第2話 後悔

 ブーッブーッブーッ――


 スマホのアラームで目が覚める。


 いつもなら、アラームは音に設定しているのだが、優香が起きるといけないと思って、バイブに設定を変更していたため、起きれるかどうか心配だったのだが、時間通り起きれてよかったと、胸を撫で下ろす。


 時刻は、朝の4時30分。外はまだ暗い。


 今日は地方のお客さんの所に朝イチで訪問する事になっているため、6時には家を出ないといけない。

 本来なら、後もう一時間アラーム設定を遅らせるのだが。

 俺はチラッと首だけ後ろを向く。

 優香が、俺の背中にぴったりくっついてスヤスヤと気持ちよく寝ていた。


「ふぁ~さぁて準備するか」


 俺は優香を起こさないように、最善の注意を払い布団からでる。

 慣れていない地べたで寝ていたせいか、背中が痛い。

 まるで自分の家ではない様に極力物音を立てずにそぉっと寝室を出る。


 そして、洗面台で髭を剃り顔を洗ったのち、歯を磨く。

 最後に髪をセットしてから、真っ白なYシャツを羽織スーツのパンツを履き、俺はジャケットではなく、エプロンを身に纏う。

 夜は早く帰ってくるとして、優香の朝ごはんと昼ごはんを作るためだ。

 俺が普段より早く起きたのは、この為である。

 食べてくれるかは分からないけど、まぁ、作っておいて損はないだろう。

 どんなものが好き何だろうと、少し悩み、朝はフレンチトースト、昼はチャーハンを作る事にした。

 このメニューが嫌いな人はそんなにいないだろう。何よりも作るのにそんなに時間が掛からない。

 俺は、ワイシャツの腕をまくり、調理に取り掛かった。


 フレンチトーストを作り終え、チャーハンを炒めていると、目を擦りながら優香が寝室から出てきた。

「あれ? 起こしちゃったかな?」


 時計を見ると時刻は5時。まだまだ、寝てていい時間だ。


「いえ、お気になさらず。あっ、おはようございます」


 優香は何かを思い出したかの様に俺に朝の挨拶をする。


「うん、おはよう! どうする? 朝ごはん食べるか? フレンチトーストなんだけど」

「はい、いただきます」

「じゃあ、準備するから顔洗って、歯磨きしておいで」

「はい」

 

 優香は俺に言われた通り、洗面台へと向かった。

 挨拶もちゃんとできるし、素直でいい子だな。


 俺は、二人用のダイニングテーブルの上に8つ切りの食パンで作ったフレンチトーストが二枚載っている皿を置く。そして、フォークとナイフ、はちみつを置いたタイミングで優香がすっきりした顔で戻ってきた。

 

「さぁ、こっちに座って」

「はい」

「飲み物なにがいい? 牛乳と飲むヨーグルト、あと……昨日と同じ麦茶があるけど」

「えっと、牛乳で」


 俺は優香の返事に頷き、牛乳をグラスに注ぎフレンチトーストが載っている皿の隣に置いた。


「ありがとうございます」

「さぁ、温かい内に食べて。口に合うかどうかは分からないけど、変な物は入ってないと思うから」

「はい、いただきます」


 優香は、トーストにはちみつをかけ、フォークとナイフを使って、トーストを一口サイズに切って、口に運ぶ。美香に似て、ナイフとフォークの使い方が非常に上手い。物音ひとつ立てないところをみると、良く教育されているなぁと感心する。


