戦を終えて


「大丈夫か? その、俺たちと戦った時の怪我とか……」


 陽禅ようせんとの戦いを終え、時刻は丁度正午を迎える頃。


 相変わらずの強い日射しと暑さ。そしてせみの鳴き声が終わることなく辺りを満たす境内けいだいの一角。


 大きく戸が開かれ、木陰で冷やされた空気が流れていくなぎの家で、奏汰かなたは一人、六郎ろくろうの手当を行っていた。


「ああ……そっちはもう全然へーきよ。自分でもなんでかはわかんねーんだけど……」


「それなら良かったけど……今のこの怪我は、前みたいにすぐ治ったりしないんだな。俺たちと戦った時は、すぐに治してただろ?」


「……実はさ、最近傷の治りが悪いのよ。多分、それが陽禅サンの言ってた俺がヤバイってことなんじゃねーのかな。知らねーけどさ……」


 陽禅との対峙でフラフラとなってしまった新九郎しんくろうとまちの手当を凪に任せ、奏汰は部屋の角に腰を下ろす六郎の隣に座り、皿の上ですり潰したどくだみを六郎の腕に残る打撲痕だぼくこんに当てる。

 そして最後に折り畳んだ清潔な木綿の手ぬぐいを被せ、さらしを使って傷口の周辺をやや固めに巻き上げていった。


 奏汰の言う通り、かつて鬼と人として対峙した際には何度切りつけようと、それこそその身を真っ二つにしようとも平気で戦闘を継続してきた黄の小位、六業ろくごうとしての治癒力は、今の六郎には見る影もなかった――――。


「あのさ……なんで助けてくれたン? 、俺は――――……」


「――――違うよ。あの時の……六郎さんとの戦いが切っ掛けになって、俺はそうじゃないってわかったんだ」


「俺との――――?」


 ぽつりと呟くようにして発せられた六郎のその言葉に、奏汰はその胸に去来する複雑な思いもそのままに、六郎に全てを話した。


 六郎との戦いの後、大魔王ラムダから鬼が人であると聞かされたこと。

 その後の零蝋れいろうたち三体の小位との戦い。そして、奏汰が零蝋を人に戻そうと真皇しんおうに挑み、力及ばず敗れ去ったことも――――。


「――――そういうことじゃ。待たせたな奏汰よ。新九郎もまちももう大丈夫じゃ。疲れ果ててはいたが、特にどこか怪我をしたわけでもないのでの!」


「奏汰さああああんっ! さっきは助けてくれてありがとうございましたあああああ! し、し、し、死ぬかと! 死ぬかと思いましたっ! 死ぬかとっっっっ!」


「お兄ちゃん……お怪我、大丈夫になった?」


 そして奏汰と六郎が各々の知らない間にあった情報の共有を終えた頃。元気を取り戻した新九郎とまちを連れ、夏用の巫女装束みこしょうぞくに身を包んだ凪が室内にやってくる。


 普段の格好ですら動きやすいように足のすねまで丈上たけあげされている凪の巫女服だが、夏用はそこからさらに袖裾そですそ共に丈が短く、それはもはや巫女装束風の色柄を施した甚兵衛じんべえ作務衣さむえといった様相にすら見えた。


 凪はそのまま室内中央に人数分の湯飲みを乗せた盆を置くと、そこに朝に用意して湯冷まししておいた番茶を手際よく注ぐ。


「ほむ。これでようやく一段落といったところかの? 大変じゃったな、まち、それと――――六郎か」


「あ、ハイ……なんつーか、その……スンマセン」


「……大体のいきさつはまちから聞いたのじゃ。すんなりと全てを信じてやることは出来ぬが、少なくとも今の私らにこれ以上お主と争う気はないのじゃ」


「まちちゃん……ずっと六郎さんのことを心配してましたよ」


 奏汰や新九郎と比べ、油断ない心持ちで六郎の前に座った凪に、六郎は申し訳ないとばかりに頭を下げた。


 凪も本来であれば六郎を信じてやりたいという思いはあった。しかし六郎自身が言うように、今の六郎は自分の鬼としての力や過去、それすらも完全に把握できていない。


 六郎が本当に真皇の力から完全に逃れることが出来たのかは全くわからず、最悪の場合、ただこうして奏汰たちの信を得るために泳がされているだけということすらある。そういった状況を鑑みた時、凪は六郎に対して気を許しきることはできなかったのだ。


