その剣は輝きを増し


「――――雨は止んだか」


 江戸城本丸御殿ほんまるごてん。上層階。


 時刻は正午を僅かに過ぎた頃。朝から続いた雨は晴れ上がり、空を覆っていた分厚い雲は、その切れ間からきらめくような日射しを覗かせ始めていた。


 鬼の襲撃によって有耶無耶うやむやとなった御前試合の総括と、今後の鬼との戦いについての討議とうぎを終えた将軍徳川家晴とくがわいえはる


 家晴は大きく開け放たれた戸を抜け、江戸の街並みを見渡すことの出来る張り出しの回り廊下に歩みを進めると、目の前に広がる雄大ゆうだいな光景に目を細めた――――。


剣奏汰つるぎかなた……あの年若さで、彼は一体どれほどの戦場いくさばを切り抜けてきたのか」


「そういや、つるぎと同じ年頃の上様は毎日のようにお忍びで城下へ出かけてましたねぇ。だとか言って」


 張り出しの欄干らんかんに両手を添え、深く感慨を受けた様子で呟く家晴。

 そしてそんな家晴に、横に控えていた討鬼衆とうきしゅう大番頭の四十万しじまは、家晴と二人だけの時のみに見せる砕けた口調でからかうように言った。


「フッ……四十万よ、あの頃はお前にも世話をかけた。だがお前もあれは楽しんでいただろう?」


「そりゃあもう。上様がなかなか成敗を言わない時なんかは、まあまあじれったかったですがね」


「はっはっは! 今となっては何もかも過ぎ去りし時。そして、掛け替えのない我らの歩みよ」


 空の煙管きせるをふかすように咥え、柔らかな笑みを浮かべる四十万。家晴もまた、そんな四十万に表裏のない笑みを浮かべ、再び張り出しからの景色に目を向ける。


――――それは、、届かなかった言葉だ」


 家晴はそう呟くと、その脳裏に先ほど謁見の広間で奏汰の言った言葉を思い出す。



『俺は鬼も救います。真皇しんおうを倒し、真皇によって鬼に変えられた人たちを元に戻します。たとえ――――それまでに。それが勇者としての――――いえ、俺が剣奏汰としてここで成すべき事です!』


 

 あの本丸御殿の場。奏汰は自らが知り得、そして実際に真皇と刃を交えた際のこと全てを話した。


 塵異じんいのこと、零蝋れいろうのこと。闇の中で聞いた無数の苦しみ悶える声と、あまりにも強大な真皇の闇――――。

 自らの出自、そして異世界での戦い。本来大魔王であった、影日向大御神かげひなたおおみかみとの因縁。全てを包み隠さず話した。


 すでに奏汰は大位の鬼を討ち果たし、江戸にやってきてから僅か一ヶ月と少しで四体もの小位を滅ぼしている。その絶大な力は江戸の実力者の誰もが認めるところ。


 誰も、奏汰の語るその話を世迷い言と笑う者はいなかった――――。


――――多くの鬼と刃を交え、それは俺も気付いていた。しかし俺には剣しかなかった。ただ斬り捨て、鬼の苦しみを終わらせてやることのみが俺に出来ることだった」


「――――わかってますよ。俺も、御側にいましたから」


 家晴は言うと、その表情に後悔を滲ませ、遙か遠くなった記憶へと思いを巡らせる。家晴の言葉を聞いた四十万もまた、やや俯き気味に目を逸らした。


「――――だが彼は違う。彼には、鬼を人に戻す力がある。彼の話を信じるならば、真皇さえ討ち果たせれば、確かに全てを終わらせることが出来るだろう」


 家晴は我知らず、欄干に添えた手に力を込めていた。その思いは、将軍としての責務とは無縁の、が持つ感情による思いだった。


「だがそれゆえに、そのしんに危うさを感じずにはおれぬのも事実。 ――――四十万よ。新九郎しんくろうと共に、剣奏汰の支援を続けよ。今の彼には、一人でも多くの支えが必要だ」


「心得ております――――。終わらせましょう。俺達の代で、全てを――――」


「ああ……無論だ」


 家晴と四十万は共にその視線に強い決意を宿して頷くと、覗き始めた晴れ間に照らされた江戸の町を見つめた――――。



 ――

 ――――

 ―――――― 



「ああ……大君たいくん様の前でも立派にその決意を口にされた剣様……。控えめに言ってもとっっっっても素敵でした……。今まではほんのたわむれのつもりでしたが、どうも本気になってしまったかもしれません……どうしましょう。今すぐにでも食べてしまいたい……」


