真の黒き闇


「教えてくれ大魔王――――っ! 鬼ってなんなんだっ!?」


 夕暮れの光に照らされた神代神社かみしろじんじゃ境内けいだいに、どこか戸惑いの色を帯びた奏汰かなたの声が響いた。


 赤くなった太陽の下、神代神社の拝殿はいでん前に座る大魔王――――影日向大御神かげひなたおおみかみ

 奏汰は僅かに息を切らしつつ、大魔王の円盤状の肉体に手をかけて詰め寄った。


 ――――すでに、鬼の門から続いた六業ろくごうとの戦いは終わった。


 門とその奥の空間を構築していた四の十六が事切れたことで、あのホールと門は共に崩壊を始め、奏汰達は四の十六に寄り添っていた子猫を抱え、外へと脱出した。

 

 奏汰達も気付かぬうちに閃光と共に消え失せた六業。


 奏汰は念のためあの場でを使って瞬間転移を試みたが、勇者の力はなんの反応も見せなかった。

 つまり、少なくともあの場で奏汰達と交戦し、傷を負った六業という存在はもはや――――。


「――――なぜそんなことを知る必要がある? 鬼は人を襲う。対話も不可能だ。そのような相手のことを深く知ったところで、貴様は一体どうするというのだ?」


「違う……っ! さっき俺が会った鬼はんだっ! 俺たちを見ても襲おうともしなかったっ! たしかに前に話したおっさんとは戦うしかなかったけど――――あいつとは、四の十六とはもしかしたら仲良くなれたかもしれないんだっ!」


「奏汰……っ」


 そんな奏汰の姿を、なぎはいつにも増して沈痛ちんつうな表情で見つめていた。

 凪の隣に立つ新九郎しんくろうもまた、奏汰のその痛切つうせつな叫びに何も言えずに立ち尽くしていた。


「変わらぬな…………。貴様はこの世界でもつもりなのか? なぜだ? なぜいつも自分からいばらの道へ進もうとする? ――――何も知らず、ただ目の前の敵を打ち倒すだけでいられればどれほど楽か。貴様はもう、それをよく知っているはずではないか?」


「話せ――――大魔王っ! は、俺が決めることだッッ!」


 ぎりと歯を食いしばり、それでも掴みかかった大魔王にすがるようにして叫ぶ奏汰を、凪はただ自身の胸の前でその小さな手を握り締めて見ていることしか出来なかった。


 それは、凪が初めて見る奏汰の怒りだった。


 そう――――奏汰は怒っていた。明確な怒りを向けていた。しかしそれは大魔王にではない。先ほど戦った鬼に対してでもない。


 奏汰はすでにその本能で――――七年間もの間、地獄のような異世界でたった一人、人々の希望として戦い抜いた超勇者としての嗅覚きゅうかくで気付いていたのだ。


「ならば話そう、勇者奏汰よ――――」


 奏汰の懇願こんがんにも似たその叫びを聞いた大魔王はその瞳を閉じたまま、重く閉ざされていたその口をゆっくりと開いた。


「――――鬼の正体。それは奴らの首魁しゅかい真皇闇黒黒しんおうのやみのこくこくによってその有り様をねじ曲げられた、かつての人間たちの末路だ」

 


 ――

 ――――

 ――――――



「アァ…………ちゃん……」


 ズタズタに傷つき、うつろな瞳をした青年が一人。その身を半ばまで水の流れに沈め、夕暮れの川辺に倒れ伏していた。


 その青年――――それは黄の小位おうのしょうくらい、六業。


 ホールで光の中に呑まれた彼は気付けば一人、今にも消え去りそうな有様で江戸の町外れを彷徨さまよっていた。


「ダメだなァ……思い……出せないなァ……。あと……あともう少しっぽいんだけどなァ……」

 

 あの時、子猫を必死に守ろうとする四の十六の姿を見た六業の中で。奏汰達との死闘の末、彼の命が尽き果てようとしていたことも大きく影響していたのかもしれない。


「でも……でもさァ……。名前……! キミの名前は……思い出せたんだよなァ……ヒナちゃん……キミの名前は……ヒナちゃん……」

 

 まだまだ冷たい流水にその身をひたした六業は、ガクガクと震える腕で仰向あおむけとなって赤く燃えるような空を見上げた。

 そしてずっと忘れていたその名をつぶやき、人ならざる瘴気しょうきを発する傷だらけの手の平を空に向かって伸ばす。


「なんで……忘れてるんだ、おれは……。なんで、思い出せないんだ……おれは……」


 あの戦いからこの場まで、六業は何度も、何度も自分の中の記憶を辿たどろうとした。

 主である真皇しんおうの力となるために生まれ、忠実に任をこなしながら着々と力をつける――――


 ――――しかし、そこから先は闇しかなかった。


 六業の記憶は闇に覆われていた。闇に阻まれ、何一つ見ることも、感じることも出来なかった。だがしかし、今の六業にはすでにわかっていたのだ。


 その闇の向こうに光があることを。

 何よりも大事だったはずの温もりがあることを。

 もう決して届かない世界があることを――――。


「ちくしょう……誰だァ……? 誰かが、俺に何かしやがった……ちくしょう……ちくしょう……」


 六業の視界がにじみ、ぼやける。

 それは、彼の持つ感覚器の終わりによるものだったのだろうか。


 伸ばされた六業の手はついに何者をも掴むことなく、やがて力なく水面の中に崩れた――――。



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