? そうだったっけ!?」


「そーですっ! あ!? ああーーっ!? これはー!?」


 そしてその二人の横に突如として現れた新九郎は、即座に開いている方の奏汰の手を取ると、ほれみたことかとばかりに未だ固いままの奏汰の手のひらを指さし、その目を見開いて声を上げた。


「なんということでしょうっ! 奏汰さんの手、まだこんなに固いままですよ!? これはいけませんっ! 僕がこうして、こうして柔らかくしてあげますっ! むぎゅむぎゅ!」


「にょにょ!? なんと、奏汰の手は揉めば柔らかくなるのか? ならば私もやるのじゃ!」


「うひゃひゃ!? な、なんだかそれくすぐったいっ!」



 そうして――――。


 いつしか、その場は暖かな笑みと笑い声で溢れていた。


 一度はその全てを失い、幼い凪一人となった神代神社の境内に、これほど大勢の声が響くのは初めてだった。

 それは凪の言う通り、奏汰がこの地に降り立ち、凪と出会った先に開けた光景だった。


 未だ晴れぬ江戸の闇。しかし確かに今この時だけは、この場に穏やかな陽の光が射していた――――。



 ――

 ――――

 ――――――



「――――私めからのご報告は以上になります。いかがいたしましょう――――皆々様」


 その声は、果てすら見えない闇の中で発せられた。


 声の主――――紫の大位である五玉ごぎょくは、うやうやしくそのこうべを垂れ、闇の中に佇むからの言葉を待っていた――――。

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