勇者は再び


「では、灯を消すぞ……」


「うん……」


 うすぼんやりと灯っていた行灯あんどんを吹き消し、白い麻地あさじの浴衣を纏ったなぎ蚊帳かやを潜って奏汰かなたの隣に横になった。


 季節は間もなく本格的な梅雨を迎える。

 まだ夜はひんやりと肌寒いが、それでもその空気は確かな湿り気を帯びていた。


 大きく開け放たれた縁側からは、寝待月ねまちづきの蒼い輝きが二人の枕元にまで届いていた。


「――――凪は知ってたのか? 鬼が元々は人だったってこと」


「んにゃ……。私は奏汰のように、鬼について影日向かげひなたに教えをうたことがなかったのでな。はっきりとは知らなかったのじゃ。 ――――まあ、うすうすそんな気はしておったがの」


 薄い布団の上で仰向けになったまま、ぼんやりと空に浮かぶ月を見上げる奏汰と、その隣でうつ伏せになり、ぱたぱたと足を交互にする凪。薄明かりの下、二人は静かに言葉を交わしていた――――。


「なんで凪は聞かなかったんだ? 気になったりはしなかったのか?」


「にゃはは……そうじゃのう……」


 凪は変わらず月を見ながら猫のような笑みを浮かべると、その笑みを崩さぬまま、言葉を続けた。


「――――私の家族は……みな鬼によって殺されての……」


「家族を――――っ?」


 僅かな沈黙の後、凪はつぶやくようにしてそう言った。奏汰は驚き、思わず顔を隣の凪に向ける。しかし――――。


「あの頃は、とても幸せじゃった……毎日楽しくて……。ばば様も、とと様も、はは様も――――にい様も、次のにい様も、あね様もいたのじゃ。母様のお腹には、私の弟か妹になるはずの子もおった――――私がまだ十にもならぬ頃じゃ」


 奏汰は凪のその話に、自身の言葉を発することが出来なかった。


 すぐ隣でうつ伏せになり、蒼く輝く月の光に照らされる凪のその横顔には、からだ。


 家族を失ったと。鬼によってと言う凪の言葉には、その空から降り注ぐ月の光と同じ、蒼く透き通った音色だけが浮かんでいた。


「強い鬼じゃった――――誰も、どうすることもできなかった。影日向はあんなんじゃが……それでもあの時、私だけはなんとかその場から救い出してくれたらしい。もう、あまり深く思い出すこともできんのじゃが――――」


 凪はそこまで言って、夜空の月へと注がれていた視線を奏汰へと向けた。

 月の光に照らされるまま、凪のどこまでも透き通った青と黒の混ざった瞳が奏汰の視線と交わる。


「私のこの喋り方もの、元はと言えば婆様から移ったのじゃ。婆様はとても優しい人でな。今でもずっと大好きじゃ――――」


 自身の枕に頬を当て、そう言って微笑む凪。だが奏汰は何も言うことが出来ない。今の奏汰には、ただ目の前で微笑む少女の姿をじっと見つめることしか出来なかった。


「辛いのは、みんな一緒じゃ――――」


「え?」


 ただひたすらに、まっすぐ奏汰を見つめながら、凪は呟くようにしてそう言った。


「辛いのは――――私だけではない。鬼によって家族を奪われた者は、他にも大勢おる。奏汰だって、大切な母様と離ればなれになり、それでもここでこうして懸命けんめいに生きておる。みんな、辛いのじゃ――――」


「……っ」


「そして……じゃ――――影日向の言うことがまことならば、鬼は真皇しんおうによってじゃ――――きっと、それはさぞかし辛かったじゃろうな――――」 


 その時、奏汰を見つめ、微笑む凪の瞳から涙がこぼれた。

 零れた涙が凪の頬を伝い、枕の生地に吸われてその色を変えた。


「今の私には、ただ一日も早くこの日々が終わる事を祈り、鬼と戦い続けることしかできんのじゃ……っ。 ――――影日向の言う通り、たとえ鬼が人の成れの果てであろうともはや話は通じぬ。やらなければ、私たちがやられる。奴らの悲しみごと、辛さごとはらってやることしか……私には……っ」