「やめんか玉藻たまもよっ! お主が言うと全く洒落になっとらんのじゃ!」


 あやかし通りへの道すがら。連れ立って歩く奏汰、なぎ、新九郎。そして玉藻とぬらりおうの五人は、雨の上がった江戸の一角をある場所へと向かって歩いていた。


「ほほ……良いじゃあないですかぁ。もうこうなってしまえば私もそこらの生娘きむすめと変わりゃしません。人の恋路を邪魔するものはなんとやら。剣様だって、別にというわけでもありゃしませんでしょう?」


「にょっ!? ぬぬぬ……そ、それは……! だ、駄目じゃ! 駄目ったら駄目じゃ! 奏汰は神代預かりなのじゃ! 手出し口出し一切無用なのじゃー!」


 なにやらくねくねとその身をよじりながら歩く玉藻の言葉に、凪は僅かに頬を染め、駄々をこねる子供のように両手をぶんぶんと振り回してその話を打ち切る。

 

「――――そうだな。俺はここに来て、最初に凪に拾って貰ってとっても良かったと思ってるよ。凪はいっつも俺の事を考えて、良くしてくれるんだ。これからは俺も凪にお返ししたいなっ!」


「お、お返しなど……。そんなものいらんのじゃ……。今は、こうして一緒にいてくれるだけで、私は……」


 二人の話の理解出来る部分だけを切り取ってそう口にした奏汰の屈託のない笑みを受け、凪はますます赤面して俯く。


 その凪の様子は、明らかにかつてとは全く違う姿だった。今のこの凪がかつてと同じように奏汰とのんきに同じ風呂に入れるか。それはかなり怪しいところだろう。


 無敵の大妖怪、玉藻前たまものまえは凪が放つそのただならぬ空気感を即座に感じ取ると、カッと目を見開き、一度は打ち切られた話を再度蒸し返した。


「ぐぎぎっ! 寝ている剣様を見つけ、最初に預かると言ったのはこの私っ! 私なのですよっ!? このような素敵な方だと知っていれば、おいそれと姫様に渡したりはしませんでしたっ!」


「わっはっは! 玉藻の姉さんがここまで男に入れ込むたぁ珍しい! 儂ももう少し若けりゃあ参戦しても――――」


「黙りなさいぬらり――――喰いますよ」


「ひえええ! す、すんませんでしたああああっ!」

 

 そんな恐ろしいやり取りを横に。先ほどから僅かに後方でその様子を眺めていた新九郎は、自身の胸に秘めた言葉をいつ口に出したものかとうんうん唸っていた。


(父上からの命で、って……いつ言えば良いのかな? なんか、今それを言ったら大変なことになりそうな……? い、一体僕はどうしたらっ!?)

 

 そしてそんな五人が向かった先。そこは、あやかし通りの最奥。広々と生い茂った林の奥にある、三つのほこらの前だった。


 三つそれぞれの祠の中にある石碑せきひにはそれぞれ別種の文字がずらりと刻まれ、読める文字だけを確認すれば、それがあやかしにとっての墓地であることが見て取れた。


「――――剣様が人へと戻されたはこちらでとむらいました。ここに眠っている者は皆、死後まで現世のいさかいを持ち込む者はおりませんから」


「ありがとう、玉藻さん。いつも無理言っちゃって――――」


「フフ……いいんですよ。こうして剣様の御力になれて、私も嬉しいです」


 そう言って一人、前に進み出た奏汰の正面。中央の石碑には『睦絆夫婦此憩空』の文字が真新しく刻まれていた。


「塵異さん。零蝋さん――――俺の事を助けてくれてありがとう。信じてくれてありがとう――――。二人のこと、俺は絶対に忘れないから。だからどうか、ゆっくり休んで下さい――――」


 奏汰はそう言って、その新しく刻まれた文字にそっと指先を添えた――――。

 先ほどまでの雨に濡れ、冷たく湿ったその文字の部分に、奏汰のぬくもりが確かに伝わった。


 光り輝く雨粒を湛えた木々の下。闇の中に消えた二人に静かに誓う奏汰達の頭上。


 そこには晴れ間から射し込んだ陽の光によって浮かび上がった七色の虹が、江戸の町を見守るようにかかっていた――――。


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