幼馴染と科学者

 俺の紺のブレザーはチョークの粉で真っ白になっている。黒板消しを押し付けるという、絶妙な嫌がらせを受けたのだ。

 故に窓を開けたのは、服を叩くためでもある。しかし、それを止めた奴がいた。


「ねえ、それ意味ある?」

「ゼロではないな」


 効率が悪いのは知っているが、他にやりようもない。無視していると、彼女は苛立ち交じりに唸った。どうでも良いので放っておいた。すると靴底が床を叩く音がして、彼女はブレザーを引ったくった。

 抗議の視線を向けると、彼女はやけに近くにいた。思わず胸が高鳴って、腹が立った。

 幼馴染、立花唯依には光の環がのっていた。ただし天使のような外見に反し中身は悪魔のようであり、実際髪も黒だった。とはいえ容姿が整っていることに間違いはなく、人によっては波戸場小依よりも可愛いと評するかもしれない。何がしたいのか右側にサイドテールを拵えて、少し日に焼けた肌はシミ一つなく健康的な色香を纏っていた。ただし引っ込むところは引っ込んでいるのだが、出るところはあまり出ていなかった。


「返せ。そっちまで粉塗れになるぞ」

「気にしないでいーよそんなの」


 人付きのする笑みだった。さすがに友達が多いだけのことはある。俺の情報源は唯依に依存しているのだ。だからブレザーの略奪にも抵抗できなかった。

 しかし、流石にこれには抗議した。


「なあ、唯依。俺を妨害したくせに、自分は無策なんてことはないよな」

「……ソンナコトハナイヨ?」

「考える前に行動する癖は直せ」


 手を伸ばすと、闘牛士の如くひらりと躱された。身体能力では分が悪い。力なく机に座り込み、迷軍師の策を待った。

 2分後、水道に突っ込んで洗うという斬新極まる案を彼女は出した。びしょぬれでどう帰ると言えば、んっと声を上げて固まってしまった。その隙を突いてブレザーを奪い返し、不貞腐れた唯依を無視して叩いていた。


「とまあ、こんな感じです」

「なるほど、ありがとう。なんだか糖分が欲しくなってきた」

「……大丈夫ですか?」

「んんっ。あ、あー。そういえば、自己紹介がまだだったね。私は波戸場小依、3年生だ。よろしく」


 その見た目で高3には見えない……いや黙っておこう。背は高いが童顔だとは言うまい。それに、見た目以上にぶっ飛んだ存在なのだから油断は禁物だ。


 波止場小依とは才色兼備の代名詞である。また著名な企業、研究機関から破格のオファーを受けたにも関わらず、蹴ったことでも有名だ。どういうわけだか知らないが、彼女は何故かこの高校に通っている。中堅私立高校に触れる袖などたかが知れており、学費と研究室という名目で空き教室を貰っている程度の特権だ。天才の心がわかるはずもない。


 その与えられている研究室というのが一般棟の五階、廊下の外れの部屋だ。学内では最も人気が無いエリアで、それも相まって非人道的な実験や不夜城伝説の噂に事欠かない。しかし、外観的には少し豪華な校長室くらいにしか見えなかった。


「ここが裏理科室ですか」

「そうだね。本当は実験なんかここではしないんだけど」


 まじまじと見ると、やはり特徴はない。ここが本当に恐怖の城だろうか。拍子抜けしていると、『あっ』という声が聞こえた。


「ごめんね、忘れていたよ。私は波戸場小依。君の名前を聞いても良いかな?」

長刀瞬なぎなたしゅんです」

「珍しい苗字だね。武道とかやってるのかい?」

「やってたら今頃反撃してますよ」


 そりゃそうか、と彼女は申し訳なさそうに小さく笑った。

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