Episode:22.5 Will
カリストは、草原を疾走する。馬車も、テントも、持ち物のほぼすべてを捨ておいて。ゆえに、二人と一匹の今の所持品は、各々の武器、身に着けている防具。そして金貨袋だけ。金貨袋には大金と言っていい金額が入っているが、金貨という物は社会の中でのみその価値を示すものである。つまり、丸一日かけて、十分な距離をとったはいいが、二人が身動きが取れないという状態は変わっていないということ。町でも見つければ治療を受けることは容易いだろう。それだけの金額を手にしながら、死地において逃げた愛しい主を追うこともできない。それは、時がたつほどに、ゼロへの愛が大きいほどに、そして、少なくとも援護くらいはできるであろう自身の実力を正しく理解しているほどに、彼女らの心を狂わせる。常人であれば、このまま死んでもおかしくない精神状況で、二人は奇しくも同じ選択をした。
モナは思った。ご主人様が死ぬところなど想像できない、と。
モナは思った。自分たちの主人であれば、きっと明日にでも、ふらっと現われてくれるだろう、と。
モナは知っていた。こうした思考回路をたどっている時点で、自分は主人の無事を確信できてはいないことを。
モナの心には、不安が渦巻いていた。彼のいない世界で生きていくことは、想像すらもおぞましかった。
そしてモナは決断した。毒の影響すらも打ち破り、彼のもとに戻って見せる、と。
ローズは、ふと昔を思い出していた。仲間に襲われ、純潔を散らしそうになったあの夜を。ゼロに出会ったあの瞬間を。腕が治っていく光景を。そして、ゼロに抱かれたすべての夜を。
ローズにとって、すべての男は等しく獣であり、敵であり、あの夜を思い出させる忌々しい生き物だった。少なくとも二腕を失った瞬間からは。奴隷におちたその瞬間から、ローズは人としての生を諦めた。
そんなローズにとって、ゼロはこの世で唯一の男であり、生涯仕える主であり、二度目の生を与えてくれた母でもあった。
ゆえに、ローズは決断する。毒に負けるような女では、彼のそばにはいられないと。
そして、二人の意志は、ついに肉体を変容させた。魂の側からの働きかけによって、二人の肉体は、魔力に還り、同時に再生を果たす。それは、本来魔獣の身にのみ起こる特異現象。強力な魂が、肉体をふさわしい器へと再構築していく。その過程は、確認したものこそ少ないが、一般に広く知られている。その過程を経た魔獣は、必ずその能力を大きく向上させ、何らかの技能に目覚める。ゆえにこそ、こう呼ばれるのである。進化と。
二人にはあずかり知らぬことではあるが、なぜ、魔獣のみに起きる現象が、二人の身に起きたのだろうか。その理由は、欠損をゼロに修復してもらっていたことに起因する。ゼロによって修復されていた部位は、確かに物質としてこの世界に存在しつつも、その素となったのは純粋な魔力である。魔獣の体がほぼすべて魔力を素としているのに対し、生物の体は完全な物質で構成されている。この差こそが、魂によって器を再構成できるかどうかの違いなのであるが、彼女らの体は、魔獣に近づいていた。欠損によって修復された部分は、徐々に体全体に影響を拡げていったのだ。そして、ゼロによって恣意的にまかれた種は、彼女らの意志によって固い土を破り、ついに芽を出すに至ったのである。
不思議な感覚だった。毒によって弛緩した全身の筋肉を、動かそうと力を籠める。ピクリとも動かない指や足に怒りを覚えながらも、その試みを継続する。自分たちにできることなど、そのくらいしかないのだから。そうして、いつもよりもまわる苛立たしい頭で、己が決意を確固たるものにしたとき、進化は始まった。
モナの喉、乳房、そしてローズの腕が、暖かな炎に包まれる。その、彼女らの主人を想起させる炎は、やがて全身に燃え移り、その体を燃やす。燃え尽きながらも再生していく体に対し、その衣服はなぜかその影響を受けていなかった。そうして炎が全身に行き渡り、無限に繰り返される破壊と再生を確認しながら、耐えがたい酩酊感と眠気を受け、二人の意識はそこで途絶えた。
カリストは、彼女らを守る。唯一認めた人間の、大切な存在であると知っているから。はじめこそ馴れ合うつもりなどなかったが、彼女らのことは、今では今では同志だと認識する。急激に成長した彼女らは、すでに自分と同等に戦える存在だと知っているから。ゆえに彼女らを守る。その決意をもって、カリストは彼女らの進化を眺めていた。
人とフェニクスの混じりあった体。人でありながら、進化を果たし、その身を魔力に転じた者。前例のないこの種には、もちろん種としての名など存在しえない。ゆえに今は、この名を借りることとしよう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます