第三部
第一章 江戸城御前試合
師匠をする美少年
雨粒を
ここ数日降り続いた雨は今朝方になってようやく止み、冷ややかながらもじっとりと汗ばむ梅雨の様相をはっきりと現わしていた。
「では、いきますよっ!」
「よしっ! 頼む!」
そしてそんな長雨の切れ目。まるで僅かな時間でも惜しいとばかりに激しく竹刀を打ち合わせる二人の影。
「――――勇者式
「っ!」
見上げるほどの高さを持つ神木のちょうど正面。力強く踏み込んだ新九郎と、珍しく構えを取ったまま待ちを選択した奏汰が
目にも止まらぬとは正にこのこと。しかし新九郎は僅かにその美しい
「お見事っ! お見事ですっ! どうですか? 力の反動っていうのはどうなりましたっ!?」
「――――っ!? お、おおお!? ないっ!? 勇者の青を使ったのに! 反動が全然ないぞ!? うおおおおお! やった! やったあああああ!」
「うわああああっ! やったーーーー! やりましたね奏汰さあああんっ!」
奏汰と新九郎は共に
「う、ううう……っ! ありがとう新九郎……っ! 全部お前のお陰だっ! 俺一人じゃ、絶対にこんなことできなかった!」
「そんなっ! 僕はただ、少しでも奏汰さんのお力になれたらいいなって思ってただけで……っ! 頑張ったのは奏汰さんです……っ!」
まるで子供のようにえぐえぐと
二人がここまで喜ぶのも無理はない。
たった今奏汰と新九郎が成し遂げたこと――――それは、強力だが一度発動すれば止めることも調節することもできず、使用した後の反動も大きい勇者の青を、剣技として制御下に置くことだった。
「――――戦いには静と動。二つの波があります。奏汰さんの戦い方は、言うなれば常に動だけで相手を圧倒する戦い方で、初めから終わりまで波がありません。それでは力で圧倒できる相手には通用しても、力が拮抗する相手や、奏汰さんよりも力が上の相手には通用しないのではないかと――――」
稽古を開始して間もなくの頃。すぐさま奏汰の戦い方の特徴と弱点を見抜いた新九郎は、奏汰の戦いに波を生み出すことを目標として稽古を重ねた。
「一番どうしようもなかった青をこんな風に使えるようになるなんて、俺じゃ絶対に考えられなかった――――本当にありがとう、新九郎っ!」
「は、はいっ! 刃を振るうその一瞬だけに奏汰さんの青い力を乗せられれば、反応出来る相手はそうそういないと思うんです。僕も、今のはここに打つって分かってたから受けられただけで、奏汰さんの姿は影も見えませんでしたから――――」
「うんっ! 赤はもう勇者式
「え!? そうですかっ!? やっぱり!? えへへへ……」
「――――お主ら、何をやっておるんじゃ?」
「え? あ!? わひゃあっ!?」
奏汰に抱きしめられながらそう言われ、整った顔をにへらと溶かして頬を染める新九郎。
しかしそこで突然かけられた
「す、すすすす、すみませんっ! 僕としたことが、なんてはしたないっ!」
「いいんだよ! 俺もこればっかりは本当に嬉しくてさ!」
「ほむほむ? その様子だとなにやら修行の成果が出たのじゃな? 後で私にも見せて欲しいのじゃ!」
凪はその手に木の枝を集めた
奏汰は赤面してかがみ込む新九郎を見て笑みを浮かべると、喜びのあまりにその場に落としていた竹刀を再び手に取り、今の感覚を忘れないようにぶんぶんと何度か振り回した。
「――――よしっ! じゃあもう一回だ! 新九郎、頼めるか?」
「あ、はい! もう一回ですか――――」
まだまだこれからとばかりに笑う奏汰のその申し出に、新九郎は一度は頷いたものの、一度晴れ間が覗く空を見上げ、何かを確認した上でその首を横に振った。
「――――駄目です。奏汰さんのそのお気持ちは立派ですが、今日はもう朝からずっと稽古してましたし、今日はここまでにしましょう」
「えー!? せっかくここからって感じだったのに!?」
「にゃはは! 私もそう思うぞ奏汰よ。そう
不満げな声を上げる奏汰をよそに、凪も新九郎のその提案ににっこりと笑い、箒と共に新九郎の竹刀を受け取って片付けに入る。
しかし奏汰はまだ納得がいっていないようで、それこそこのままでは二人の目を盗んで稽古を続けそうな雰囲気をもりもりと放っていた。すると――――。
「――――奏汰さん。実は僕、こうして子供の頃から剣の修行をしている間、何度も父上に褒めて頂いた所があるんです」
「将軍様に褒められた?」
まだまだ稽古をし足りない様子の奏汰に、新九郎はふと柔らかな笑みを浮かべると、そっと奏汰が握ったままの竹刀を手に取り、胸に抱えるようにして預かる。
「はい――――『お前の良い所は、どんな時でも真剣になりすぎない所だ。どこか不真面目で、常に及び腰で事に臨む所だ』って」
「え……? それって褒め……褒めてるのかそれっ!?」
「あははっ。ですよね。僕も最初はそう思ってました」
新九郎はそう言うと、たははと笑みを浮かべたまま、言葉を続ける。
「でも――――今は父上の仰っていたことがなんとなくわかるんです。戦いも、人の世も、ずっと力んでいては心の余裕がなくなってしまいます。剣にも無駄な力が入り、見えている景色も狭くなります。 ――――きっと父上は、たとえどんな時でも心のどこかに余裕を持つことの大切さを教えてくれていたんだと思います」
「心の余裕か……」
「なるほどのう……さすが将軍様じゃ。言うことが二味くらい違うのじゃ……」
新九郎のその話に、心底なるほどと納得した様子で同時に頷く奏汰と凪。
二人から純粋に感心された新九郎は照れるようにして頬を染めると、再び奏汰へとその美しい
「えーっとですね……。だから奏汰さんも、ちゃんと心の余裕! 持ちましょうっ! 剣に力みは禁物ですっ! 師匠であるこの僕を見習って、適当にっ! 及び腰でやるのですっ!(ドヤッ!)」
「ぷっ……あははははっ! そうだな! わかったよ師匠っ! なんか今、やっぱり新九郎に師匠になって貰って良かったって凄く思った! これからもよろしくなっ!」
目の前でそう言って胸を張る新九郎に、奏汰は心底その通りだとばかりに朗らかな笑い声を上げた。
長く振り注いだ雨の滴をいっぱいに湛えた神木の前、三人の
時は
多くの恵みをもたらす季節の中で、人と鬼を巡る戦いは新たな局面を迎えようとしていた――――。
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