第三章 江戸のあやかし

勇者、あやかしと出会う


「うおおおお! 人が多すぎる!?」


「にゃははは! そんなわらべのように走り回るでない。はぐれたら手間じゃぞ?」


 あざやかな藍色あいいろに染め上げられた作務衣さむえに、異世界製の頑丈がんじょうな革のブーツというなんとも奇異きいな出で立ちの奏汰かなたが、にぎやかな江戸の大通りをだばだばと駆け抜けていく。


「来た時は夜でわからなかったけど、江戸ってこんなに人がいたんだな! この前まで俺がいた世界じゃ、こんなに人のいる街なんてなかった!」


「確かに江戸は人だらけじゃな。日本橋の方に行けばここよりもっと人がおるぞ。それこそ足の踏み場もないほどにの!」


「そ、そんな場所もあるのか!? 江戸時代って凄いんだな!?」


 普段通りの巫女装束に身を包んだなぎは、そんな奏汰をなだめるように手招きすると、子供のように興奮した様子で駆け戻ってきた奏汰に向かってやれやれと穏やかな笑み浮かべた。


 時は天宝てんほう三年。


 相次ぐ農作物の不作に対応して行われた天宝の大改革により、元禄げんろくから続いた町民主導の文化と商業の活性化は、この時代に頂点を迎えようとしていた。


 鬼という恐るべき脅威きょういは存在していたものの、江戸に住む人々はそれにすら順応じゅんのうし、あらがい、笑顔を絶やさずたくましく生き抜いていた――――。


「この辺りはむしろ人が少ない方じゃ。場所が場所なのでの」


「さっき凪が話してくれた、ってのが大勢住んでる場所だな。あやかしって妖怪のことだろ? やっぱり妖怪って怖いのか? っていうか、鬼と妖怪は違うのか?」


「……奏汰よ。お主に悪意がないのはわかるが、鬼とあやかしを一緒くたにするような言葉はつつしむことじゃ。あやかしも我ら人間と同じ。鬼によって苦しめられ、血を流しておる。鬼と同じなどと思われれば、良い気はしないじゃろうからな」


「……わかった、気をつける」


 何の気もなしに出た奏汰の言葉を、静かにいさめる凪。

 奏汰も凪のその話になるほどと表情を正すと、しっかりとうなずいた。


「なーに、あやかしなどと言っても多少人間と見た目が違うだけで、皆気の良い奴らじゃよ。特に奏汰はすでにあやかし衆の間に知られとるのでな、お主が来たとなれば奴らも喜ぶんじゃないかの?」


「俺が? なんで?」


「ほむ、奏汰は気付かんかったかもじゃが、お主が初めてここに降って来たあの晩、あやかし衆の何人かがお主に命を助けられたそうじゃ。大層感謝しておったぞ」


 江戸のにぎやかな街並みの中を連れ立って歩く奏汰と凪。

 二人は今、大魔王との激闘で傷ついたままになっている奏汰の体をやすべく、あやかしと呼ばれる妖怪達が住む江戸の一角、あやかし通りへと向かっていた。


 鬼という共通の脅威きょうい跋扈ばっこする世にあって。江戸幕府、ひいては日本に住む人間たちは、かつて恐れの対象だったあやかし達にも協力を仰いだ。

 人間と同じく鬼の脅威きょういさらされていたあやかし達はその申し出を受け入れ、人間と共に暮らし、共生する道を選ぶようになったのだ。


 神代神社かみしろじんじゃから神田上水かんだじょうすい沿いに下り、神田町から東に半刻はんこくほど歩いた辺りで、周囲の建物の雰囲気が徐々に変わり始める。そして――――。


「――――ようこそあやかし通りへ。歓迎しますよ、お二人とも」


「にょにょ? 玉藻たまもではないか。お主自ら出迎えとは、どうした風の吹き回しじゃ?」


 折れ曲がり、くねりにくねった道の先。突如として開けた視界の向こう側に、賑やかな繁華街が出現する。

 まだ正午までは間があるというのに、周囲の家々からは酒と焼き魚、そして奏汰が嗅いだことのない独特の臭いが漂ってくる。


 そしてその街の丁度入り口。

 赤い達筆たっぴつで『あやかしどおり』と書かれた看板がかかげられた門の前。


 妖艶ようえんな雰囲気をまとった黒と金の着物の女性――――玉藻が、その場で深々と頭を下げて凪と奏汰を出迎えた。


「いえいえ、此度こたびは我らあやかしの命を救ってくださった方のご来訪らいほう。こちらも礼を失せぬようにしませんとね」


 玉藻はそう言って気怠けだるげに笑うと、凪の隣に立つ奏汰に品定しなさだめするような視線を向ける。


「その節は他の者共々大変お世話になりました。改めて御礼を言わせて頂きますよ、つるぎ様」


「こちらこそ! 俺はまだここに来たばかりで何もわからないんだ。出来れば色々教えてくれると助かるっ!」


 玉藻の持つ、並の人間であれば見据みすえられただけで気絶するような赤く光る瞳を軽々と正面から受け止める奏汰。奏汰はそのまま満面の笑みを浮かべると、大きな声で玉藻に挨拶を返した。


「まあまあ……やはりとても元気の良い、かわいらしいお方ですね。それに強くて勇ましくて……。ええ、ええ。もちろん教えて差し上げますよ。手取り足取り。それはもう色々と、ね?」


「ん?」


 玉藻は奏汰が自らの視線に一切の動揺すら見せなかったことに驚き、それと同時に感心したようにほうと熱い息を一つついた。

 そしてうっとりとした様子でほほを染めると、その白く美しい指先で奏汰の首筋に手をかけようとして――――隣に立つ凪にぴしゃりとはたき落とされた。


「……玉藻よ、言っておくが奏汰になにかしたりするでないぞ? まだはらわれたくはあるまい?」


「ほほほほ。はてさて、なんのことやら?」


 凪にはたかれた手をさすりさすり。玉藻は着物のそでで口元を隠すと、目を細めて悪戯っぽく笑った。








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