第二章 討つべき者

黄の鬼。二人。


「探したよ、六業ろくごう。こうして早くに君を見つけてあげられて良かった。さあ、私と一緒に帰ろう――――」


「あ……ああ……っ」


 目の前に現れた栗色の髪の女性の姿に、思わず背負っていたかごを落とし、後ずさる六郎ろくろう。そしてそんな六郎と目の前の女性。双方を不思議そうに見つめるまち。


 青田あおたをなびかせる夏の風が三人の間を奔り抜け、その場には遠くから聞こえるせみの鳴き声だけが響いていた。


「大丈夫かい……? 私も何度も確認したのだけど、君の反応は一度完全に途絶えていたんだ。私も……他の皆も、君の命は剣奏汰つるぎかなたとの交戦で潰えたと思い込んでいた」


 栗色の髪の女性は自身の胸に手を当て、今にも六郎に駆け寄りたい気持ちを抑えるように、努めて冷静に言葉を選んでいた。六郎を刺激しないように、これ以上傷つけないようにという明確な配慮があった。


「でも……私は――――私は、諦められなかった。君が死んだなんて、思えなくて――――」


 女性は俯き、その辛かった日々の心中を言葉に乗せてそう言った。

 そして今。彼女との邂逅かいこうは、六郎の記憶の断片を強烈につなぎ合わせた。


 共に固い絆で結ばれていた四人の小位――――そして、それぞれの色ごとに深い関わりを持っていた、小位と大位の関係を。


「アンタ……は……陽禅ようせん……さん……。黄の大位……っ」


「うん……そうだよ。私は黄の大位――――陽禅。今更君からそんな呼ばれ方をするなんて少しこそばゆいけど……それでも――――覚えていてくれて嬉しいよ」


 繋がった記憶の先。思わず呟いた六郎の言葉に、目の前の女性――――黄の大位、陽禅は笑みを浮かべる。だが――――。


「あの……お姉ちゃん、お兄ちゃんのこと知っているの?」


 二人のやりとりを見ていたまちが、おずおずと六郎の足に手を添えながら声を発した。


「やあ――――こんにちは。小さなお嬢さん。もしかして、君が彼を助けてくれたのかな?」


「え……? ――――うん。お兄ちゃん……川に、倒れてて……」


 陽禅はまちに向かって柔らかな笑みを浮かべ、少しだけその身を屈めて小さなまちに自らの目線を合わせた。

 陽禅の黄金の瞳に、やや怯えながらもじっと陽禅を見つめるまちの姿がすっぽりと映っていた。


「ありがとうお嬢さん。実は、彼は私にとってなんだ。そんな彼を助けてくれたお嬢さんには、私からもぜひをさせて貰いたい――――」


「お、おい……っ!? 駄目だ、何もするンじゃねえ……っ! この子はっ!」


「え……?」


 刹那。陽禅の周囲の景色が明らかに歪んだ。まるで不可視のガラスや水晶によって光の屈折率が操作されたかのように、景色の見え方が変わったのだ。


 その歪みは一直線にまちめがけて放たれていた。ただその場に立っていただけのまちは、何の反応も出来ず、その歪みの中に囚われるかと思われた。


「お、お兄ちゃんっ!? て……手が……っ!」


「駄目だ……ッ! それだけは、それだけは何が何でもやらせらンねぇッ! ここで、アンタとやりあうことになってもさァッッ!」


 だが六郎は動いていた。まちをその腕の中に抱えて飛び退り、瞬時に後方五十メートルは距離を取った。

 しかし、そこまで全力で回避へと動きながらも六郎の片腕――――まちを抱えていない側の左腕は、その根元からしていた。


「やはりそうか――――それを確かめるためにそのお嬢さんを狙ってみたんだけど。六業――――やはり、君には一刻も早い治療が必要だ。このままでは、私は君を――――」


 風が止んだ。煩いほどに鳴いていた蝉の鳴き声が止んだ。

 陽禅の穏やかな表情から笑みが消え。その金色の双眸そうぼうが殺意の光を宿す。


「君を――――廃棄しなければならなくなる」


「――――っ!」


 瞬間。空間の歪みは三度。


 陽禅が動いたことを見て取った六郎は、即座に失った腕に霧散むさんした黒い蛇を凝固させて再生すると、落としたままの商売道具を拾うこともせず、しっかりと腕の中にまちを抱え、一飛びで数百メートルの飛距離を稼いで逃走を図る。


 それと同時、六郎とまちが先ほどまで立っていたが不可視の力によって深く陥没し、その左右の青田も抉り取られるように破砕する。


「お、おにいちゃ……! お、おてて……だいじょうぶっ……なのっ? あの人、誰……っ」


「黙ってろ! 舌噛むぞっ!」


 まさに風そのものと化したかのような、人外の加速。しかしまちはそんな中にあっても必死に六郎の怪我を気にしていた。


「やべぇ……! 絶対にヤベェ! どうする!? 今の俺に何が出来る!? 大位には――――あの子には俺じゃ逆立ちしても勝てねぇ! どうすれば守れる……っ!?」


 一瞬で広大な田畑を飛び越え、田畑と江戸の市中を区切る神田上水沿いへと辿り着く六郎とまち。六郎はしかし、そこから先へと進むことを躊躇ためらった。


 ここから先に六郎が進めば、そこからは大勢の人々が暮らす江戸の町だ。陽禅の力ならば、市中で僅かに暴れただけで即座に万を超える人々を殺戮することが可能だろう。


「駄目だ――――っ! それはもう駄目なんだよッッ! 俺はもうそんなことしねぇンだッッ! どっか、逃げる場所は――――!?」


 思わず叫び、首を振る六郎。

 ならば、まちだけを市中へと向かわせ、自身は戻るか――――?


 否。今やまちは六郎と陽禅の会話とやりとりの目撃者だ。六郎の知る陽禅の性格から、彼女がまちを見逃すとは全く考えられなかった。


 焦る六郎。六郎は神田上水の手前でまちを抱えたままきょろきょろと辺りを見回し、なんとかしなければとその頭を高速で回転させる。すると――――。


「お、お兄ちゃん……! わたし、……! わたしとお兄ちゃんを助けてくれる人がいる場所……っ!」


 

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