第佰玖拾弐話:戦国時代

 永禄八年、三好三人衆らが三好長慶の後継者三好義継を掲げ、足利義輝を討った。彼らはそれと同時に縁者を殺し、自身らが掲げんとする『足利』を阿波から引っ張り出し将軍に据えようと画策していたのだ。

 阿波公方、足利義栄である。

 この男の正当性を担保するために三好三人衆はどうしてもより近い血縁を根絶やしにする必要があった。そして義輝には弟がいたのだ。

 すでに出家した身である興福寺の覚慶、のちの足利義昭である。

 しかし、其処で松永久秀が先んじ、彼を自らの領分で監視、幽閉する。三好三人衆としては絶対に殺しておきたい人物であるが、先手として命を取らぬという誓詞まで覚慶へ提出、三人衆が少しでも殺しづらくなる状況を構築した。

「……松平とやら、そなたはわしをどうしたいのじゃ?」

「さあ? 私はただ、気に食わぬ連中の足を引っ張っているだけですよ」

「義はないと?」

「もちろん。そのようなものに振り回されていては、ふふ、蛟竜に笑われてしまいますから。くだらぬ生き方だ、と」

「……未だ竜に仕えるか。羨ましいことだ」

「何のことやら」

 その後、松永久秀は越前朝倉の調略にかかり、覚慶を取り逃がしてしまう。これにより義輝の弟が三好から離れたこととなる。

 当然、阿波公方足利義栄の正当性は陰る。

「松永弾正、申し開きはあるか!?」

「いいえ。してやられましたなぁ。残念無念」

「……長慶の犬が。いつまで夢を見ている!」

「夢を見ているのはどちらでしょうかね。三好だから天下を手中に収めたのではない。三好長慶だから出来たのだ。器ではありませんよ、我々は」

「吐いた言葉は飲み込めんぞ」

「飲み込む気がないから吐いたのです」

「弾正!」

「殿。この松永、『三好』家への恩を忘れたわけではございません。其処の分不相応な三人に飽いたら、いつでもご連絡くだされ」

「松永ァ!」

 こうして松永久秀と三好三人衆、三好義継の関係は決裂する。主君である義継からも一時的に離れてしまうことになったが、二年後義継が三人衆と決裂した際にはすぐさま義継を自陣営に引き入れ、其処からは三好長慶の系譜に最後まで仕えた。


 そう、荒れた京に君臨する、新たなる王に屈するまでは――


     ○


 また、この時松永久秀が逃がした覚慶は還俗し、義秋と名乗る。自らの正当性を示し、各地に自らの賛同者を募る文書を飛ばす中、ここにも一人の英傑の影がちらつく。美濃の道三、義龍の戦のあと消息を絶っていた男の名が急浮上するのだ。

 名を明智十兵衛光秀。

 越前朝倉氏を頼り、こちらで根を張りながら十年、医学に没頭していた。出産や刀傷など幅広く診る医者として人望を集める傍ら、朝倉の伝手で細川藤孝(長慶とやりあっていた細川ではない)とも旧知の仲となり、著名な人物が列席する格式高い連歌会にも細川と共に出席、高い文化人としての素養を示す。

 織田信長に仕えるまでの明智光秀は医師であり、格式高い文化人の一員であり、細川藤孝に仕える武士でもあった。

 まったくもって謎めいた遍歴であろう。

 そんな彼が表舞台に立つのは、細川藤孝らが調略により生まれた隙から覚慶を救出し、還俗した義秋の配下として細川藤孝と共に奔走するところから、となる。

 特に骨を折ったのは今を時めく尾張の雄、織田信長との繋がりである。足利義秋の威光を利用したいと思う輩は畿内にも、その外にもうようよといる。そんな中で織田信長のまっすぐな天下静謐への情熱は信頼に値した。

 何よりも――

「十兵衛?」

「細川殿。この織田弾正忠とやら実に面白いと思いませぬか?」

「面白い、か? 真面目過ぎる気もするが」

「そこが良い。それなのに海千山千の狸どもを蹴散らしていくから、爽快なのではないですか。それはとても、面白い」

「そなたは面白いものに目がないのぉ。だが、期待し過ぎるなよ。あの三好ですら権威なくして立つことは出来なかった。敵わぬのだ、誰もが」

「……」

「それは我らが一番知っているだろうに。期待するだけ、辛くなるだけぞ」

「……私はただ、面白くなればそれでよいのです。ただ、それだけで」

 謎多き男、明智光秀。男は戦国の世に颯爽と現れた新たなる星に目をつける。やり取りする中で革新的な人物ではないのはわかった。優秀であるし情熱もある。だが、三好長慶のような見るからに非凡な人物とは違うような気がした。

