最後の一人


「――――荒れているな」


 薄暗い無機質な研究室。その部屋はかなりの広さだというのに、僅かな足の踏み場もないほどに様々な物品がうずたかく積もっていた。

 もはや、この部屋でなんらかの作業を行うのは不可能だろう。


「ああ――――煉凶れんぎょう。何の用かな――――」


六業ろくごうを見つけたと聞いた」


 その部屋の最奥。同じようにゴミや残骸が積み上げられた部屋の先。僅かに開いた空間に、灰色のスーツ姿の女性――――陽禅ようせんが、デスクの上で組んだ腕に顔を埋めて座っていた。


「そうだね」


「ならば、なぜここにいない?」


 煉凶が声をかけているにも関わらず、陽禅は組んだ両手に顔を埋めたまま彼に目を向けようともしない。

 そしてそのあまりにも大きな巨躯を窮屈そうに屈め、研究室の入り口すぐの場所から陽禅を見つめる煉凶。


 燃え上がるような逆立った黒髪、三メートルにも達しようかという赤銅色しゃくどういろの体躯。

 その肉体はかつてにも増してその力を漲らせ、しかし奏汰の聖剣によって斬り飛ばされた右腕は、金色の器具による補助を受けているように見えた。


「ああ――――実は、六業は少し記憶の錯乱を起こしているようでね。あまり刺激するのは良くないから、そのままにして戻ってきたんだよ」


「漏出を起こしているのなら、廃棄するしかない」


「――――ふざけるなッッ!」


 瞬間。煉凶の発した言葉に激昂げきこうした陽禅の周囲を囲む一切全てが跡形もなく消滅した。


 陽禅は怒りにまかせてその黄金の双眸そうぼうを見開き、全身から金色の輝きを放って文字通り跡形もなく。一粒の塵すら残さず自身の周囲全ての存在を消し去ったのだ。しかし――――。


「諦めてはいないのだな」


「っ――――すまない。私としたことが、取り乱した――――……」


 その消滅は一瞬のことだった。


 確かに消え去ったはずのゴミの山も、テーブルも椅子も、壁面も。全てが何らかの力によって再構成されていき、一度は消え去ったはずの景色を寸分の違いもなく再現する。


「お前の六業への想いは知っている。それを邪魔するつもりはない」


「ああ……わかっているよ。でも……正直、今回ばかりは私もどうしたらいいのかわからないんだ……っ」


 一瞬の激昂を経て僅かに平静を取り戻したのか、陽禅は一つ大きなため息と共に再出現した椅子に腰を下ろし、再び片手を自身のひたいに当てて悲痛な表情を浮かべた。


「六業は今、神代の領域で剣奏汰つるぎかなた使に守られている。力づくで連れ去っても良かったんだけど、それじゃあ彼の核が保たない――――っ!」


「ほう……?」


 陽禅の言葉を聞いた煉凶の表情が僅かに動く。その色は笑み。


「剣奏汰。奴は初見で息の根を止めておくべきだった――――あの場であれば、まだ奴を


「その言い方――――今の彼の相手は、君でも苦労すると?」


「――――俺は


 煉凶は胸の内にわき出す高揚を隠すこともせず、どこかまばゆい光景を思い出すようにしてその深紅の目を細めた。


「奴は真皇しんおうの御前まで進みながら、なぜか今もなお生きている。そしてあの虹――――。奴の力は、かつて三体の大位を滅ぼし、黒曜の四位冠にすら手傷を負わせた影日向かげひなたと同等か、それ以上と俺は見ている」


「やれやれ……呆れたね。あれは真皇の機嫌が良かったから助かったけど、普通なら私たち全員役立たずと消されていてもおかしくなかったんだよ? それをそんな嬉しそうに語るなんてね」


 陽禅は煉凶のその物言いに心底理解しがたいとばかりに首を振る。しかし煉凶は構わず、その顔を狂暴な笑みに歪めた。


「助力しよう、陽禅。剣奏汰以外にも、現世に出向く用がある」


「それは――――。君が力を貸してくれるのは助かるけど、力押しでは六業の身が――――っ」


「暫し待て。俺に考えがある」


 突如として助力を申し出た煉凶に、陽禅はまさかと困惑の表情を浮かべ、煉凶を見つめる。しかしその時にはすでに煉凶はその身を屈め、部屋を後にするところだった。


「だが忘れるな――――想いに囚われることなかれ。全てはと我らのためにある」


「……っ」


 音も無く閉じる扉の向こうに消える煉凶の大きな背中。


 その背中が見えなくなったことを確認した陽禅は、自身の手を強く握り締めてその美しい相貌そうぼうを悔しさに歪めた。


「想いに囚われるなだって――――? そんなの、そんなの無理に決まってる――――っ!」


 いつしか彼女の握られた手の平には自身の爪先が深く食い込み、その黒く濁った鮮血がデスクの上に並べられた紙片に広がる。


「嫌だ……っ! せっかく――――せっかくなれたのに……っ! 私だけのものに出来たのに――――ここまで来て、を失うなんて――――……っ」



 そして、その鮮血の染みが広がる先――――。


 そこには青い空を背景に、二人の女性と共に写る六業の写真が無造作に置かれていた――――。

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