【Episode4】Mr.ライトバルブ
「もし時間を戻せるなら? 6歳ですな。
級友たちのように、日が落ちるまで遊んでみたかった。
今でもそのころの夢を見ますからな」
「ミスター、くりかえしますが、この手術が成功する確率は、わずか20%以下です」
研究者は、向かいの席へ腰かけた、背筋のピンと伸びた初老の男性へ言った。
「承知しております」
グレーのブランドスーツを着こなしたその老紳士は、達筆な筆跡でサインをした契約書を研究者へ差し出しながらいった。
研究者はやれやれと頭をかいた。まさかこんな依頼がくるなんて。
『人格や記憶をスターズに移し替えたい―』
こうした研究は各国で続けられていたが、技術的に大変困難であり、実現するのははるか未来とされていた。人権的な問題も山積みで、反対する人や嫌悪感を抱く人も多く、研究が凍結されることも多々あった。
だが、秘密裏にではあるが、研究と実験を継続し、部分的にではあるが成果を出している機関も存在した。この研究所もその一つである。
(まったく、どこから情報を仕入れてくるのか、ねえ)
無精ひげを生やした研究者は、対面の紳士をちらと見た。その老紳士は静かに話し始めた。
「わたしは小さい頃から経営の道へ進むことが決まっていました。祖父の起業した商社を継がねばならなかったからです。同年代の子どもたちが鬼ごっこのような遊びをしている時も、私は家庭教師からつきっきりで経営学や帝王学を教わっていました。それは幼い私にとってはとても苦しいことでした。ですが、父や家庭教師はその苦しみを克服することが大切なのだと私に言い聞かせました。ここを耐え抜いた忍耐力と、蓄積された知識や思考力、それらがお前と他人に差をつけるのだと。そして、私はそれを受け入れました」
研究者はこの老紳士がはじめに差し出した名刺に目を落とした。
その名前と肩書は、世情に疎いこの研究者ですらよく聞くものだった。
「それから50数年、私はビジネスの世界で生きてきました。私の仕事は、ごく簡単に言えば、金銭、商品、権利、権限など、様々なものをあるところから別の場所へ移す。ただそれだけの仕事です。こどもにおつかいをさせることと、原理は変わりません。誰にだってできることです」
「はあ」と研究者はいった。
「だから、当然競合も多い。ならばなにをもって、顧客は取引先を差別化するのでしょうか。重要なのは、時間です。もっといえば、タイミングです。顧客が望むものを、望むより少しだけ早く、手配をしておく必要があるのです。そうすれば、顧客は大喜びします。『こんなに早く手に入るなんて! またこの会社を使おう!』そう叫ぶのです。わかりますか?」
「まあ、わかるような気がします」と研究者は答えた。この老紳士の会社はそうやって、流通の覇者になったといわれている。
「私の会社には私より優れた人間はいくらでもいます。総合的な能力も、知識も、知力も、人格も。しかし、必要なタイミングで決定を下し、実行に移すこと。この能力を私以上に持ち合わせた人物は一人もいませんでした。だから、私は仕事を手放すことはできませんでした。この世界は大変に厳しい。タイミングを誤れば、何万人もの社員が職を失い、路頭に迷います。私は会社を守るために、ずっと働いてきました」
老紳士は少しの間、目を閉じ、続けた。
「そんな私も、間もなくこの生涯を終えようとしています。悪性の腫瘍が全身に転移していることが先日判明しました。それがわかったとき、私は私が本当にやりたかったことを、この人生で実行できていないことに気が付きました。私の人生は、ものを東から西へ動かしただけです。見つめていたのは、人ではなく、大量のデータだけでした。そうではなく、もっと目の前の一人の人のためだけの役に立ちたいのです。一対一で、時間をかけて、心を通わせるようなことをしたい」
研究者は老紳士の目が青年のようにきらめくのを見た。
「それで、医療ケア用スターズに、脳データの移植を希望されている、と」