 それなのに彼の道は拓けている。まるで導かれているかのように。

 この男は何処まで昇るか。興味が湧いてしまう。

 彼を観察する道もまた、一興。

 明智十兵衛光秀は尾張の方角を見つめ、微笑んでいた。


     ○


 二つの足利が立ち、より混迷を極める畿内の状況。だが、当然だが東国にはさして関係なかった。基本的には、だが。

「……近衛殿、三好についたか」

「そのようで」

 上杉輝虎の盟友、近衛前久は三好三人衆が立てた阿波公方、足利義栄を指示した。現役の関白が推した以上、それなりの正当性を得た、と見える。

 彼の気質であれば本来、足利義輝を討ち取った三好三人衆につくなど耐え難いことであろうが、そこは三好と懇意であった繋がりもあるのだろう。

 最後は押し切られた、のかもしれない。

「実綱、どちらが立つと思う?」

「景綱です。立つは、義秋でしょうな。三好は権威に泥を塗った。それを許すほど、畿内の化生共は優しくないでしょう」

「……だろうな」

 三好は急ぎ過ぎた。絶対的な柱である長慶を失い、それ以前に一応の主君である細川(こちらは長慶がバチバチやりあった方)も潰え、政治的な柱を、三好が天に立つ大義名分を求めたのは想像に難くない。

「あの男が健在なら腕力で流れをねじ伏せたろうが……竜亡き三好にそれは出来ん。いわんや、竜の威を借るだけの狐どもには荷が勝ち過ぎる」

「近衛殿は失脚しますな」

「……まあ、機会があれば復権するだろうよ。それよりも今は、こいつだ」

 長ったらしい言葉がつづられた文書を、輝虎は気怠そうに振り回す。嘘くさ過ぎて一周回って信じられるほど美辞麗句が書き連ねられた文書。目を通すだけで胸焼けし、吐き気が込み上げてくる文書作成能力は特筆すべきであろう。

「尾張の、織田弾正忠」

「……先を見越して友好を求めているのなら大した男だが――」

「たぶん、何も考えていないでしょうな。単純に御実城様が好きなのでしょう。上っ面の、ふふ、建前の部分ですが。さすがは毘沙門天の化身です」

「ぶは、笑えるのぉ」

 民草に向けたパフォーマンスが、まさか今川義元をも下した尾張の雄、織田信長に刺さるとは思っていなかった。信者みたいなものである。

 まあ、腐っても関東管領山内上杉。目上となるのも道理であるが――

「織田の情勢は?」

「我らと同様、新たな公方殿より檄文が飛んでいるでしょうが、まあ対応は難しいでしょう。美濃の斎藤が織田の躍進を許すはずもなし。公方様の手で停戦を結ばせたとて、双方上洛するなら我こそは、となるでしょう。ならば、ぶつかります」

「……読めんなァ」

「混迷を極めてきましたね」

 現在は永禄九年二月。輝虎は今、小田城にいた。昨年、男小田氏治が魂の本拠地奪還作戦を敢行。見事さく裂し佐竹から小田城を奪い返した。戦国の不死鳥たる所以を見せつけたのだが、まあ当然佐竹と同盟を組む上杉が許すわけもなく、チョンと小突いたら泣きながら小田城から去っていった。相変わらずの弱さである。

 それでもしれっと奪い返す力が集まるのだから大したものだが。輝虎も深追いする気はない。北条、里見戦線の方が問題であるから。

 そしてそれ以上に――

「さて、こちらはどうするか」

「里見の救援ですか?」

「直接救援せずとも適当に何処かの城でも叩けば北条が釣れる。それで里見なら何とかするだろうよ。……そちらはいい。俺の名で軍を出しておけ」

「承知いたしました。他に懸念が?」

「西上野、武田だ」

「……詰みに来ますか」

「おそらく」

「では、長野へ救援を?」

「いや。……哀れだが、取らせた方が俺たちにとっては利がある」

「何故?」

「今のあの男がそこで満足できると思うか? そして、その強欲を北条が許すと思うか? 武田は今川と手を切った。北条とも、そうなる」

「……なるほど」

 今の虎は道理で止まらない。長野を滅ぼし、箕輪城を、寂れた板鼻を得るぐらいでは満足しないだろう。近くの地域にも手を伸ばす。駿府にも手を出す。

 なら、関東はより荒れるだろう。

 収拾がつかなくなるほどに。

「楽しくなってきたなァ」

「ふふ、怖い御方ですね。この状況を楽しむとは」

「敵は多い方がいい。そちらの方が、楽しめる」

「味方が敵に回ることすら望むとは……いよいよもって人間離れしてきましたね」

「違う。誰よりも人間だから、それを望むのだ」

 龍は笑う。これより始まるであろうよろずを想像して。

 武田の狙いは上杉との直接対決ではない。それをするなら北信濃から春日山を進攻するだろう。狙いは西上野を取ることで、上野国や関東全体の諸侯らに対し上杉を見限らせ、離反によって上杉の戦力を削ることにあった。

 実際にその狙いは嵌まる。ここから上杉陣営は離反の連続、北条との戦い以上に味方であった者たちとの戦いも増えていくことになるのだ。

 それを理解してなお、この男はあえてその流れに乗る。

 より多くの戦いを求めて――


 永禄九年三月、上杉軍による臼井城攻めは失敗に終わる。だが、それによって北条軍を引き寄せることに成功し、窮地に陥っていた里見は息を吹き返した。

 それが三船山の合戦に繋がり、北条へ煮え湯を飲ませることとなる。

 同年九月、鎌倉を追われた山内上杉の本拠地であった板鼻を形成する最後の砦、箕輪城が武田信玄の手によって落城する。長野業正の息子である長野業盛は自刃し果てた。これによって山内上杉家中で成り上がった長野家は滅亡した。

 栄え、朽ち――この混沌こそが戦国時代、であろう。

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