安穏の破壊者
その日以来、良くも悪くも解放された。小依先輩からも、唯依からも。世相やクラスメイトの視線、虐めさえも起こらない世界が訪れたのだ。
『あいつは二股をかけようとした挙句両方に振られた』
というわけだ。俺に敵対的な連中は例の2人へのアタックに精を出している。全員から軽蔑されている、あるいは馬鹿にされているが、それが何だと言うのか。
平和だ。もう少し時が過ぎたら、紅葉でも見に行こうか。帰り際に青々とした葉を眺めて歩いていると、唐突に視線が遮られた。
「だーれでしょうか!」
「上小路」
「だいせーかい! でっす! ご褒美に私との熱愛報道をプレゼント!」
「あ?」
意識して低い声で威嚇すると、両手を振って悪びれもせず笑った。
「最近、随分オモテになっていらっしゃるとか?」
「表に出る気はないぞ」
「まあーたまった。とぼけちゃって。あのデート見てたんですよ私?」
「え、なんで?」
「買い物に行って、ふらっと目に入りました」
まあ、そういうこともあるだろう。
「ならデートじゃないことはわかってるだろ」
「2人きりで男女が歩いてたらデートでは? 見えてますよ見えてましたよ、繋がれていない手と手がシェイクしてるのを」
「いつにもまして変な喋り方だな」
「そりゃあもう! 私に許される限度を超えるくらいに愉快ですので!」
どうせ後で力尽きて落ち込みますが、と弱弱しく付け足された。一種の躁鬱だろうか。あまり気にすると呑み込まれそうなので、見なかったことにしよう。
「で、何の用だ?」
「察するに何にもわかりませんが、ここ数日ずっと一緒だった方がおらず、挙句波止場小依様までいらっしゃらないと! 振られたんですよね!?」
「まあ、そんなもんだ」
「では直ちに私とお付き合いしましょう!」
……うん。アニメの難聴系主人公なんか気取るつもりはないが、これはひどい。
「なんだって?」
「ワタクシ、あなたの彼女。ユー、私の彼氏。オーケー?」
「なわけないだろ。もう少し経緯を説明してくれ」
「あの唯依さんですよ!? さも依存なんかしてないように振る舞ってるくせして母親みたいな動きするベッタベタなあの人が、そう簡単に瞬さんを捨てるとでも!? どうせ後で戻って来るに決まってます!」
そもそも捨てられてないと思うが、一応続きを促した。
「そ、こ、で! これは千載一遇の好機だと思った次第です」
「何の?」
「鈍いですね! 私の舌鋒よりなまくらですよ! 良いですか? 唯依さんの自覚症状のない恋心を呼び覚ますために、私が恋敵として立ちはだかるのです!」
「そんなもんないぞ」
「じゃあ逆にお考え下さい! 17の女子高生が、瞬さんのような冴えない覇気ない魅力ない、ないない尽くしの貴方のどこに惹かれるのです!?」
「だから恋心がないんだろ」
「逆ですとも!」
あまりに自信ありげに胸を張るものだから、かえって好奇心が掻き立てられた。
「その心は?」
「本来ですね、興味も魅力もない男性にここまで付き添うと思いますか?」
「……ないな」
「そうでしょうとも! それを正当化できるのが惚れた弱み、恋は盲目、惚れちゃったから瞬さんがぐっずぐずの人間でも付き合いを続けちゃう!」
それは違う、と言おうとしたが言えなかった。幼馴染だから? そんな簡単な理由でここまでの密度を続けるだろうか。自分を納得させられない。
「確かに。一理ある、かもしれない。なんで唯依ほどのまともな奴が、俺みたいなのと一緒にいるんだ?」
灯台下暗しとはこのことだろうか。なぜ今まで疑問に思わなかったのだろう。
似たような状況だが、小依先輩はわかる。常人に共感できない理屈ではあるが、元より彼女は変人だ。
しかし唯依は? 俺といること以外は普通の女子だ。感性だって厳しいくらいで、社会生活に困難があるほどではない。
「私と付き合えば揺さぶれるかもしれませんよー? どうです、知りたくありませんか? 仮に失敗したとしても、恋心じゃないってことが確認できますよ?」
「……確認するまでもない、と、言いたいが」
「言い切れませんよねえ! だって確かめたわけじゃないから! 全部思い込み! 夢みたいなもんですよね! ”ダメな自分は惚れられていちゃだめだ”なんて!」
胸が痛い。こいつ、心でも読んでいるのか。神経毒でも注入するような顔つきで、上小路は気味悪く笑った。
「くふふ、相性も悪くないでしょう? 大丈夫、心配はご無用。小依さんの報道なら落ち着きますよ。だって私、可愛くないので。それとも瞬さんという単独コンテンツが視聴率を獲れると思います?」
「……わかったわかった、俺の負けだ。しばらく悪趣味に付き合おう」
「いぇーい! では上小路ではなく夜刀と! 呼び捨てでお願いします!」
「……夜刀」
「うへっ、これを唯依さんが聞いたらどう思うか! あぁあ! 今から興奮しますね!」
犯罪の片棒を担がされた気分だ。すまん唯依。でも俺も気になるんだ。
適当な免罪符を並べながら、落ちていく葉を眺めていた。
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