対等

 小依先輩はその後、俺の右隣に座った。手を降ろすと触れず、伸ばせば届く。それくらいの距離感だった。

 八つ当たりじみた文句を1時間は垂れ流したと思う。これを真面目に聞いた後、彼女は長く息を吐いた。何も言えないでいると、彼女は顔を上げた。


「君の話を、もっと聞きたいな」

「……面白い物でもないでしょう」

「うん。面白くもないし、良い話でもないね」

「ならどうして?」

「確かにロクな話じゃないけど、瞬君の話ではあるだろう?」


 表情が緩み、穏やかな微笑が浮かんでいた。


「今から正直に、率直に、不謹慎なことを言う。嫌わないでくれるかな?」

「もちろん。俺の方が言いたいくらいですよ」

「……私は嬉しかったよ。この話を聞けてね」


 彼女は爛々と瞳を輝かせた。


「君とこういう込み入った話はしなかった。それはお互いに警戒心があり、心を閉ざしていた。距離を置いていたから。それは仕方ない。そんな中、君は本心を打ち明けた」

「そう、ですね」

「つまり、君が憎からず私を思っていることを意味する。それに、自分の気持ちを正直に言うのは中々難しい。言えるくらいに精神状態が回復した証明でもある」

「なるほど。理解はできます」

「それに、私だって君の言っていることを理解できるよ」

「正気ですか?」

「今日で2番目に傷ついたよ」


 露骨なくらいにやれやれとポーズされた。


「だいたい君は物事を大きく捉えすぎだろう。例えばだよ、部活で活躍できない1年生がいたとしよう。それで『自分が部活の先輩の足を引っ張ってしまっていて辛い、もう辞めたい、申し訳ない』って言ってたとして、それを異常者だと思うかい?」

「いや、まあ。良くある話だと思います」

「ところで1年を君に、部活の先輩を私に置き換えても成立するね、この話。誰だって思うことなんだから、君が私にそう思ったっておかしくはないんだ。先輩として、私は君の気持を受け止めるよ。だいたい、不愉快だと考えているだろうが逆だ。私は嬉しいよ」

「嬉しい?」

「私との時間に価値を見出してくれている。そうでなければ思うはずがないからね」


 頷く他なかった。

 しかし、これでは優しすぎる理由の説明になっていない。それを指摘すると、彼女は溜息をついた。


「そう急かさないでほしいな。時間は沢山ある身だろう、お互い」

「俺はともかく、小依先輩には研究があるのでは」

「目の前に患者がいるのに研究を優先しろって? なかなか変わった患者だね」


 彼女の方こそ急いでいる、いや、焦っているように見えた。発言の節々に皮肉や攻撃性が読み取れる。口調もまるで政治家の演説のように変わっていた。


「はっきり言おうじゃないか。私だって当初の君のような見ず知らずの男子と2人きりになるのにも、自室に招くのにも抵抗はあった。ましてや今、その人とこんな風に過ごすことになるとは思わなかったよ!」

「じゃあ、なんで今一緒にいるんです。いや、というか、こんな話を俺にしてくれるんですか?」

「……口が悪くなるのを承知で言うね。なぜ馬鹿なことを聞くのかな」


 急に冷え切った調子で来たので、寒暖差で頭が真っ白になった。何を言えばいいのかわからない。ヒントを出してくれる様子もない。何も考えられないまま、率直な意見を口にした。


「仲良くなったから?」

「おや、私に言わせたいのかな。思いのほか嗜虐心が強いんだね」


 彼女はくすくすと笑った。頬が少しだけ色づいていた。


「私から一方的に何かを受け取ったと思っているようだけど、それは違う。私も君から何かを得ている。それでも、なぜ優しくするのかなんて言うのかな?」

「それでも、20対80とかでしょう?」

「いいや。でも納得できないだろうから、もう1つ付け加えよう。仮に明日から私と君の縁が切れるとして、嫌だとは思ってくれないのかな?」


 耳元に彼女が寄ってきて、「攻守逆転だね」と囁いた。

 違和感はある。しかし、ここで茶化しているのは”これ以上は話さない”という意志表示だろう。露骨に話を畳もうとしている。

 それに収穫はあった。少なくともお互い憎からず思っており、俺は彼女に何かを与えている。だから俺が施されることに苦しむ必要はない。

 今後はその”与えたもの”を探らせてもらおう。安心して彼女と過ごすために。

 俺は意識を切り替えて、目元を揉んだ。


「先輩。とにかく俺が悩む必要はないのはわかりました。今後も変わらず関係を続けたい……って事で良いんですよね」

「実験は継続したいね」

「その建前まだ使うんですか?」

「勘違いしないでほしい。たしかに9割は嘘だけど。1割は本心だからね」

「……それってつまり」

「この先も君を最大限甘やかしていく所存だ。今後ともよろしく頼むよ、瞬君」


 差し出された手を握った。暖かくて、なぜだか涙が出そうになった。

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