 それよりもまずいとか言われたらどうしよと、内心ドキドキしている。 


「口に、合うかな?」


 優香は、フォークとナイフをテーブルの上に置き、牛乳を一口飲んだのち、「美味しいです」と返してくれた。

 何だこれ、すっげぇ嬉しい……。

 ただ、美味しいって言われただけなのに、何だこの感情は……。


「あの……」

「うん?」

「優作さんは、食べないんですか?」

「あぁ、俺はもう出ないといけないから。今日は少し遠くに行かないとでさ。あっ、お昼もチャーハン作っておいたから、レンジでチンして食べてね」

「そうですか……」


 優香は凄く寂しそうな表情で、フレンチトーストを口に運ぶ。

 うッ、胸にとげが刺さったかの様に、チクチクする。


「夜は早く帰ってくるから、そしてら一緒に美味しいものでも食べに行こう!」


 この言葉に、優香は花が咲いたかの様な笑みを浮かべる。

 破壊力が凄まじい……。


「おうちがいいです、優作さんが作ってくれるご飯が食べたいです」


 心が躍るように、嬉しい。なんだよ、さっきから色んな感情に支配されているかのような、そんな感じだ。


「わかった。何か食べたい物、ある?」


 まっかせろい、何でも作っちゃる!


「ハンバーグ、目玉焼きが載ったやつがいいです」

「分かった! 任せてくれ」

「やったぁ」


 と、ここにきて、優香が初めて子供らしいリアクションをとる。少しは、俺に心を許してくれたかもしれないと嬉しく思う。


「そうだ、優香ちゃんの電話番号おしえてもらってもいいかな? 何かあった時に連絡がつく様に番号交換しておこうかと」

「それが……スマホが壊れたらしくて……」


 優香は、画面がきえて反応しないスマホを俺に向ける。


「そしたら、俺の番号メモしておくから、万が一何かあったら一階のロビーにいるコンサルジュ、じゃあ分からないか、受付みたいなところにいるおねぇさんに電話を借りて、俺に掛けてくれれば、もし、出れなくてもここの番号は知っているから、俺が折り返すまでおねぇさんと一緒に待ってる事。いいかな?」

「はい、わかりました」


 俺は、エプロンを脱ぎ、ダイニングチェアの背もたれに掛けて、スーツのジャケットを羽織る。


「じゃあ、俺、行ってくるから。家のものは好きに使っていいからね」


 スペアーキーと俺の電話番号のメモを優香に渡し、俺は玄関へと向かう。


「あの!」

「うん?」

「い、いってらっしゃい……気を付けて、早く帰ってきてね?」


 あぁ~もう。子供ってこんなに可愛いものなのか! くそ、だが、俺はいかねば……大事な商談がまっているんだ!


