おやすみなさい
数日も通っていると、小依先輩の部屋を訪れるのも慣れてきた。最近は甘やかすというより、単純な交流が多かったからかもしれない。放課後に1時間ほど話して帰る、その繰り返し。
ただし今日は残れない事情があった。戸を開くと、普段通り彼女は研究をやめ振り向いた。
「やあ……よ?」
「今日は帰ります。それじゃ」
「いやいやいや、顔真っ赤だし汗もかいてるし何より疲労が漂ってる。まあ落ち着くんだ」
引っ込もうとしたところで引っ掴まれ、連れ込まれた。
「さすがに少し休んでからの方がいいよ。少し待ってて。あっ、風邪薬も持ってこよう。あぁでも水を持ってきた方が良いのかな? あれ?」
彼女は大慌てで色々なことに手を付けた。見ているのも辛かったので、俺はカーペットがあるのを良いことに仰向けで倒れていた。
風邪である。本当は学校にも行きたくなかったが、行けと言うから仕方ない。おまけに唯依には今日会っていない。クラスが違うし、常に一緒にいる間柄でもない。
それにしても身体が重い。うっかり横になってしまった以上は起き上がることも困難だ。思考でも読んだのか知らないが、彼女は大きな引き出しを開けた。
「よっこい……せぇ!」
「うわ」
掛け声とともに布団が現れた。来客用だろうか? もはや布団の存在そのものに突っ込む気力はない。
「匂いは……大丈夫そうだ。瞬君、悪いけど少しズレて貰いたい。今敷くから」
「はあ、ありがとうございます」
「私の使っていた奴だけど、多分大丈夫だから。多分臭くないから、うん。ほんと」
「……うん? いや、それはまずいですよ」
「どうして? あっ、そうか。まぁいいやとりあえずどいてよ」
「はい」
彼女は布団を敷いてから消臭剤を吹きかけ始めた。そういう問題じゃない。
「先輩。俺嫌ですからね、先輩が寝てた布団で寝るの」
「え……あ、うん。そっか」
「あ、違いますそうじゃないです。あの、嫌悪感的な奴じゃないですからね。たださすがに布団を同じくするのは年頃の男性と女性としてですね、あの」
「いや、そもそも別に添い寝をするわけじゃないからね? さすがの私でもそれは遠慮するよ?」
「告白する前に振られるみたいなのやめてください。そういう意味じゃないですって」
「ともあれ嫌なんだね?」
「はい」
「……よし妥協案だ。掛け布団と枕だけ。どうだい?」
「どこをどう妥協したのかわかりませんが、それでお願いします」
これ以上の譲歩は引き出せないだろう。こうして俺は枕にカーペットに掛け布団という、何だか不思議な状態になった。
「もしや、どっちみち全部小依先輩の物にくるまれてる時点で同じでは?」
「何か言ったかい? ほら、風邪薬とお水持って来たよ」
「ありがとうございます。先輩でもこういうの使うんですね」
「そりゃ、薬剤師じゃないし」
少し拗ねたような口ぶりだった。薬が数分で効くわけもなし、ぼんやりと枕元に座る彼女の顔を眺めていた。会話がないのは気遣ってくれているのだろう。そんなことをされると眠くなる。
「なんか話しません? 眠いんで」
「なら寝てしまえば良い。そうだなぁ、30分くらいしたら起こすから」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。おやすみなさい」
「うん。おやすみ、良い夢を」
おやすみと言われたのは何年ぶりだろう? 物心ついてからだと人生初ではないか。少し暖かくなった気がして、すぐに眠りに落ちるのだった。
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