勇者の虹 真皇の闇
「――――えっ?」
瞬間、
闇。
奏汰はその聖剣に収束させた勇者の緑を乗せ、
しかしその次の瞬間、奏汰の目の前に、周囲一面に広がったのは闇だった。
何も見えない。新月の夜など比較にならない、一欠片の光すらない完全なる闇。
見えないだけではない。奏汰は自分が今どこかの地面に足をついているのか、それとも浮遊しているのかすらわからなかった。
「いったい、何がどうなって――――いや、こういう時は――――っ」
上下左右の別どころか、全身の感覚すら覚束ない闇の中。
しかし奏汰は即座に冷静さを取り戻すと、自身の手の中に聖剣が握られていることを確認し、ただこれから起こる全てに対してその全神経を集中させ、即応の構えを取る。
勇者の緑に空間転移の力などない。
つまりこの現象は、奏汰以外の存在によるなんらかの力が働いている。奏汰にとって、そこまでわかれば充分だった。
あとはただ、目の前で起こる全てを切り開くのみ。奏汰はそう決意した。しかし――――。
「ふむ……君は今日もその大切な蜘蛛たちの研究で忙しそうだね? 小生としては、蜘蛛という種はどちらかというと苦手なのだが……」
「ふふっ……またそんなこと仰って。貴方も一度、この子達を研究対象にしてみてはどうです? もしかしたら愛着が沸いて、可愛いと思えるようになるかもしれませんよ?」
(なん、だ……?)
突如、闇の中に声が響いた。それは、どこかで聞き覚えのある男女の声だった。
そしてその音から僅かな間を置いて、奏汰の目の前にぼんやりと光り輝くなんらかの景色が浮かび上がってくる。
その光の向こうには、奏汰にも見覚えのある現代の医者や研究職の人々が身に纏う白衣を着た男女が、なにやら仲睦まじく談笑していた。
「ふむ……それは確かに君の言う通りだ。思うに、人は理解出来ぬもの、知らぬものを恐れる。蜘蛛を理解し、より深く知ることで小生の蜘蛛恐怖症も和らぐやもしれん」
「その通りですわ。私と貴方だって、初めて出会った時はお互いのことを何も知りませんでした。今だから言いますけど、初めて貴方を見た時は、なんて趣味の悪い髭を生やしているんだろうと思っていたのですよ?」
「な、ななな、なんとぉ……っ!? そ、それならそうと言ってくれれば! こ、このような髭、今すぐにでも剃り落としてこなくては……ッ!」
大小様々、さらにはその体表にある色や柄も様々な多くの蜘蛛が収められた研究用の容器の前。
美しい黒髪の妙齢の女性が、目の前に立つ特徴的な見事な髭の男性に笑みを浮かべている。
二人は夫婦なのだろう。互いの手には、大小の差だけがある揃いの指輪がはめられていた。
「ふふふ……いいんです。私、今は大好きですから、貴方のそのお髭――――なくなったりしたら、とても寂しいです」
「むむう……そ、それなら良いのだが。うほんうほんっ! つまり……まあそういうことだな。君の言いたいことはよくわかった。小生も、今進行中の時空間制御に関する研究の合間に、蜘蛛を一匹育ててみるかな?」
「まあ! それはとても素敵なことだと思います。それでしたら、私が貴方にぴったりの、とても可愛らしい子を選んであげますからね」
「ふ、ふむ……お手柔らかにお願いする」
それは、何の変哲もない日常の景色だった。
少なくとも奏汰にはそう見えた。
二人の間に確かな絆と想いがあることは、ただこれだけで手に取るように分かった。
そして、その想いを見た奏汰はあることに気付く。
(これは――――あの人の記憶だ。あの零蝋っていう人が、人間だった頃の記憶だ――――!)
奏汰は自身が気付いたその事実に驚き、混乱した。
今まで、勇者の緑を発動してこのような事態になったことはなかった。しかもそれだけではない。
零蝋と、そして恐らくは彼女の夫の
(いや――――! 違う、駄目だ……今俺がやることは、考えることはそれじゃない! この人を、人間に戻すことだ――――っ!)
ともすれば散り散りに心が乱れてもおかしくないこの状況。しかし奏汰はそんな自分の心を押しとどめ、ただ零蝋を人に戻すということに意識を振り向ける。
やはり、彼らはたとえその身は鬼になっても人としての記憶は残っていたのだ。これほどの深い闇の奥に沈められながらも、その記憶は決して消えてはいなかった。
奏汰の強大な勇者としての力は、その闇を払い、零蝋の記憶が封じられていた場所まで到達させた。それならば――――!
「ここからだっ! この人の記憶を……大切な思い出を! 俺が闇から救い出す――――っ!」
闇の中。奏汰はその全身から緑光の輝きを放ち、闇よ消えよとばかりに叫んだ。
その暖かな浄化の緑光は無限にも思える闇をゆっくりと押しのけ、おぼろだったかつての零蝋の記憶と光景をよりはっきりと、明確に照らし出していく。
「戻してみせる――――! 俺が、なんとしてでも――――っ!」
緑光の輝きが増す。それは、正しく全ての闇を焼き尽くす勇者の力だった。
これこそが奏汰の持つ力。
本来の力を取り戻した、真の勇者だけが持つチートパワー。
大魔王すら打倒した、絶対的な光の――――――――
「が――――ッ!?」
それは、一瞬とも言えぬ刹那の事象だった。
奏汰の全ての力を注ぎ込んだ勇者の緑が砕け散り、全ては再び闇に呑まれる。
「なん――――だ――――っ!?」
その暖かさを、ぬくもりを取り戻しつつあった零蝋の記憶が奏汰の目の前から遠ざかり、無限に沸き出す闇の中に沈む。
「あなたぁっ!? いやあああああああああ! 助けて、誰かあの人を助けてえええええええっ!」
「がが……が……に、にげろ……しょう、せいに……かまわず……にげ……ガ……ガアアア!」
闇に呑まれ、闇に押し潰されようとする奏汰の眼前。再び浮かび上がった光景は、凄惨極まりない物だった。
「こんな――――っ!?」
闇の中に光る巨大な謎の構造体から伸びた、闇そのものにしか見えない力が先ほどの夫婦を――――零蝋と塵異であろう二人を拘束し、惨たらしく、しかし淡々と、人ならざる物に変えていく光景だった。
「そう――――かっ! お前が――――ッッ!」
その光景を見た奏汰が激情の雄叫びを上げた。
そして同時に、全てを理解した。
最初からここにいたのだ。
全ての元凶が、奏汰が倒すべき闇の根源が。
「お前が――――
「お前は今ッッ! ここで倒すッッ!」
闇の中、一度は砕かれた奏汰の光が再点火する。再び輝きを放ったその光は最早緑のみではない。
青・赤・紫・緑・白・銀・そして黄――――。
七つ全ての光が奏汰を中心とした全方位を照らし、それは眼前で窮地に陥っていた零蝋の記憶にすら届いた。
それは虹。
その輝きは、嘘偽り無い奏汰の全てを賭けた全力の力だった。もはや出し惜しみしている場合ではない。
奏汰はその持てる力全てを真皇の闇の中で放ち、一度は呑まれた闇をじりじりと押し返していく。
「見せてやる――――ッ! 勇者の虹をッ!」
刹那、全てを飲み込む闇にあって、眩く輝く虹色の光芒が奔った――――。
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