「わかった、いってきます」


 俺は、後ろ髪を引かれる思いで、玄関の扉を開けた。


 俺と優香は、時間を重ねる毎に距離を縮めていき、まるで親子の様な関係を築いていった。

 今となっては、優香は俺の事をパパと呼ぶし、俺にすこぶる甘えてくる。

 ずっと、こんな時間が続けばいいと思う様になってしまった。

 だけど、残酷にもタイムリミットは近づいき、美香が優香を迎えくると約束していた、土曜日の朝になった。


 今日は、俺の結納の日でもあるため、朝から慌ただしく準備を進めていた。


「パパ~そろそろママ来ると思うよ。9時半ごろに迎えに来るって言ってたから」

「分かった、優香も支度しといてな」

「うん、わかった!」


 優香とはまた逢いたい。

 父と娘でいたい。

 俺は、今日の結納の席で、優香の存在を相手側に包み隠さず話すつもりだ。

 もし、この話が破綻になってもいい覚悟で。

 そう決心した矢先、スマホの着信音がなる。

 ねぇちゃんからだった。


『もしもし、優くん?』

「うん、どうした?」

『今日の会場、〇〇ホテルであってるよね?』

「そうだよ、11時に〇〇ホテル」

『わかった、じゃあ、後でね』


 そうだ、俺に内緒で美香と連絡とってたの咎めないと。


「それより、ねぇちゃん。なんで美香と連絡とってるの黙ってたの?」

『……うん? 美香ちゃんって、昔優くんと付き合ってた美香ちゃん?』

「そうだよ、白々しい、連絡とってたんでしょう? それで、俺が結婚するとか俺のマンションとかねぇちゃんから聞いたって」


『……何いってるの? 美香ちゃんとは優くん達が別れてから一度も連絡なんて取ってないよ?』


「えっ……? だって、美香が……」


 どういう事だ?? 美香は、ねぇちゃんから聞いたって……。

 ピンポーン、ピンポーン

 チャイムが鳴る。時刻は9時半。美香かもしれない。


『ねぇ、優くん。どうしたの?』

「ごめん、お客さん来たから一旦切るね、続きは後で!」


 俺は、無理矢理会話を終わらせ、モニターを覗くと美香の姿がそこにあった。

 別れた時と比べて、全然変わっていない。俺の記憶の中の美香だ。


「ごめん、今開けるから」

『うん、お願い』


 まぁ、ねぇちゃんとのやり取りは少し気持ち悪い感じはするが、本人に直接問いただそう。

 俺は、玄関のカギを開ける。


「優香、ママきたから準備って……何してるんだ?」


 優香の方をみると、なぜか優香は着ていた服を乱暴に脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿で、しかも、両手に手錠の様なものを掛けていた。

 そして、ペタンと座り込み、ポロポロと泣き始める。


「おい……ゆう、か?」


 ガチャッ!


「優香!!」

「ママあああ! 怖かったよおおおお、うわああああん」


 なんだ!?


「この、変態!! 娘に何てことをしてくれたのよおお!! 刑事さん、娘いました!」


 待ってくれ、なんなんだこれは!? 頭が全然回らない。

 そんな俺を数名の男達が囲む。


「後藤優作! 児童誘拐、監禁の現行犯で逮捕する!」

「はぁ? 逮捕? 児童誘拐? おいおい、ふざけるなッ! 何だよそれはああッ! そもそも、美香、お前が優香を俺に預けたんだろうが!」

「何を言ってるのよ! 何で貴方みたいな変態に可愛い娘を預けないといけの!」

「優香は俺とお前の子供だろうが! お前が言ってたじゃねぇか!」

「何を訳の分からない事を言ってるの? なんで、優香が貴方の子供なのよ!? 妄想もいい加減にしてッ!」

「な、な、何を……そうだ、優香、ほら、俺の事パパって」

 優香はの方へと視線を向けると、優香はまるで化け物でも見ている様な表情でブルブル震えていた。

「お、おじさんが、急に、優香の手をひっぱって、この部屋に連れ込んで、服を脱がせて、変な事を……うわああああん」


 何なんだ……、この数日はなんだったんだ?

 優香とのこの数日は、俺の妄想だったのか? 俺は、本当に優香を誘拐してきたのか?

 分からない、何が正解なのか分からない。

 俺の両腕に、嵌められた手錠は、ずっしりとして冷たかった。


 

 どれだけ無罪を主張しても通らなかった。

 そして、判決は懲役10年。


 俺の事は大々的にニュースに取り上げられた。

 もちろん、結婚の話もなくなり、会社も懲戒解雇に……。

 勝ち組人生の階段を着実に歩んでいた俺は、転がる様に一気に落ちていった。

 ねぇちゃんだけは、最後まで俺を信じてくれたが、犯罪者の家族というレッテルを貼られ、元の住処を追われ、遠くへと引っ越す羽目になった。

 

 刑務所に入って、二年が経ったある日。


「987484号、面会だ」


 俺は看守に連れられ面会室へ向かった。

 俺に面会に来るなんて、ねぇちゃんしかいないが、先週きたばっかりだ。ねぇちゃんは遠くに引っ越したため、そんなにしょっちゅう来れない。誰だろう……。


「あ、ああ……ッ」

「思ったより、元気そうね。優ちゃん」


 美香だ。俺をハメた美香が、妖艶な笑みを浮かべ対面に座っている。

 ダン! ダン!


