御前試合は終わり


「此度の鬼共による江戸襲撃。其方らの働きなければ、より多くの被害が出ていたであろう。 ――――誠に大義であった」


 御前試合から一夜明け。江戸城本丸御殿ほんまるごてん、謁見用の大広間に、将軍徳川家晴とくがわいえはるの声が響いた。


 その広さは左右と奥行きがゆうに数十メートルを超え、それほどの広さだというのに、広間の天井を支える柱はその外郭がいかく部分にしか存在してなかった。


 壮麗そうれい意匠いしょうの施された天井部分をみやれば、そこには大層立派な柱が幾何学的きかがくてきな形で組み合わされた吹き抜け状になっており、その広大な天井の重みを分散して支える建築技術の一端が見て取れた。


 そして大広間正面。

 一段、二段と高くなった上座の最上段に鎮座する第十二代将軍、徳川家晴の御前。

 

 常ならばこのような場所とは無縁であろう、様々な出自と身分を持つ者達が、そのへだてなく一斉におもてを上げていた。


「ほほほ……私どもこそ、此度の鬼の攻勢はこの一月に起こったものの中でも最も苛烈かれつ。ついに抑えきれずに大君たいくん様のお手をわずらわせ、申し訳なく思っていたところ……」


「いやはや、まさかめでたい御前試合の日を狙うとは、まっこと鬼共は不届き者。幸い、我らあやかし衆は戦力に関してはほぼ万全。名無しのぬえに加え、富士太郎ふじたろう愛宕山太郎あたごやまたろう、これら大天狗両名が滞在しておりました故、特に被害もなく、城下の騒乱は鎮圧済みにござりまする――――」


 家晴から見て左手前方。しおらしく平伏していた二名のあやかし――――黒と金の着物を纏う銀髪の美女、大妖怪玉藻前たまものまえと、表向きのあやかし衆元締め、小柄な好好爺こうこうや――――ぬらりおうが城下とあやかし通りの現況を報告する。


 今回発生した三体の位冠持ちの鬼による江戸襲撃。最も苛烈な攻勢を受けたのは、あやかし通りと江戸城周辺だった。


 奏汰かなた達が交戦した江戸城前の三体を含めれば、江戸城には計十二体もの位冠持ちが。そしてあやかし通りには、やはりこちらも九体の位冠持ちが出現していた。


「うむ――――辞儀じぎに及ばぬ。たとえ表向きはどうあろうと、我ら幕府と其方らあやかし衆とは対等の関係。此度の件に関しても、その獅子奮迅ししふんじんの活躍は江戸だけでなく日の本全ての民の支えとなるであろう。 ――――この家晴、心から礼を言う」


「ほほ……これはこれは。なんとも勿体なきお言葉ですよ――――大君様」


 ぬらり翁からの報告を受けた家晴は大いに頷いて目礼をすると、次にその視線を右前方へと向ける。

 そしてそちらには赤と黒の陣中装束じんちゅうしょうぞくのまま御前への参上を許される唯一の集団――――討鬼衆とうきしゅうが控えていた。


四十万しじまよ、今後の動きだが。例の鬼の術と、地獄界への門の捜索はどうなっている?」


「はっ! 鬼が城下及び江戸城周辺に配した術式についてはほぼ八割方無力化を終えたとみております。今後は、此度の御前試合に合わせて城内に滞在する台密たいみつ僧、空輪くうりん殿のご助力の元、残り二割の無力化を進める所存」


 今回発生した鬼の大攻勢。それを支えたのは、やはり例の鬼が江戸中に張り巡らせた術式がその根底にあることは疑いようがない。

 術式の発見と破壊を進める四十万の進捗を、家晴は深く考えるように聞き入っていた。


「続いて討鬼衆一番頭木佐貫愛助きさぬきあいすけ。大番頭、四十万弦楽しじまげんがくより注進ちゅうしん引き継ぎ致します」


 そして四十万による報告の完了を見届け、その横に控える愛助が入れ替わるようにして僅かに前に出る。


「地獄界への門捜索は難航しております。現在、大目付おおめつけ東綱とうつな殿の指揮の下、幕領ばくりょう及び町民街での検地けんちを進めております」


「うむ、敵も然る者。やはり一筋縄ではいかんか……」


 現在に至るまで、その出現方法が一切わからなかった鬼の出所。その根源として奏汰達が偶然見つけ出した鬼の門は、幕府にとっても最も重要な懸念けねん材料であり、掃討対象であった。


 しかしそもそも鬼の門はこの徳川三百年――――否、更に言えば鬼の出現から今に至る千年の間、一度も発見されてこなかったのだ。そう易々と見つけ出せるものではなかった。しかし――――。


「――――僭越せんえつながら申し上げます、大君様。恐らくですが、今も討鬼衆の皆様が一生懸命に潰して回られているその鬼の術式――――それが完全に消え失せれば、我らあやかし衆も、その門とやらを探すお手伝いができるかと――――」


 愛助からの報告にその表情を曇らせる家晴に、控えていた玉藻が声を上げた。


「なるほど……やってくれるか、玉藻殿」


「ええ、ええ……。我らあやかしも、今まではそのような物があると意識すらしておりませんでした。ですがやつら鬼の臭いを嗅ぎ回るのは元より私どもあやかしの領分。術式による隠蔽いんぺいが消え失せれば、すぐにでも狙い定めて取りかかりましょう」


 玉藻の話を聞いた家晴は即座に討鬼衆へあやかし衆との連携強化を下知し、自身の横に控えるまだ年若い傍仕えに下知の内容を列挙した朱印状の手配を命じた。そして――――。


「あやかし衆、討鬼衆。双方共に大義であった。しかし此度、其方らを集めた本題はこれのみにあらず――――」


 家晴はあやかし衆、そして討鬼衆それぞれに目礼を行った上でその労をねぎらうと、いよいよとばかりに自身の正面へとその視線を向け、自らもまた姿勢を正してその表情を再度引き締める。


「此度、其方らを集めたのは他でもない。剣奏汰つるぎかなたよ――――昨日、君があの場で行ったこと。そして、それによって起こった事の仔細を聞きたい。恐らく、それは今後の我ら江戸の――――いや、人という存在と、この天下そのものに関わる大事であろう」


「――――はい。俺に出来ることなら、なんでもっ!」


 家晴が目を向けた先。そこにはいつになく真剣な表情で居住まいを正し、家晴からの視線をまっすぐに受け止める奏汰と、その左右に座るなぎ、そして新九郎しんくろうが控えていた――――。



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