老紳士はうなずいた。研究者は頭をかきながら言いづらそうに告げた。
「ミスター、お気持ちはわかりました。ですが、あなたの願いを我々が叶えることが出来ると、言い切ることは私にはできません。なぜなら、我々の研究は、はっきり言ってしまうと、完成していないからです」
研究者はホワイトボードに図を描きながら説明を始めた。
「われわれのやっている人格や記憶の移植というのは、いわば、それらしいものの再構築なのです。あなたの脳から得られた反応、傾向、シナプスのつながり、電気的信号、それらを観測し、プログラムとして疑似的に再現しているだけなのです。ですから、その結果生成されたプログラムが、もとのあなた自身と同じであると保証することはできません。そして、問題なのは、抽出できる脳の情報は一部しかないということです。特にあなたのように年齢の高い方の場合、脳は膨大で複雑な構造が絡み合っていることが予想されます。さらに、何度も伝えましたがこれを実行した場合…」
「元の脳は破壊される。すなわち脳死する、ということでしたね。私は私のコピーの成果を確認することができない。つまり、それが私と同一であると、私が判定することはできない。ええ。ええ。もちろん承知しております」
老紳士は無意識に自分の胸のあたりを押さえた。
「それでも、私は、取り戻したいのです、私の人生を。私の青春を」
初老の男性は微笑みながら手を伸ばした。研究者はあきらめたようにその手を握った。
かくして、手術は行われた。長い手術だった。
老紳士の脳にはいくつもの電極が取りつけられた。その脳に電気的な信号を送り、仮想体験させたときに得られる反応をもとに、老紳士の人格や記憶がプログラムデータとして蓄積され、専用のスーパーコンピューター内に構成されていった。この作業は脳に強い負荷をもたらすが、脳がその機能を停止するまでずっと続けられた。
脳機能の停止が確認された翌日、プログラムは構成の完了を宣言した。
老紳士と対応した主任研究者はゆっくりとスーパーコンピューターに声をかけた。
「ミスター、ミスター、きこえますか?」
研究者のよびかけに、プログラムは答えた。
―ねえ、遊ぼう?
手術は失敗だった。
老紳士の幼児期の人格と記憶ばかりから構成された、とても人の役には立てない幼児が誕生してしまった。
主任研究者は同僚と煙草を吸いながら話した。
「あのしっかりした爺さんが、ただのガキになっちまったなあ」
「でも、もしかしたら、それこそがあの人の本当の願いだったのかもしれねえな」
主任研究者は煙草の煙を宙にゆっくりと吐いた。
「ミスターのプログラム、どうするんだ?」
「当然、ケアの仕事なんてさせられない。でも、契約書があるからな、消去するわけにもいかない。もったいないよな、こんなに優秀な回路を使っているのに、宝の持ち腐れだ。これ、おっそろしいほどの金額で、アダム・カンパニーに特注で作らせたものらしいぜ」
「わお。なんというか…」
「金持ちの考えることはよくわからん」
この三か月後、研究所のあるシティは帝国に占領された。帝国軍は研究所から使えそうな回路を回収した。それらの回路は初期化され、特に優れた回路は軍のコンピューターやスターズに搭載された。
ある日、その回路を使用したスターズが一機、姿を消した。
だが、大戦末期の帝国は存亡の危機にあり、たった一機のスターズが消えたことになどかまっていられなかった。
そして間もなく、『別れの日』が訪れた。世界の多くは『白い穴』の向こうへ吸い込まれた。この研究所も、積み重ねた研究や文献も、すべては無になった。
それから二年余りがすぎた夏。
「ねえ、遊ぼう?」
道行く人にそうやって声をかけてくる奇妙なスターズが現れた、という噂がサンドラシティへ流れ出した。
八人のアダム外伝~Side Stories~ とんすけ @ton_suke
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