「ああ、背中がばきばきする」


「まだ動いちゃだめだ。静かに寝てなさい」


「大丈夫。傷も残ってないし。狐に噛まれただけだよ。わたしは大丈夫」


「どう見ても噛まれた傷じゃないし。大変だったんだからな。死んだかと思ったよほんとに」


「ありがと。担いで運んでくれたんだよね。重くなかった?」


「軽かったよ。血が出てたから。かなしいぐらいに」


「ごめん」


「生きてたからいいよ」


「うん」


「危険な仕事なのか?」


「いや、そこは、ほら。あんまり気にしないで。正義の味方だから。しかたないの」


「はいはい。正義の味方ね」


「でも死ぬかと思ったよわたし。生まれて初めての負傷だし。意識飛んだのも人生初」


「生まれてはじめてなんだ。すごいね」


「うん。びっくりした」


「俺なんか、よく指切ったりするけど」


 彼の手首を掴む。


「なに。どしたの」


「手首」


「リストカットしてないかって?」


 大丈夫だった。彼の手首。きれい。


「死にたいって言ってた。路地裏で」


「なんで覚えてんのさ。意識飛んでるのに」


「あなたのことだから。なんとなく、覚えてる」


「じゃあ、覚えてる?」


「なにを」


「別れようって」


 なみだ。ぼろぼろこぼれてくる。


「言ってない。そんな事実はない」


「分かってるでしょ。おたがいに」


「わたし。あなたにやさしくされて。不安だったの」


「そっか。ごめん」


「ちがうの。あなたがやさしくされたいのに。本当にやさしくしないといけないのは、わたし、なのに」


「それは違うな。俺はべつにそんなのどうでもいい」


「でも」


「死にたいんだ。死にたいという気持ちは、一回死にたいと思ってしまったら、もう、消えない。理屈じゃないんだ」


「わたし」


「理解してもらえるとは思ってないよ。俺自身、よく分かってないし。ただただ、死にたいんだ。こんな、普通ばかりの人生を。終わらせてしまいたい。とにかく。死にたい」


「よかった」


「なにが」


「別れなくていいって、わかったから。よかった」


「なんでさ」


「あなたが死ぬことと。わたしが隣にいることは。両立できる」


「どこがだよ。俺はそんなに」


「やさしくしてよ。わたしに。自分がそうされたいぐらいに。わたしにやさしくして。わたしが、不安になるぐらいに」


「それが別れる原因だろ?」


「いいの。わたしが、あなたのためにできることが、あって。よかった」


「ないよ。そんなもの」


「わたし。あなたのやさしさが、こわかった。こわかったの。なんでか分からなかったけど、とにかく、こわかった。でも、もう分かったから、大丈夫。あなたのやさしさは、儚い」


「儚い?」


「死んでしまう人間の、最期の献身だから」


「最期の献身、か」


「うん。だから、わたし。代わりに死んであげる」


「だからおまえが死ぬ理由はないだろ」


「たすけて」


「は?」


「助けてよ。わたしが代わりに死んであげるから。何回でも。わたしにやさしくして」


 せいいっぱいの、笑顔。


「ぎぶあんどていく」


「なんだそれ」


「ね。だから、帰ろ。ね。ふたりで」


 彼も。ようやく。笑った。

 彼の笑顔。はじめて見たかもしれない。


「まだ入院中ですよ奥さん」


「こんな傷。もう治ったっ」


「だめです。休んでいなさい」


 彼が、手を握ってくれる。その指に、指を絡める。


「ん?」


 左手。

 ちょっと、ひんやりする。

 雪のような。

 あっなかなかはめるの難しい。思ったよりも彼の指が大きかった。


「ごめんね。時間かかっちゃった」


「なにこれ」


「指環。わたしから、あなたへ。好きです」


「うそ」


「あ、拒否しますか?」


「やめて外さないで」


「わたしからの、プレゼント」


「どこでそんな」


「指環。狐が叶えた、わたしの願いです。正義の味方ですから」


「いや分からん」


「わからなくていいよ。ね。誓いのキス」


「やだよ恥ずかしい」

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心の隙間、雪の街 春嵐 @aiot3110

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