受け継がれた光


「――――っ? ぐっ――――はっ――――!?」


奏汰かなたっ!」


「奏汰さんっ!?」


 闇を抜け、離れていく二人の声に手を伸ばし、そしてその全てが途切れた先。


 自身を構成する糸が再び繋がったような感覚と共に、奏汰はその意識を再び自身の制御下に置いた。

 

 目の前に広がるのは、日が暮れ始めた江戸の町。

 赤く染まった空が広かった。どこまでも開けていた。


 周囲には廃墟と化した家屋と大通りが広がり――――目が覚めた奏汰を、それこそ胸が張り裂けそうなほどの悲痛な顔で見つめるなぎと、新九郎しんくろうの姿があった。


「奏汰……っ! 目を……目を覚ましたのじゃな……っ」


「か、かなたさあああああん……っ! もう、もう本当に起きないんじゃないかって……奏汰さん、あれから半刻もずっと動かなくて――――っ!」


「お――――俺は――――……?」


 もはや抑え切れぬとばかりに、しかしその身を気遣うように奏汰の両肩にひしと縋り付いて涙を浮かべる二人。

 その身から伝わる確かなぬくもりが、奏汰の意識と体の繋がり、そして先ほどの深淵との邂逅かいこうを一つの記憶としてつなぎ合わせていく。


「そうだ――――零蝋れいろうさん――――! 零蝋さんは――――っ!?」


 ようやくその思考が明瞭めいりょうとなった奏汰は、その聖剣を大地へと突き立て、片膝をついた姿勢で動かずに俯いていた自分の肉体感覚を確かめる。

 

 そして今の自らにとってもっとも大事な、その切っ掛けとなった――――そして、あの闇から自分を救い出してくれた女性の名を呼んだ。周囲に目をこらし、その姿を探した――――。


「あ――――……」


 求め、探したその姿は、確かにそこにいた。荒れ果てた大通りの上、傷ついた姿とぼろぼろの衣服。

 すでに物言わぬむくろとなって、零蝋は奏汰の視線の先で静かに横たわっていた。


「――――奏汰が力を使い、動かなくなってからすぐじゃった。この者の瘴気しょうきが消え、鬼としての姿も嘘のようにはらい清められていったのじゃ――――」


「それを見た凪さんが、すぐにこの方に治癒ちゆの符を施されたのですが――――……」


 二人のその言葉を聞きながら、奏汰はゆっくりと――――覚束おぼつかない足取りで立ち上がると、横たわる零蝋の亡骸の前にその両膝をつき、すでに石のように冷たくなった白い手を握った。


 すでに零蝋の顔を禍々まがまがしく彩っていた紅はせ、蜘蛛の姿を取っていた下半身は人の姿へと戻っていた。

 静かにその瞳を閉じ、渇いた風に吹かれる零蝋の表情には、もはや怒りも、憎悪も残ってはいなかった。


『ありがとうつるぎさん――――私たちのような罪深き者達にも優しくしてくれたこと。私は最後の時まで忘れません――――』


 真皇しんおうの闇の中。奏汰を救い逃がした零蝋の穏やかな声が蘇る。


 零蝋の手を握る奏汰の手の甲に、ぽつ、ぽつと水の滴が零れ落ちた。

 奏汰はその背を震わせ、歯を食いしばって泣いていた。


「すまん――――奏汰よ。お主がここまでしてくれたというのに――――私が――――」


「ちがう――――凪のせいじゃない。俺――――っ! 俺なんだ――――! 俺が、俺が負けたから――――! 俺はあいつに――――真皇に勝てなかった――――っ! 勝てなくて、あと少しでこの人を助けられたのに――――俺は負けて、逃げてきたんだ――――っ!」


 奏汰は嗚咽おえつ混じりにそう言って、背後で謝罪する凪に何度も、何度も首を振った。


「し、真皇と……!? 奏汰さん、真皇と会ったんですかっ!?」


「っ!? 奏汰……っ。お主、それは――――それは真か!?」


 奏汰のその言葉に、凪と新九郎は驚愕の声を上げる。

 奏汰は無言で頷くと、再び目の前で眠る零蝋へと目を向けた。


「駄目だ――――っ! 今の俺じゃ――――鬼を人に戻せないっ! 緑は効いたんだ――――緑なら、確かに戻せたっ! でも、そこには真皇がいる――――鬼の心はあいつと繋がってる――――! 今の俺じゃ――……! あいつには――――っっ!」


 半ば叫びとなった奏汰の声が辺りに響いた。

 

 あまりにも――――あまりにも不甲斐なかった。倒さなければならなかった。なんとしても、あの場で全てを終わらせなければならなかった。

 しかしそれと同時に、今の奏汰では決してあの存在を終わらせることができないと、打倒することが出来ないということも理解していた。


 それほどまでに隔絶かくぜつした力の差だった。


 奏汰は自身の不甲斐なさと弱さに泣いた。救われた命に泣いた。全てがない交ぜになった感情の波をそのまま押し出すようにして、歯噛みして泣いた。だが、その時――――。


「――――っ!?」


 その時、奏汰は零蝋の手を握る自分の手に、白衣を着た大きな手が重ねられるのを見た。それは、あの闇の中で確かに自分を励ましてくれた、塵異じんいの手だった。


「塵異さんっ!?」


 それに気付いた奏汰はすぐに顔を上げ、周囲を見回した。

 しかしそこには誰も居ない。凪と新九郎が共に奏汰を見つめ、心配そうに首を傾げているだけだ。しかし――――。


「ひかり――――これ……光が、俺の中に――――?」


 不意に、零蝋の手を握り締めていた自身の手に暖かさを感じた奏汰は、静かにその手を離し、開いたその手のひらを見つめた。


 そこにはぼんやりと、しかし確かな輝きを放つ光が見えた。

 奏汰の手、その中に――――が灯っていたのだ。


『そう泣くことはない――――小生は信じているよ。君が、君の大切な存在全てを、必ず真皇の闇から守り切ると――――』


「塵異……さん……っ」


 その翡翠色の輝きは、まるで奏汰を支え、励ますように暖かだった。

 奏汰は確かに、その光が自分の中に宿り、生きていることを感じた。

 

 確かに奏汰は救い、そして救われていた。その命を、そして心を。


 奏汰はその手のひらに宿る、初めて自分以外の誰かから託された光を握り締めた。

 そして泥とすすにまみれた自身の顔をゴシゴシと拭い、前を見つめた――――。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る