「みかああああッ」


 一瞬で怒りに支配された俺は、透明な仕切りを拳で殴りつける。

 見かねた守衛が、俺を叱咤し、俺の両腕を背後に回し手錠を掛ける。


「まぁ、怖いわ。そんなに怒らなくてもいいじゃない」

「お前のせいで! お前のせいでッ!!」

「そうね、確かに私のせいで、優ちゃんは今まで培ってきた物を全て失ったわ」

「ぐあああッ」

「一流商社での出世コースも、奇麗で従順な社長令嬢との結婚も、そして、手に入る筈だった会社もね」


 あぁ……この女は全てわかった上で俺をハメたんだ……信じたくなかった。

 出来れば俺の妄想であって欲しかった。


「なんで……なんでこんな事を……」

「だって~私、優ちゃんの事、ずーーっと恨んでたんだよ? あれだけ尽くした私をゴミの様に捨ててさぁ。それなのに、結婚するとかさぁ。ないでしょ?」

「俺の事をハメたって認めるのか?」

「うん、あれはぜーんぶ私が仕組んだ事」


 やった! 言質がとれた!


「看守さん、聞きました!? 俺は無罪なんです! 全部、この女が仕組んだ事なんです!!」


 俺の必死な物言いに対して、看守は何の反応も示さない。


「ちょっと、きいてるんですか! あんたに聞いてるんだッ! なぁ、おい!」

「ぷッぷふふはははははあはははははははは!」

「何が可笑しいんだよおおおお!」

「優ちゃんってバカだなぁと思って」

「バカだと!?」

「だって、そうじゃん。私がわざわざ自分に不利になる事をしゃべる思う?」

「どういう事……だ?」

「ねぇ、優ちゃん。私の家って、お金持ちなの」

「それは……知ってる」


 学生とは思えない程貢がせていたから。


「いいえ、優ちゃんは、知らない。うちは超が十個くらい付くほどのお金持ちなの」

「だから、何がいいたいんだ! 金持ち自慢なら別の所でや……ま、まさか……」

「気づいた? 虫けらの人生なんて指先一つで潰せるくらい容易い事なんだよ?」

「ぜ、全部、お前の家の力が働いているというのか?」

「ふふふ、正解です」


 美香はぱちぱちとワザとらしい拍手をする。


「……どこまでだ……」

「優ちゃんみたいな人が、あんな一流商社で出世コースに乗れると思う? あんな、容姿端麗、品行方正な社長令嬢と結ばれと思う? それに次期社長の座なんて……上手く行き過ぎていると思わなかった?」

「ま、まさか……全部?」

「そう、全部私が仕組んだ事なんだ。優ちゃんに復讐したくてね。幸せの絶頂に落とす、最高に楽しかったわ!」 


 全身が震える……。

 目の前にいる化け物が怖いんだ。


「もし、優ちゃんが、私の事を捨てないで最後まで愛してくれたら……ううん、その話はなしだね」

「優香……は?」

「あぁ~あの子は、お金で雇った劇団の子だよ。演技上手だったでしょ? 私に似てる子を探すのに苦労したんだから」


 止めどなく涙が溢れてくる。

 全て偽りだった。

 俺は、この女の掌でいい気になっていたんだ。


「もう、そんなに泣かないの、うふふふふふ。かわいいんだから」


 俺が、美香を捨てなければ……美香だけを愛していれば……。

 いや、元々美香に出会わなければ。

 そんな後悔の波が押し寄せてくる。


「美香……頼む……俺は、もういい。お前の気が済むまで好きにしてくれればいい。ねぇちゃんだけは……ねぇちゃんだけには手を出さないでくれ……頼む!」


「ふーん、考えとくわ」


「頼む! 頼むッ!」


「もう、いくわ」


「頼む! 頼むッ! ねぇちゃんだけはッ!」


 美香は、そんな俺に背を向けて面会室を後にした。

 

 


















「優ちゃんは、バカだわ。私が里佳子さんに手を出す訳ないのに……バカ、優ちゃん……だけど、これで優ちゃんは死ぬまで私の物。うふふふふ」





 




 

 

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後悔 いろじすた @irojistar

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