第六章 救われる者

届いていた光


 闇。全ては闇。


 もはやいかに目をこらそうとも、自分自身の姿すら見ることはできない。


 五感全てを奪われた漆黒の闇の中。

 奏汰かなたはその身の再構成すら覚束おぼつかない有様で、真皇しんおうの力の前に屈しようとしていた。


 絶対防御の紫は砕けた。無限の精神力を保証する緑は消えた。全てを滅ぼす赤は燃え尽き、奏汰に際限のない自由を与える白と青は、もはや地に落ちている。


 奏汰に残されたのは。ただその手に握り締めた勇気の剣、リーンリーンだけが、未だ折れずにその形を保っていた。だが――――。


 それは刹那の時。真皇の放つ凝固した闇によって今正に奏汰の存在が消滅しようとしたその時だった。



 まただ――――。俺は、また――――。



 奏汰はまだ生きていた。全てがゆっくりと、時間が止まったかのように感じる感覚の中、それでもまだ諦めず聖剣を握っていた。


 奏汰の脳裏に、かつて経験してきた無数の戦いが走馬灯のように蘇る。


 奏汰は勇者だ。目の前で危機にある人々を、窮地に陥った仲間達を、数限りなくその剣と力で救ってきた。しかし――――。



 どうして、俺は肝心なときに――――。

 今だって、絶対に――――絶対に負けちゃいけないのに――――。



 奏汰は今でこそ道理をくつがえす力を持っているが、かつてはそんなことはなかった。

 奏汰自身も何度も死にかけ、目の前で多くの仲間を傷つけられ、失ってきた。


 その度にもう負けないと。もっと強くなると誓い続けて生き延びてきた。

 に覚醒し、今度こそ強くなったと思っていた。全てを守れる力を手に入れたと。しかし――――。



 きっと、だ。だからこういうことになるんだ。

 俺一人が強くたって、なんて――――。


 

 奏汰にもわかっていた。力で切り開いた平和、力で押し通した道理。

 それはら全て、より強い力には全くの無力であることを。


 本当なら、もっと違う方法があるのかもしれない。

 敵を倒す力がなくても、みんなが平和に暮らせる方法が――――。



 でも――――。



 闇の中。奏汰の耳には未だに零蝋れいろう塵異じんいの苦しみ悶える声が届いていた。


 否、それだけではない。この静寂せいじゃくの中、耳を澄ませば数え切れないほどの――――それこそが響いていた。響き続けていた。



 それでも――――ッッ! 

 やっぱり、こいつだけは――――ッッ!  


 

 闇の中、傷つき尽くした奏汰の体が僅かに震えた。

 奏汰の周囲で七色の光が僅かながら明滅めいめつし、その肉体に力を灯す。


 たとえ力による道理であっても、たとえそれが奏汰のエゴだったとしても。それでも奏汰にはこの存在を許すことは出来なかった。

 たとえここでその命が燃え尽きることになっても、なんとしても滅ぼさなければならない邪悪だと、奏汰はそう決意していた。だが――――。



「俺は、まだ――――っ!」


「ふむ……相変わらず無茶をする子だ」


「――――えっ?」


 だがその時だった。迫り来る真皇の闇の中で再び目を見開き、その命すら燃やし尽くして最後の反撃を試みようとした奏汰の肩に、大きな――――しかし暖かな手の平が乗せられた。


? こんなところで、命を捨ててはいけないよ」

 

「あんたは――――っ?」


 闇の中。振り向いた奏汰の目に飛び込んできたのは、一人の立派なひげを生やした白衣の男。

 その身に纏う雰囲気や眼差しの優しさは比べるべくもないが、それは確かに奏汰がかつてあやかし通りで戦った翠の大位すいのおおくらい――――塵異だった。


「ふむ……小生のことを覚えていてくれたとは、光栄だよ。つるぎ君」


「どうしてっ? あんたは俺が倒して!? それに、ここは真皇の――――っ!」


 困惑しきりの表情を浮かべる奏汰の前。かつて大位の鬼、塵異として奏汰と刃を交えた男はどこまでも穏やかな眼差しを奏汰へと向けていた。


「そう……ここは真皇の闇が支配する領域。だからこそ、その闇に取り込まれている小生は君に礼を言うことができる。剣君……小生の最愛の妻のため、このように傷ついてまで戦ってくれたこと、小生は心から感謝している。だから――――もう十分だ」


