第弐佰漆話:七尾城の戦い

 何故上杉は能登国を得る必要があるのか。これにはいくつかの要因がある。まず、能登国の政情が非常に不安定であること。八年前の家臣団による当主追放を皮切りに、二年前に一人、今年一人、当主が不慮の『病死』を遂げている。

 その結果、現在の当主は齢五歳の畠山春王丸となっていた。当然、如何に戦国の世とは言え五歳児(数え年)に政など出来るわけがない。

 当然、彼を支える家臣団がいた。

 元々畠山七人衆と謳われた者たちは、その時々に入れ替わりながら当主の実権を削ぎ、あらゆる手を行使して主君を完全な飾りと化した。

 強欲なる者たちの群れ、当たり前のように彼らは仲違いを繰り返し、その度に御家が揺らぎ、能登国の政情もぐらぐらと揺れ続けている。

 全ては偉大なる七代目当主の死後、重臣たちによる合議制、と言う一見すると公平で、素晴らしい運営方法による統治が取り入れられたことから崩れた。

 人の欲が制度を濁らせ、公平に分けたはずの七つの力を奪い合わせたのだ。

 約三十年の間に代替わりを重ね、現在は十二代目。上杉謙信、長尾景虎が兄から当主を引き継いでから今日に至るまでの時間で五代もの当主が入れ替わっている。

 現在は七人体制も完全に崩壊し、長家が筆頭、遊佐、温井が彼らに続くような形となっていた。春王丸は彼らの操り人形、である。

 上杉側も能登の実権を握る三者に越中攻めの前から話を通していたが、遊佐、温井は上杉派、されど最大派閥となった長家は織田を選び、家中が反上杉でまとまった。七つの力の大半を今、長家が握っている、と言うことが見て取れる。

 次に地形の面。

 上洛、京へ至るまでの道に能登国は関係ない。しいて言えば海路を使えば通り道であるが、陸路での進軍である場合は越中(富山)から加賀(石川)、そのまま越前(福井)を通り、畿内入りを目指す。

 当然織田は迎撃に出てくるはず。其処で選ばれるであろう戦場が加賀、と上杉、織田両家とも考えは合致していたのだ。加賀は湿地帯が多く、越後同様今とは違って米どころではないため豊かな土地ではない。

 そのため領地としての価値は薄いが、戦略拠点として湿地帯は攻め辛く守りやすいと言う性質を持っていた。足場が緩く軍の速度は削がれる。守り側は其処で苦労する彼らへ弓や鉄砲などを用い、圧倒することが出来る。

 特に加賀の手取川は現在のような形ではなく、多くの支流が分散しているような形であり、増水の度に周辺地域は水浸し、退くも進むも困難な土地である。

 其処をどちらがどう押さえるか、これが織田と上杉の戦の焦点となる。

 能登は加賀の北にあり、直接の通り道ではないのだが、前述の通り政情不安かつ最大派閥の長家が織田へ与した以上、加賀で織田と対峙した際、背後に敵を抱えることとなる。その時点で挟撃はなくとも、いつか、何処かの機会に補給線が脅かされる可能性は十分にあるのだ。ゆえに上洛に際し、能登を抑え込む必要がある。

 織田と安心して戦うため。そのための補給を滞りなく済ませるため。能登を無視して上洛と言う選択肢はあり得ない。


 ただ、ここで立ち塞がるのは――

「デカいな」

「はい。聞きしに勝る堅城です」

 日本五大山城が一つ、七尾城であった。

 超ド級の名門管領畠山の支流である能登畠山の全てを結集し建造された巨大な山城は何キロにも及ぶ大きさ、広さを誇り、山麓には一里ほどの城下町をぐるりと総構えで守ると言う都市一つが要塞と化した堅城の中の堅城である。

 しかし、城と言うのはデカければ良いというものではない。大きければ大きいほど、広ければ広いほど、守るべき範囲は必然的に増していく。

 これだけ巨大な城である以上、守備兵も相当必要であったのだ。

「兵は?」

「領民含め一万を超えております」

「兵糧は?」

「織田が七尾湾より物資を支援した、という情報もありますので、ごほ、あまり楽観すべきでないかと。兵糧攻めはかなり時間を割く覚悟が必要です」

「ありえんな」

「はい」

 上杉謙信は聞きしに勝る七尾城を見て、ここを小田原城と同等の、いや、尾根の形状から鑑みるに小田原城以上の城であると見た。

 地形上、攻め口は正面しかない。総構えを突破し、城下町に雪崩れ込んでも七尾城の武家屋敷が立ち並ぶ区画であり、当然軍の足を鈍らせる仕掛けは盛りだくさんであろう。曲がらせ、行き止まりを作り、殺すための間を形成する。

 謙信の感性が言う。この城は危険である、と。

「良い城だ」

「御実城様が作った春日山と、どちらが上ですかね?」

「……さてな」

 完成された山城は容易く突破は出来ない。兵力は倍の二万を用意してきたが力攻めでは倍程度、悠々と跳ね返されるだろう。よしんば攻略できたとしても、相当の被害を出し後々現れるであろう織田軍との決戦が困難となる。

