・物作師見習いは目覚める
ぼんやりとした意識の中に、刺すような痛みが入り混じる。また知らない場所だ。薬草と埃の匂いが混じって、つい鼻を摘まみたくなった。しかし手を動かそうとしても、力が上手く入らない。
「う……ぁ……」
「あ?」
呻き声を漏らすと、すぐ横から気の抜けた返事が返ってきた。首を少しだけ動かすと、そこにはくすんだ赤髪の男の人が座りながら酒瓶を傾けていた。少しずつ視界がはっきりとしてきて、身体をなんとか起き上がらせる。男の人がそれに気づいたようで、僕の背に手を添えて起き上がらせてくれた。
「ありが……あぐっ!!」
頭を下げようと身体を曲げると、身体中から痛みが走った。「まだ動くな」と男の人が支えてくれたおかげで、倒れずにゆっくりと身体を寝かせる。視線を下げて「すみません……」と謝ると、彼は手を額に当てながらため息を吐く。
「……で?昨日は何があった?」
「昨日……?」
「はぁ。てめえがクソ共に殺されかけたのを覚えてねえのか?それともなんだ。まだ頭が付いてこねえのか」
彼の言う通り、まだ頭に白い膜がかかったような感じがする。ふわふわと、意識が集中できない。反射的に返事することしか出来ず、僕は「ええと……」と漏らした。すると彼は立ち上がって、頭を掻きながらどこか行ってしまった。しばらくすると、右手に所々凹みのある金属のコップを持って戻ってくる。寝ている僕の隣にドシャっと勢いよく座ると、僕に「飲め」と言ってカップを差し出してきた。
「あ……はあぁぁっ!」
受け取るために身体を少し浮かせただけで、お腹に激痛が走った。その後も何度か呻きながら起き上がろうとしたけれど、痛みがひどすぎて耐えられない。その様子を見ていた彼は大きな溜息を吐き、「もういい、そのまま寝てろ」と言った。返事をして、どうやって飲むのだろうと思っていると、彼は金属のコップの飲み口を指で力強く摘まんで尖らせた。
「これで飲めるだろ」
「あ、ありがとうございます……いただきます」
彼はコップをゆっくりと傾けながら、僕の口にそれを運んだ。詰まらせないように慎重にしてくれているのが、この人の優しさを感じて少しくすぐったくなる。……が、その液体が口に入った瞬間、そのくすぐったさは吹き飛んでいった。
「ゲホッ!ゴホッ!……ど、どど毒ですか!?」
とろみのついた濁った緑色の液体は、とてつもなく苦くて臭かった。反射的に吹き出してしまい、あまりの不味さに毒を飲まされたのかと思った。いや、まさか本当に毒……
「んなわけねえだろ!?」
「じゃ、じゃあまさか薬ですか!?すみません吐き出してしまって!!痛っ!!?」
つい大きな声で謝罪をしてしまい、また身体に激痛が走った。あんなにも彼らに殴られ、蹴られたからだ。酷い事をする……あれ?酷い……こと……?それが胸の奥に引っ掛かった瞬間、自分が何をされたのかをすぐに思い出していた。
「っ!?か、彼らは!?僕をっ!僕を殴った!!彼ッ!?」
「落ち着け」
「で、でもでも!!!!!」
「落ち着けって言ってんだろうが!!」
恐怖がフラッシュバックしてパニックになってしまった僕に、彼は怒声と破裂音が共に響き渡るほどの平手打ちを僕の頬に食らわせた。音は大きかったのにあまり痛みは無かったけれど、衝撃で唖然としてしまう。彼は両手で僕の頬をガッと包み、顔を近づけて「大丈夫だ!」と言った。
そう言われて安堵したのか、目の奥がすぐに熱くなった。目尻から頬へ、沢山の涙が伝っていく。嗚咽がだんだんと大きくなって、子供のように僕は泣いてしまった。彼はそれに驚いたのか、目を見開いたまま固まっている。
怖かった。本当に、このまま死んでしまうのかと思ってしまった。父さんが死んで、リリー様のマットレスを作ると決めて、契約までしたのに。責任も果たせずにこの人生を終わらせてしまいたくない。と、なんとか意識を失わないように耐えて、彼らに暴力を振るわれる度に、激しい痛みから逃げたくて仕方が無かった。
「……大丈夫だ」
わんわんと泣いている僕に、彼はびっくりするほど優しい笑みを浮かべながらそう言った。身体に負担をかけないように、優しく抱きしめてくれて、更に僕は泣いてしまった。この人がきっと助けてくれた。あの時、意識が途切れてしまった直前に聞こえた声は彼だったのだ。
「あっ……がどう……ござっ……す……!!」
呼吸が上手く出来なくて、ありがとうさえもちゃんと言えない。けれど彼は何も言わずに、背中をポンポンと叩いてくれた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
泣いてしまった恥ずかしさで顔を上げられない。彼の服を涙でビチャビチャにしてしまった。彼は気にしていないように僕の腹に巻かれている包帯を変えながら、僕に語り掛けた。
「俺はオズヴィ。お前さんは?」
「……テルマ、です」
「テルマ。いい名前だ。職業は?」
「あ、ありがとうございます。職業は……物作師見習いです」
「……そうか、物作師見習いか」
そう言って、オズヴィさんは少し手を止めた。気になって、俯いていた視線をそちらに向ける。オズヴィさんはとても……悲しそうな顔をしていた。どうしたのだろうか、と僕は首を傾げる。
「オズヴィ……さん?」
「いや、何でもねえ。物作師見習いってことは……工房は昨夜の奴らと同じか?」
「……違います。僕は……工房には入っていません。父さんが貴族様の専属で、僕は自宅の工房で勉強してました」
「ほぉ?すげえなテルマの親父は。名前を聞いてもいいか?」
「は、はい。父さんの名前は“アルド”で、子爵位の貴族様の専属でした」
父さんの名前を告げると、突然オズヴィさんの包帯を巻いていた手が止まり、口をポカンと開けて固まった。
「……アルド……の?」
まるで信じられないものを見るように、オズヴィさんの暗い茶色の瞳がこちらに刺さる。僕はコクリと頷き、またオズヴィさんの様子が変わったことに心の中で首を傾げた。父さんの名前を出して、驚いたのだろうか。そういえばここの工房は、父さんに知り合いがいると教えてもらっていた場所だ。やはりオズヴィさんも父さんの知り合いだったのだろう。もしかしたら、オズヴィさんは物作師なのかもしれない。いや、他の職かもしれないけれど。
固まっているオズヴィさんに「この工房に、父さんの知り合いの物作師がいると聞いて来たんです」と伝えると、オズヴィさんの手から包帯がポトリと落ちた。僕はそれを拾って、動くようになった手でお腹に巻いていく。
「……オズヴィさんが、父さんの知り合いなんですね。その、本当に昨日は」
「アルドの兄貴はどこだ!?」
先程まで静かに固まっていたオズヴィさんが、突然僕の腕を掴んで叫んだ。僕はびっくりしてしまい、巻き終わって結ぼうとしていた包帯の先を落としてしまう。オズヴィさんは爛々とした目をしながら、僕の返事を待っている。
「え、えっと。父さんはその……亡くなりました」
「なっ……」
オズヴィさんの掴んでいた手が、力無く下ろされた。やっぱり、この人は父さんの知り合いで……きっと、父さんを少しでも慕っていた人だったんだ。まるで自分の家族を失ったように、オズヴィさんは視線を伏せて肩を落としている。昨日、父さんの知り合いにアドバイスを貰いに行った時、ここまで悲しんでくれる人はいなかった。ライバルが減っただとか、仕事がこれで回ってくるとか言う人ばかりで、それが例え工房の事を大事に考えているとしても、僕にとってはとても冷たい言葉だった。
「……オズヴィさん。実は、これから僕はとある貴族様に依頼された品を完璧に作り上げなければならないんです。そのために、父さんの知り合いの物作師達に金属加工についてアドバイスを貰うために、工房を周っていました。そして、父さんがここの工房に知り合いがいると言っていたのは、もしかしてオズヴィさんではないですか?金属加工について、少しでも教えてもらえませんか?」
僕がそう言ってオズヴィさんの下ろされた手を掴むと、ハッと気づいたようにオズヴィさんが顔を上げた。僕に向けられている視線が、誰かと重ねているように悲しく細められている。僕はもう一度「昨日は……あの人達から助けてもらって、本当に助かりました」と頭を下げる。助けてもらったのに、治療もしてくれたんだ。そこから更に金属加工についても教えてもらおうだなんて、烏滸がましいと思われても仕方が無い。それでも、このマットレスを完成させるためには、僕の拙い金属加工の知識じゃだめだ。
少しして、オズヴィさんが立ち上がった。こちらを振り返る事も無く、「少し考えさせてくれや」と工房を出て行ってしまった。
物作師見習いは夢を見る ~見知らぬ世界からアイデアを~ Sugarette @sugarette___
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