第四章 勇者の決闘

地獄はどこに


 どこまでも広がる夏の青空の下。もはや耳慣れたせみの鳴き声に混ざり、かえるの鳴き声も混ざる広大な田畑沿い。


 大きく深い独特の形をしたざるをその手に持ち、僅かに川の流れが増した青田あおたに水を引き入れるための小川のちょうど中程。

 揃いの手ぬぐいを頭に巻いた奏汰かなた六郎ろくろうは、激しく波打つ泥を盛んにすくい、どじょう捕りに精を出していた。


「にひひひ! そっちよそっち! 俺がそっちに追い込むからさァ! は落ち着いてざるを構えてりゃいいのよ!」


「うひゃーっ! 凄いいっぱいいる! どじょうってこんなにいるんだっ!?」


「そーなのヨ! 俺も最初おやっさんに連れてきて貰ったときはマジでビビったンだわ! いくら捕ってもまた来るとやべぇほどいるしさァ!」


「あははっ! お兄ちゃんもゆうしゃさまも頑張ってー! ほら、そっちにもばしゃばしゃしてるっ!」


 足の踏み場もないとは正にこのこと。一歩でも川底に足をつければまるで嵐のように大量のどじょうが一斉に飛び出し、奏汰と六郎の素足をぬめぬめとしたどじょうの体表がくすぐる。


 冷たい川の水の心地よさと、その見たこともない凄まじいに驚きつつも、奏汰は満面の笑みで六郎の教えた通りにざるを構え、着実にまちの店で出すためのどじょうを確保していく。


 そしてそんな二人に向かい、小川沿いの土手に腰を下ろしたまちはその小さな手をいっぱいに振り、にっこりと笑みを浮かべて声援を送っていた――――。



 ――――陽禅ようせんの襲撃から三日が過ぎていた。


 結局、六郎の身柄は神代神社で一旦預かることになり、まちの店の手伝いも、神代神社から通うようになった。


 急なことにまちの父である信衛門しんえもんは大層驚いていたが、なぎはまちと六郎が鬼に襲われたことを話し、むしろ二人を鬼から助けたと言うことで大層感謝されることになった。

 

