勇者は見捨てず


「……お前がこの蜘蛛みたいな鬼のボスか?」


「へぇ……?」


 闇の中に輝く翡翠色ひすいいろの光に照らされた奏汰かなたは、眼光鋭く眼前の蜘蛛と人間の混ざり合った異形――――零蝋れいろうを見据えた。

 片手で傷ついた新九郎しんくろうを抱きかかえ、で治療しつつも、奏汰はもう片方の腕に聖剣をたずさえて交戦の意志を見せる。


 そしてそんな奏汰の姿に。翠の小位すいのしょうくらいを冠する鬼、零蝋はべにの塗られた唇を笑みの形に歪めた。


「ククッ……いいねぇ。いい面構えじゃないか、剣奏汰つるぎかなた。そうでもしてくれなきゃ、アンタに殺されたも浮かばれないってもんさねぇ……ッ!」


「――――俺に? そうか、お前はあの鬼の!」


「気付いたかい? そうさ、アンタが倒した塵異じんいだった! あの人がやり残した大役は、妻であるこの私が最後までやってあげなきゃねぇ!?」


 瞬間、双方が動く。


 零蝋はその両の手から翡翠色ひすいいろの糸を幾重いくえにも放ち、それと同時に周囲に群がる蜘蛛鬼が奏汰と新九郎を包囲するように襲いかかる。


 だがなんと奏汰は新九郎をしっかりと抱きかかえたまま零蝋めがけて加速。


 自身に浴びせかけられる翡翠ひすいの糸を全身から発現させた燃えさかる炎で焼き尽くしつつ突撃すると、そのまま零蝋と交錯こうさくして背後へと回り、武家町のへいを地面と水平に走り抜けながら蜘蛛鬼の大群を引きつける。


「う……っ。つるぎ……さん? あれ……僕……っ?」


「お!? 起きたんだな新九郎! 良かった……でもまだ無理しちゃ駄目だ!」


 新九郎を抱えながら凄まじい機動で雑魚鬼の群れをさばきつつ、更にはその群れに交ざる零蝋の高速で強靱きょうじん翡翠ひすいの糸すらも見極めて戦闘を継続する奏汰。しかしその胸に抱かれるままに振り回される新九郎は――――。


「びえええええ!? なにがどうなってこんなことにっ!? お、降ります! 今すぐ降りますから! 降ろして――――うっ! うっぷ! びゃあああああ!」


「悪いけど我慢してくれ! からさ!」


「ぎゃーーーー!? 何言ってんのこの人おおおお!?」


 勇者の緑によって癒やされ、ようやく目を覚ました新九郎だったが、今度は上も下も分からないほどに凄まじい奏汰の動きに目を回し、目尻に涙を浮かべながらしがみついて悲鳴を上げた。


「アハハハ! 随分頑張るじゃないか剣奏汰! そんな足手まといを連れてよくそうも動ける……けどねぇ!?」


「糸が……!?」


 蜘蛛鬼の群れを引きつけて縦横無尽じゅうおうむじんに駆け抜ける奏汰の動きが空中で止まる。そこで奏汰を捕らえ、動きを止めたもの――――それは張り巡らされた


 派手に輝く翡翠ひすいの糸にまどわされていたが、零蝋の本命はむしろこの蜘蛛の巣にあった。

 奏汰は再び燃えさかるでその糸を焼き尽くそうとするが、他の糸のように即座に破壊することができない。


「なんだこの糸っ!?」


すいの糸を造作もなく消し飛ばしたのには驚いたけどねぇ……。私とあの人がその糸はそう簡単に壊せやしないよ……! さあ……食事の時間さね!」


「くそっ!」


「ひええええ!?」


 その光景は正に悪夢だった。


 空中で零蝋の糸に絡め取られた奏汰めがけ、数百を超える雑魚鬼の群れが飛びかかる。奏汰はその群れを腕の振りのみでなんとか防ごうとするが、それは蜘蛛の巣でもがく虫のように、さらに奏汰の動きを拘束することに繋がった。