 ふと思い出す。

「……ふっ」

「何か面白いことでもありましたか?」

「いや、何でもない」

「ごほ、気になります」

「黙って仕事しろ。想定通りの堅城であった。力攻めも、兵糧攻めもその後を考えた場合は選択肢に入らん。調略はすでに失敗しておるしの」

「なれば――」

 謙信の右腕、直江景綱が歪んだ笑みを浮かべる。

「ああ。搦手で行く」

「御意」

 七尾城の威容を改めて確認した。実に素晴らしい城である。さすがは名門の流れをくむ能登畠山家の粋を結集して作り上げた城。

 敬意を表し、上杉謙信の全力にて滅ぼさん。


     ○


「どうされましたか、御中城様」

「……いや、七尾城が少し、以前頂いた城郭模型に似ているな、と思って」

「ああ。言われてみれば確かに」

 御中城様、と呼ばれるようになった上杉景勝とその側近となった樋口兼続は七尾城を見て、あの壮大な城郭模型との類似点を見て取った。

 謙信からより良い形を模索していくうちに随分と様変わりした、と伝え聞いていたが、景勝が貰った最終形であれば似ている、と言えるだろう。

「ならば、父上ならば必ず攻略する」

「ですね」

 彼らは微塵も心配などしていなかった。城郭模型に思い至り、その思いをさらに強くする。軍神、上杉謙信が既知の城に敗れるわけがないのだ。

「御中城様」

 兼続とは別の方向から景勝へ声がかかる。

「総社ど、いや、失敬。直江殿」

「あはは。どちらでも構いませんよ。私も未だ慣れておらぬので」

「すまぬな」

 関東の総社長尾の九男、『直江』信綱が苦笑する。関東の長尾であった彼が直江を名乗ることとなったのは随分と最近のこと。突然、今まで後継者のことなど何も考えていなかった景綱が関東より信綱を呼び寄せ、直江文の年が離れた妹である船を嫁がせて、婿養子として直江を名乗らせた。

 信綱自身も正直、寝耳に水だったのか未だに直江という呼ばれ方に慣れていない様子。突然どうしたのだろう、と景勝らも少し気になってはいた。

「藤九郎と気楽にお呼びください」

「そうします」

 仕事面でも最近は河田長親らに少しずつ移行している面が見受けられ、実はこの兼続にも政の仕事が回ってき始めていた。

 出来るならやりなさい、と言われ何とか食らいついている。長親や信綱、そして兼続の共通認識として、あれだけの仕事量を景綱一人で回していたのか、と驚愕、戦慄、何よりも尊敬があった。少なくとも常人の仕業ではない。

 国内外の政で奔走しつつ、戦にも顔を出すマルチタスクぶり。

 モノが違う、と彼らは痛感させられていた。

 そんな彼が急に、仕事を割り振り始めたのは何故なのだろうか。

 今まで頑なにそれを手放さなかった男が――


     ○


「え!?」

 上杉謙信の判断は素早く、折角囲んだ包囲を解き、能登畠山氏の居城である七尾城の支城を含めた他の城への攻撃に軍を転じさせた。

 さすがは関東を荒らし回った上杉軍、一気に散開し備え単位で独自行動を取りつつ、ガンガン城を落としていく。能登が動員できる戦力の大半が今、七尾城に集結している以上、他の城は空き城同然。蝗が如しと謳われた上杉軍の敵ではない。

 上杉軍の皆は、これで七尾城の心を折る策なのだと考える。全ての城を落とし、孤立してしまえば籠城など通常では維持できない。

 それが狙いなのだと皆、考える。

 周辺の城を大半制圧し、完全に孤立した七尾城。されど、中の彼らが白旗を掲げることはない。孤立してなお徹底抗戦の構えであった。

 その最大の理由は、孤立しても後詰が来ると彼らは確信していたから。天下を握った巨星、織田信長と言う最強の後詰がいずれは必ず来る。

 それは決して楽観ではなく、理屈の通った確信であった。織田は上杉の進撃を止めたい。そのために能登を彼らに渡したくはないだろう。何もせず放置をしてみすみす上杉に対する負担を少なくする馬鹿はいない。

 どう考えても後詰は、援軍は来る。

 だから七尾城は降伏などしない。むしろ、支城狙いを彼らの、上杉謙信の焦りだと判断した。揺さぶって落とそうとしてもそうはいかんぞ、と能登畠山を操る長家が長、長続連は笑みを浮かべ、再度包囲を仕掛けてきた上杉軍を見下ろす。

 この天宮と謳われる七尾城の頂点から見下ろす景色は最高である。まさに絶景、人が豆粒のように見え、まるで神の如し気分と成れる。

 これが国の、王の景色。

「上杉何するものぞ。我らが七尾城は誰にも敗れぬのだ!」

 長続連は高笑いをする。

 あとはただ待つのみ。日本最大の、ゆえに最強の軍勢を。


 これが手取川の戦いの前哨戦、世に言う七尾城の戦いである。

 戦国最強格の山城に龍が挑む。

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