 新九郎しんくろうを通じ、六郎の件に関する討鬼衆とうきしゅうへの報告もすでに完了している。


 討鬼衆は鬼が人として暮らすことを願っているという事実に大層困惑したようだが、それ以上にであるとも捉えた。


 六郎を罪人として処断するかどうかは一旦後回しとし、まずは六郎自身の記憶の回復を優先するという通達と、神代神社近隣への戦力増強の報告もすでに受けている。


 また、凪はまちの家の周辺に鬼の出現を知らせる結界の設置と、まちを守るための用心棒として、奏汰が常時まちと同行すると申し出たのだ。


「ふわー! 捕れた捕れた! むちゃくちゃ捕れたー!」


「そりゃそうよ! 川にざる突っ込むだけですげえ捕れるし! おやっさんの店はむちゃくちゃ繁盛してるから、これでもまだ足りないケド!」


 二人は持ち込んだ籠が満杯になるまでどじょうを捕りまくり、小川に足を突っ込んだまま土手に寝そべって背を伸ばした。

 そしてそんな疲れ果てた様子の二人に、二つの竹筒に川の水を汲んだまちがちょこちょこと駆け寄ってくる。


「二人ともおつかれさまー! お水、汲んでおいたの!」


「お! さすがまちチャン。気が利くねェー!」


「えへへ……」


 六郎から屈託のないニカリとした笑みを向けられ、頬を染めて笑顔になるまち。六郎はまちから竹筒を受け取ると、そんなまちの黒髪を優しく撫でて見せた。


 一時神代神社預かりとなってからも、六郎はこうして毎朝奏汰と共にまちの家に通い、神田どぜう煮売屋の稼業を手伝い続けていた。


「ちょうど新九郎用の部屋を作ったばっかりで良かったよ。結局新九郎は今まで通り俺たちと一緒に三人で寝ることになっちゃったけど……」


「カナっちにも凪チャンにも、こんなに色々助けて貰っちまって……なるべく早く俺もどっか探さないとネ……」


 今の六郎は奏汰の言葉通り、奏汰が改装した新九郎用の離れで寝泊まりをしていた。


 それがいつ頃までという期間は特に定めていなかったが、陽禅が去り際に残した、という助言は六郎の肉体を確かに癒やし、彼の記憶の復元もより一層進んでいた。


「カナっちやまちチャンのお陰でさ、最近色んな事を思い出してきたンだ……。まだ鬼だった頃の具体的な目的とか、何をやろうとしてたとか、そういうのはさっぱりなんだケド……」


「それって、六郎が人だった頃の記憶は思い出せてきた……ってことか?」


「ンだね。なんつーのかな――――そっちの記憶の方がんだよ。っていうか――――」


 六郎は言いながら、奏汰やまちと肩を並べて広大な青空に浮かぶ白い雲を眺め、その穏やかな景色に目を細める。


「ああ……。それは俺にも良くわかるよ……。俺も、零蝋れいろうさんの心の中で見たから……」


「そういやそうだったね……あの真皇しんおうと直接やりあって生きて戻ってこれるなんて、カナっちはマジですげぇと思うよ」


 かつての苦すぎる敗北の記憶を思い、その顔を歪める奏汰。


 零蝋の心中であの闇を見た奏汰には、真皇の闇による記憶の支配が、真皇の不利益になる部分になればなるほど強固であることがわかっていた。

 そしてそれゆえに、どの鬼も人だった頃の暖かな記憶の方が先に蘇り、表出するのだということも――――。


「あ、そういえば……実は六郎に聞きたいと思ってたことがあったんだ」


「んー? なになに何よ? 俺が覚えてることならなんでも聞いてよ!」


 まちから受け取った水をごくごくと飲み干しつつ、奏汰は六郎に尋ねる。


「六郎がいた鬼の世界って、どんなところなんだ? 実は零蝋さんの記憶の中で見た景色には俺も見覚えがあって――――。っていうかはっきり言うと、俺が元々住んでた世界と良く似てるんだ」


「アー……そういえば、カナっちはなんか色々ややこしいンだったな。未来とか異世界がどうとか?」


「うん。元の世界に戻れるかもとかそういうのとは別に、普通に気になってさ」


 奏汰のその言葉に、六郎はすでに聞いていた奏汰の境遇を思い出し、小さく頷く。六郎がそうであるように、奏汰もまた取り返しのつかない様々な物を失っているのだ。


「わかった――――まだ完全じゃねーんだけど、俺が思い出した事、全部話すよ」


 六郎はそんな奏汰の境遇に自身を重ね、僅かに息を吐く。改めて言わずとも、六郎もまた今まで受けた恩を返すため、奏汰や凪には自分に出来る限りのことをしようとすでに決めていたのだ。


 そして――――。

 

 そして一つ一つ自分の記憶を確かめるようにして、六郎はゆっくりと口を開いた。 


「俺たちがいたのは――――多分、だ。俺にもどうしてああなっちまったのかとか、そういうのはまだ思い出せねェんだけど――――俺の見た感じじゃ、


「あそこが――――東京っ?」


 六郎が口にしたその話に、言葉を失う奏汰。しかしそんな奏汰が六郎により詳細な内容を尋ねるりも早く、その場にいた三人に突然声がかけられたのだ。


「そこまでだよ六業ろくごう――――そして剣奏汰。今度こそ、六業を返してもらいに来た――――」


 その声の主、それは一人の女性。


 栗色の髪を夏風になびかせ、かつて現れたときよりもその相貌そうぼうに深いうれいを宿した黄の大位――――陽禅ようせんだった。





 

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