第七章 鬼の行方

帰る者、去る者


理那りな――――ッ!」


「あ――……?」


 それはまるで、何千年もの時を経て久方ぶりに目覚めたかのような感覚だった。


 陽禅ようせんは――――いや、かつて天野理那あまのりなと呼ばれ、今再びその名へと帰還した女性は、目を開けた先に大きな満月の光を見た。


 ずっと濁っていた。


 何重にもフィルターをかけたような、はっきりとしない景色を見ていた。世界はこんなにも透明で、透き通っていたのだと初めて知った。そして――――。


「理那っ! 大丈夫かっ? 大丈夫なんだな……っ? お、お前っ、この――――心配――――させやがってよォ――――……っ!」


「ろく、ろう……」


 理那の頬に、横たわる自分の体を力強く抱きしめる六郎ろくろうの熱い涙が落ちた。六郎はその顔を恥も外聞もなくぐしゃぐしゃに歪め、笑みとも悲しみともつかぬ表情で止めどなく涙を零していた。そして更には――――。


「――――大丈夫? お姉ちゃん――――」


「君は――――」


 理那は、自身の手に六郎の物ではない小さな手が重ねられているのに気付いた。


 僅かに横へと視線を向ければ、そこには黒い髪を短く切りそろえられた少女――――まちが、心配そうな顔で理那の手をしっかりと握り締めていた。


 理那は、まちのその大きな瞳の中に確かに見た。


 かつて失った、そしてもう二度と同じ形には戻らないが、それでも消えずに残っていた――――三人の日々を。


「ああ…………ごめん――――……っ。ごめんよ――――……っ! ごめんよ……陽那ひな――――っ。う……ううぅ……っ」


「いいンだよ――――……っ! これからだから……っ! 俺たちは……これからまたやりゃあいいンだ……っ! また、昔みたいに――――三人でさァ……っ!」


「二人とも大丈夫……? きっと、とっても悲しいことがあったんだね……よしよしって、してあげるからね……。もう大丈夫だよ……」


 理那の双眸そうぼうからせきを切ったように涙が零れる。六郎と理那が大粒の涙を流して嗚咽おえつを漏らし続ける様子を、まちは優しくその手を二人に当てて慰めていた――――。


 実はこの時、あまりにも六郎を心配していたまちは両親にすら無断で家を抜け出し、たった一人でこの尋ヶ原じんがはらまでやってきていたのだ。

 

 陽禅ようせんが光に包まれて倒れたとき、ついにいてもたってもいられなくなったまちは戦場へと飛び出し、六郎と共に彼女の手を握った――――。


 もはや、理那も六郎も気付いていた。この小さなまちの中に、が確かに息づいていることを。


 不思議そうに、心配そうに二人をみつめるまちの小さな体も六郎はその逞しい腕で抱き寄せると、煌々こうこうと輝く月明かりの下。三人はその肩を寄せ合い、幾星霜いくせいそうの果てに再びそのぬくもりを確かめ合った。


 何をはばかることもなく大きな泣き声を上げ、肩を震わせて――――悲しさも悔しさも、全てがない交ぜになった感情を爆発させて、ただひたすらに、三人で小さくなって泣き続けていた――――。



「びゃああああああああああ…………っ! 良かったです……っ。なんにも、さっぱりわからないけど、とにかく良かったですぅぅぅ……っ!」


「そうじゃな――――今は何も言うまい。あの三人は、もう充分に苦しみ抜いてきたのじゃろう。お主もよく頑張っておったぞ、新九郎っ!」


「うえええええええっ……あびがどうごばいまずううううう……っ!」


 そしてそんな三人を離れた場所から穏やかな表情で見守るなぎと、なぜか余り関係ないにも関わらず感情大爆発で号泣する新九郎しんくろう


 自身の胸にすがりついて泣く新九郎をよしよしとなだめながら、凪はその手にもった破神弓を下ろし、静かに最後の一人の帰りを待っていた――――。


「これにて決着――――ですかな」


 そしてそんな凪の目に前に、普段のどこか軽薄な物言いを抑えた最後の大位――――五玉ごぎょくが現れる。その僅か後方には、気を失って昏倒する煉凶れんぎょうが静かに浮遊していた。


「――――俺たちの勝ちだ。約束、守ってくれよ」


奏汰かなたっ!」


「がなだざああああんっ!?」


 五玉が現れたのに僅かに遅れ、凪と新九郎のすぐ目の前に奏汰が上空から着地する。すでにその手の中に剣はなく、奏汰は後方の二人や、さらに離れた六郎たちを気遣うように片手を広げた。


「ええ……守りますとも。そして、この事態を伝えもしましょう。偉大なる真皇しんおう様と、黒曜の四位冠――――我らが主の元へ」


 奏汰のその言葉に、五玉は四つの顔それぞれの瞳をつむり、神妙な面持ちで頷いた。

 そしてその時、後方から新九郎と共に奏汰を見つめていた凪が声を上げる。


「奏汰よ、先ほどの光と六郎やまちのおかげで、あの陽禅という娘は正気を取り戻したのじゃ。その大男はどうなった――――?」


「――――っ。駄目、だった」


 凪のその問いに、奏汰は自身の手を強く握り締めてぎりと奥歯を噛んだ。


 煉凶の意志は闇に留まった。

 彼の魂は、ついに光に目を向けることはなかった。


「そういうことですなぁ――――しかしながら、これは煉凶さんと陽禅さん双方の選択。同じ大位として、私は陽禅さんをこれ以上どうこうするつもりはございません――――故に、そちらもここで煉凶さんが選んだ道を、どうか尊重して頂きたい」


「ああ……俺ももう、ここでこれ以上戦うつもりはない」


「――――格別のご配慮、恐悦きょうえつでございますよ、剣奏汰さん――――」


 奏汰の返答を聞いた五玉はその四つの顔に笑みを浮かべると、慇懃いんぎんな礼を奏汰たちにしてみせる。そして煉凶の肉体に手を添え、自身の周囲に漆黒の大穴を開けてゆっくりとその中に身を躍らせた。


「なにも、全ての者が闇雲に光を求めるわけではありますまい――――この世には、闇もまた必要なのです。それを、ゆめゆめお忘れ無きように――――」


 消えていく五玉が残した最後の言葉。


 奏汰はその言葉を握り締めた拳で確かに掴むと、噛みしめるようにしてその胸に留め置いた――――。



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