「だ、大丈夫なんですか剣さんっ!? ま、まさかとは思いますが、僕のことをここにポイ捨てして逃げたりしませんよねっ!?」


「大丈夫! そんなことしないよ――――勇者は誰も見捨てないんだ!」


 終わりなき蜘蛛鬼の群れ。一振りごとに糸が絡みつき、重くなる腕をきしませて交戦する奏汰。彼の持つ機動力と膂力はすでに封じられている。


 圧倒的な物量の前に、徐々に蜘蛛鬼の牙が奏汰の体を引き裂き、穿うがち始めていく。


「つ、剣さんっ!? 傷が……血も出てますっ! さっき僕が言ったことは謝ります! 僕はもう大丈夫ですから! もう一人で動けます! だから降ろして! 見捨てるとかそういうのじゃなくてっ! どうしてかはわかりませんけど、この通りピンピンしててっ!」


「駄目だっ! は使った時は治ったように感じるけど、なんだ! こんな中に今の新九郎を放り出したりはできない!」


「剣さん……っ」


「アハハハ! なんとも呆気あっけないねぇ!? なら遠慮なく、ここであの人のかたきも討たせて貰うよッ!」


 完全に奏汰の命に王手をかけた零蝋は狂気の絶叫を上げると、その全身から何条もの翡翠ひすいの糸を奏汰めがけて撃ち放つ。

 その糸は加速と共に互いに絡みつくと、一筋の巨大なうねりとなって二人へと迫った。


「ぴええええっ!? も、もう駄目だぁ……! つ、つるぎさぁああん……っ! 今までのこと、全部……謝りますから……っ! お願いですから……! もう僕に構わず、貴方だけでも逃げてえええっ!」


「――――いや、間に合った! !」


「え?」


「なに!?」


 瞬間、夜の闇の中に八つの光芒こうぼうはしった。


 その光は江戸城を中心として町全体に散ると、大地に穿うがたれた光の柱となってそびえ立つ。そして――――!


「すまぬ! 遅くなったな二人とも! 神代式拡大封術かみしろしきかくだいふうじゅつ――――八陣封印はちじんふういん!」


神代かみしろか!? この陣はまさか――――ギャアアアアアアア!?」


 八方の光芒こうぼうから光の線が互いに伸び、その線で囲まれた範囲に光り輝く巨大な障壁が展開される。

 その障壁は眼下の零蝋ですらもがき苦しむほどの破魔はまの力を放ち、武家街全体に出現していた蜘蛛鬼を跡形もなくはらい清めていく。


「アアアアア! おのれ神代の巫女オオオオオオ! よくもこのようなあああ!」


「にゃははは! 奏汰に気を取られすぎたの。最初はお主を探しに昇ったんじゃが、のこのこ自分から出てきおったから途中で封印術に切り替えたのじゃ!」


 上空からふわふわと降下しつつ、閃光に照らされて猫のような笑みを浮かべる凪。

 零蝋はその笑みを憎悪ぞうおたぎる形相で睨み付けると、しかし即座に自身の姿を闇の中へと落下させた。


「くううううう! 覚えておれ貴様ら! 我が夫のかたきは必ず取る……必ずだッ!」


 闇の中に消えた零蝋の声が遠ざかり、蜘蛛鬼は一匹残らず焼け落ちる。

 零蝋の巣に捕縛されていた奏汰と新九郎も、同時に自由の身となって地面へと落下した。


「あいてて……もう無理しないって言ったのに、いきなりこれかぁ……。やっぱり……もっと考え、ないと……」


「うわああああ!? 剣さあああんっ!?」


 まばゆいばかりの閃光の下。


 消耗から意識を失いかける奏汰を、新九郎は涙ながらに抱き留める。

 そんな自身の胸元がすっかりはだけたままであることを、新九郎は全く気付いていなかったのだった――――。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る