「凪……」


 奏汰は呟き、思わずその手を凪に向かって伸ばした。


 そして嗚咽おえつすら漏らさずにただ静かに涙を零し続ける凪の、つややかな黒い髪に手を添えた。


「――――


 凪の髪に添えていた手をそのまま滑らせて彼女の手のひらに重ねると、奏汰は凪の涙を溜めた瞳を見据えてそう言った。


「俺が終わらせる。凪や江戸の皆の……そして、全部。俺がここで断ち切ってやるっ!」


「それは……っ。いかにお主でもそれは……っ」


「大丈夫! 前の世界で俺が大魔王を倒すって言ったときも、そう言われた!」


 重ねられた手を逆に強く握り締め、凪は詰め寄るようにして奏汰へと不安そうな眼差しを向ける。

 このような話を聞き、また奏汰が一人で無茶をしようとするのではないか。凪の瞳には、ありありと憂慮ゆうりょの色が浮かんでいた。だが――――。


「それに――――俺はもう一人じゃない。凪もいるし、新九郎しんくろうもいる。あやかしのみんなや、将軍様だっている。そう考えると、なんでも出来るって気がしてくるんだ。  ――――約束しただろ。俺と凪の、二人でやろうって!」


「そうか……そうじゃった……っ。私も、絶対にそうして欲しいのじゃ……っ」


 凪を安心させるようにそう言って笑う奏汰に、凪もまた笑みを浮かべると、そのまま奏汰の胸元にその小さな体を埋めた。


「……今日は、なにやら冷えそうじゃな……。こうすると、ぬくぬくでちょうどいいのじゃ……」


「うん……。そうしようか……」


 奏汰は自身の胸の中で猫のように丸まって眠る凪の背に手を添えると、彼女が穏やかな寝息を立てるまで、いつまでもその小さな背を優しく撫で続けていた――――。



 ――

 ――――

 ――――――



「――――ありがとうございました、ゆうしゃさまっ」


「みゃー、みゃー、みゃー」


 翌日、神田上水かんだじょうすい沿いの長屋街ながやがいの一角。


 大勢の猫たちに囲まれながら、奏汰達は勇者商売の記念すべき最初の依頼人である少女――――まちに依頼完了の報告を行っていた。

 

 無事元気に戻ってきた猫たちに囲まれ、まちは神代神社かみしろじんじゃにやってきた時とは全く違う、明るい笑みを浮かべながら精一杯に頭を下げた。


「こちらこそ! ちゃんと見つけてあげられて良かった!」


「ほんとそうですっ。正直、あのお寺を見た時は死ぬかと思いましたけど……」


「――――さて、こちらも終わったのじゃ! にゃあさん達もみんな喜んでおる。これにて一件落着じゃな!」


 猫に囲まれたその場で、凪は一人離れた場所から奏汰たちの元にやってくる。


 トコトコと走り寄る凪の足下には、あの――――四の十六がその身をていしてかばったあの子猫がちろちろとついて回っていた。


「ありがとう凪。ちょっと俺じゃよくわからなくて」


「気にしなくて良いのじゃ。私は奏汰のそのような心持ちをとても好ましく思っておる。お主は本当に優しい奴じゃ!」


 駆け寄ってきた凪と二人、奏汰はその長屋街の一角に目を向け、ほんの僅かな間だけその方角に向かって目を閉じた。まるで、その先にいる何者かに別れを告げるように――――。


「あの……! これ、猫さんを見つけてくれたお礼……!」


「え!? 御礼ですか!? ありがとうございますっ」


 そしてその時。そんな三人の前にまちがやってきて手を差し出し、いくらかの貨幣かへいと丁寧な字で書かれた手紙を渡してくる。


 それを見た新九郎がまずは手紙を手にとって見てみると、そこにははっきりと、奏汰や凪、そして新九郎に対する感謝の思いがしたためられていた。


「うわぁ! まちさんって一生懸命お勉強されてるんですね。とっても綺麗に書けてます!」


「ありがとうまちさん! なら、今回のお仕事で貰うのはこのお手紙だけにしておくよ。お金は大事だから、まちさんが大事に取っておくんだ」


「え……? お金は、いらないの?」


 そう言って笑う奏汰に、まちは不思議そうな顔で首をかしげた。しかし奏汰はそんなまちの肩に手を置き、片膝かたひざをついて視線を合わせると、満面の笑みを浮かべてこう伝えた。


「ああ! その代わり、まちさんには俺が神代神社で勇者商売をやってるってこと、色んな人にお話しして欲しい! そういうの、お願いできるかな?」


「わぁ……! うん、いいよっ!」


 奏汰のその頼みを聞き、そういうことかと同じように笑みを浮かべて大きく頷くまち。凪と新九郎もそんな二人を見つめ、穏やかな笑みを浮かべていた――――。



 ――――そして、そんな長屋街の奥。



 かつて鬼の門となっていた廃寺はいでらがあった通りの脇道に、とても小さな、しかしそれなりにしっかりとした作りのやしろが目立たぬように置かれていた。



 猫守護。はぐれ鬼の社。



 凪が丁寧に折り畳んで社の中に収めた符には、確かな想いを込められた文字で、はっきりとそう書かれていたのであった――――。



△――――――――――――――――△



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