「え――――?」


 塵異は真皇の闇の中で呆然とする奏汰の肩を温めるように支え、その身から翡翠色ひすいいろの輝きを放ちながら片膝をついて笑みを浮かべた。


――――すでに君のお陰で救われたのだよ。この闇の中に射した君の光が、私たちを救ってくれた――――なあ?」


「ええ……本当に。ありがとうございました、剣さん――――」


「あんたは――――零蝋、さん――――?」


 塵異の呼びかけに答えるように、まるで闇がその輪郭りんかくを得るようにしてもう一人の女性がその場に現れる。

 目の前の塵異と揃いの白衣を纏い、楚々そそとした容貌ようぼうの、しかしとても知的で、美しい女性だった。


「見ず知らずの――――それどころか、貴方や貴方の大切な方達を傷つけた私のために、剣さんがここで命を捨てることはありません。もう貴方は、充分過ぎるほど戦って下さいました――――どうか、この場はお逃げ下さい」


「そんな……っ!? 俺はまだあいつを倒せてないっ! きっと零蝋さんのことも、まだ人間に戻せてない……っ! ここで、ここで……俺が負けたらっ! 誰も……っ! 誰も……っ!」


 戦いはまだ終わっていない。今この時も、真皇は奏汰を押し潰そうと、その闇の締め付けを強めているはず。

 にも関わらず、奏汰は目の前に現れた二人の姿に、悔しさとも不甲斐なさともわからぬ涙を流していた。


 奏汰にもわかっているのだ。すでに、勝負は決したことを。


「いいえ――――先ほど彼が話したとおり、剣さんは私たち二人の心をすでに解き放って下さいました。たとえ肉体は滅びても、私たちは最後にこうして再会することができた――――それは全て、剣さんのおかげです。それに――――」


「小生も妻も――――たとえ真皇に支配されていたとはいえ、あまりにも多くの血を流しすぎた。あまりにも多くの人々の幸せを壊してしまった。揃って地獄へいく気構えは、とうに出来ている」


「そ、んな――――っ! 二人は悪くないっ! みんな――――ただ普通に暮らしてただけだっ! 悪いのは、全部真皇……っ! あいつが、全部悪いんだ……っ!」


 溢れる涙を抑えることもせず、奏汰はその顔をぐしゃぐしゃにして塵異と零蝋に訴えた。しかしもはや残された時間は少ない。

 周囲の闇はその濃さを増し、塵異が展開する翡翠の光すら再び闇に染めようとうごめいていた。


「ふむ……名残惜しいが、どうやらここまでだ。なに、そう泣くことはない――――小生は信じているよ。君が、君の大切な存在全てを、必ず真皇の闇から守り切るとね」


「ありがとう剣さん――――私たちのような罪深き者達にも優しくしてくれたこと。私は最後の時まで忘れません――――」


「っ――――!?」


 瞬間、奏汰の意識は亜光速すら超え、瞬間転移の力すら超えて遠く――――距離すら感じることができない程の遠くへと飛んだ。

 それはまるで、世界そのものから弾き出されたかのような絶対的な強制力だった。


「さらばだ、剣君――――いつか、君が母君と再会できるよう祈っているよ」


「さようなら剣さん――――どうか、どうか今の日々を大切に」


 遠ざかる意識の中、奏汰は最後に二人の声を聞いた。それは奏汰の身を案じ、その道行きの無事を祈る優しさと想いに満ちていた――――。



「く……っ! うぅ……っ! ううぅ……っ!」


 肉体はとうに限界を超えていた。本来であれば、すでに勇者の虹の反動で消滅していてもおかしくなかった。


「うわああああああ――――っっ!」


 それでも奏汰は、遠ざかる闇に向かって泣き叫ぶことしか出来なかった。


 全ての光を飲み込む極大の闇から超速で離れていく七色の光は、やがて彼の帰りを待つ二人の元へと帰還した――――。



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