「しかし、鬼がお主を追っていることが分かった以上、私らもお主をそのまま放置するわけにもいかんのじゃ……。どのようにするかはまだ決めておらんがの」


「いや、全然それで構わねぇ……。俺も……もしかしたらまた元に戻っちまうんじゃないかって、すげえ怖い……わかるんスよ……俺の中にはまだ、……」


「……やっぱそうなのか。そんな簡単にいくわけないよな……」


 神妙な顔で床に腰を下ろし、湯飲みへとその艶やかな唇を当てる凪。六郎の手当を終えた奏汰も、六郎自身が発したその懸念に、下唇を噛んで悔しさを滲ませる。


「でも――――でも俺は、もう本当に誰も殺したくねぇンだよ……。昔の俺は、血を見るのだって絶対に嫌だって思ってた。誰かが嫌がる顔なんて、見たくもなかったンだ……! それなのによぉ……っ」


 六郎は半ば叫ぶようにしてそう言うと、自身の手当てされた傷口に手を当て、自らの中に潜む闇に怯えるように震えた――――。


「あの……お兄ちゃん……」


「まちチャン……」


 そしてそんな六郎の傍に、その小さな身を更に小さく屈め、可愛らしい薄紅色うすべにいろの浴衣を着たまちがおずおずと近づいていく。


 六郎を見つめるまちのその大きな黒い瞳の中に、まちを見つめ返す六郎の疲れ果てた顔が映り込んでいた――――。


「お兄ちゃんは……鬼……なの? あの鬼の女の人……お兄ちゃんのこと、大切だって何度も言ってた……」


「……っ」


 まちの発したその問いに、六郎はついに来たかとばかりにそのまぶたを閉じた。

 言うまでもなく、江戸の人々にとって鬼とは憎悪と怒りの最大対象である。

 

 まちのような幼子であれ――――いや、幼子であるからこそ、鬼は何よりも恐ろしく、邪悪な存在だと信じている。

 

 それは、いつか来ると分かっていたはずのこと。それがたまたま今になっただけ。

 六郎は覚悟を決め、再び目を見開いて正直にまちに答えた――――。


「そうだよ……。黙ってて、しかもまちチャンまで巻き込んじまって……本当にゴメン……」


「お兄ちゃん……」


 今にも泣き出しそうな顔でなんとかその言葉を絞り出す六郎。六郎は二週間もの間まちの家に滞在してしまったことを心の底から後悔した。

 

 いくら記憶が曖昧だったとはいえ、鬼である自分が一所に長く滞在すれば、今回のようなことになり得ることは、容易に想像出来たはずなのだ。



 甘えていた。甘えてしまっていた。



 あまりにも暖かで穏やかな世界に。まるで、かつて失った世界を僅かでも取り戻せたかのような、優しい世界に――――。


 しかし、それら全てが終わったと諦観ていかんの念すら抱いていた六郎にかけられたまちの言葉は、六郎の想像していたものとは


「ふーん……そうなんだ――――じゃあ、これからはちゃんとぜんぶお話ししてね。大切なことを隠してちゃだめだって、お母さんも言ってたよ?」


「え……?」


 まさに清水の舞台から飛び降りるかのような気持ちで自身が鬼であると打ち明けた六郎を、まちは先ほどまでとは打って変わった驚くほど軽い口調でたしなめる。しかし、そこからが問題だった。


「んーとね……それならまずは、あの女の人とお兄ちゃんの関係を洗いざらい話してください。あの人、お兄ちゃんのって言ってたけど………………?(ピキピキ)」


「え!? あ、あの……? ま、まちチャン……? エッ!? まち……サン? あ、ハイ……。全てお話しいたします……結構、さっきので思い出したンで……」


「わーい! わたしね、男の人のだと思うんだけど、知らないうちにのは、さすがにちょっとどうかなって思うの!」


 満面の笑みを浮かべ、六郎の足にすり寄るまち。しかし一方の六郎は鬼すら恐れるまちの威圧感を前に、完全に状態である。


「あの……なんかこう、思ったより複雑そうですね?」


「うむ。痴情ちじょうのもつれは犬も食わぬし巫女も手出し無用なのじゃ!」


「ま、まあさ! なんだかんだ六郎さんが鬼だってこと、まちが気にしてないみたいで良かったよ!」


 あまりにも意外すぎるまちの心情と本質の発露にビビりまくる六郎を余所に、奏汰たち三人は正座して肩を並べ、一糸乱れぬ動作で手に持った茶に口をつけた――――。



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