第佰肆拾捌話:ズレ

 甘粕景持は村上義清からの文書を携え、春日山へ戻ってきていた。役割としては副将扱いである甘粕がやることではないが、村上なりの休んで来いと言う意思表示なのだろう。今回はありがたくそれを享受させてもらっていた。

 久方ぶりの春日山、と言っても城下にはさほど変化はない。ただ、城に関しては現在進行形で拡張工事が行われていた。大きさの理由は様々あるが、最大の理由としては領地を持つ諸侯を春日山へ繋ぎ止め、管理するためであろう。

 武田信虎、晴信親子や織田信長ら戦国大名が皆目指し、完遂し切れなかったと言われている中央集権化。特に信虎など一説には集権化を推し進めたことで諸侯の反感を買い、追放されたのでは、とされるほど難しいのだ。

 先の話で言えば、参勤交代なども中央集権を確固たるものとするために行われている側面もある。中央集権、地方分権、双方良し悪しがあるため一概にはどちらが良いとは言えないが、少なくとも戦国大名の多くは大なり小なりそこを目指した。

 まあ、ぶん投げて立場を簒奪された在京の守護たち、その有様を見ての反面教師だった、とも言えるが。

 とにかく、長尾景虎の政策は兄である晴景とは真逆の中央集権であり、曲者揃いの越後勢の頭を抑え付けるために、わざわざ城を拡張し、そこへ住むよう半ば強制しているのだ。住む者は厚遇し、住まぬ者は冷遇する。

 わかりやすい色分けとして。

「おっと、忘れていた」

 早速城へ踏み込もうとした甘粕は村上との話を思い出す。昨今、何処も病が流行っており、春日山の状況も普段を知る甘粕に見てきて欲しい、とのことだった。両親の仇の頼みを聞くのは複雑な気分ではあるが、武士としてそれなりに大人となった甘粕からすれば、もはや過去の事。今はもう、師弟の色が強い。

 景虎の言う通り、猛将村上義清からは学ぶことが沢山あった。戦のことはもちろん、政の面でも彼は信濃の豪族として大きな勢力を率いていただけあり、あらゆることに精通している。大名とは皆、こういう生き物なのだろう。

 戦だけ、政だけ、そんな者はほとんどいない。

 全てに長けているからこその頂点。彼が言語化し、学びを与えてくれたことで今まで見えていなかった景虎らの行動、その意味も理解出来るようになってきた。普段、何も言わずに「ぶはは」と笑っているので傍に仕えていてもわからなかったが、国主として難しい橋を幾度となく渡っていたのだ。

 あの出奔騒動すらも意図があり、集権化への布石でもあった。

 そう言ったことはきっと、村上に学ばねばわからなかっただろう。景虎は教えない。きっと彼は、その程度の事わからぬ者を勘定に入れていないから。

「……甘やかされているなぁ。自分は」

 だからこそ、景虎は己で育てるのではなく、幼き頃より直江文に面倒を見させ、今は村上に預けているのだ。本来はわからなかった側、景虎の勘定に存在しない器量しか持たぬ甘粕景持は、景虎との関係性ゆえに特別扱いされていた。

 直江文から大局観を、村上義清から武士のよろずを、何と豪華で特別な教師陣であることか。応えねば、見えてきたからこそ切実に思う。

 そんなことを考えながら甘粕は春日山の裏側を覗く。負の流れを知るならば裏通りから。自身も人買いに連れられていた経験から、そういうものが山積する場所を彼は知っていたのだ。普段なら近づかないが。

 どんな大都市にも裏側はある。見るに堪えない、影が。

 これも仕事だ、とため息をつき影へと踏み込む。あまり好い気分にはならぬだろう、と思いながらより奥を覗くと――

「……え?」

 そこには、

「いつもありがとうございます、お侍様」

「うめえ、うめえ」

「おい、順番を抜かすな」

「横入りしたのはそっちだろうが!」

 かなりの人混みが形成されていた。その先にあるみすぼらしい建物の一角から、もうもうと煙が立ち上っていた。火事とかではない、おそらくは炊事のそれ。

「喧嘩はやめよ! 斬るぞ!」

「「す、すいやせん!」」

 そこから聞こえた声は、甘粕も知るものであった。上手く発声して男のそれと見せているが、全てを知り聞きなれた自分ならばわかる。

 この声は、

「な、何をされているのですか、梅、太郎殿」

「……も、持の字」

 小島梅太郎、もとい千葉梅その人であった。彼もとい彼女がぐつぐつ煮込んでいるのは野趣あふれる匂いから察するに彼女が狩ってきた動物であろう。

 羽を毟った後や皮を剥いだ跡が残っていた。

 そしてもう一人、

「客人ですか、梅太郎さま」

「……この、めしいの子は?」

「お、おせわになっております。わたしは犬伏の弥太郎ともうします」

「犬伏、峠の方から流れて……いや、それよりも――」

 盲目の少年を見て、甘粕は顔を歪める。人の趣味をとやかく言う気はない。人助け大いに結構、気高い行為であるとも思う。

 だが、同時に城内に住まい、長尾景虎の傍にいる者が、このような少年と接している。これは少々、いや、場合によってはかなりの大事となるであろう。

「どういうことですか?」

「……それは」

 口ごもる彼女を見て、甘粕は顔を歪める。直江文ほどではないが、甘粕も彼女には世話になっている。あまり強くは言いたくない。

 されど、この光景を長尾景虎が容認しているとは思えなかった。彼女一人の問題で済むならば自己責任の範疇であろうが、これはそれに収まらない。

 この時代でも経験則から何となく病は人が持ち込むものである、と言うのがわかっていた。村社会が余所者を嫌うのは、何も排他的な性質があるからではない。医療が充実していない時代において、余所者は魔(病)を持ち込む存在であった。

 だから区別し、極力排除しようとしたのだ。

 全てのことには意味がある。根がある。

 とにかく今回のこれは、残念ながら個人の範疇に収まるものではなく、彼の胸に秘めておくには実害の可能性が高過ぎた。

 場合によっては国が傾く、そう彼は判断する。


     ○


「……疱瘡を患っためしいのガキ、か。くく、なるほど、合点がいった」

 甘粕景持は千葉梅を連れて、すぐに春日山城内の景虎館へ向かい、謁見する。直江実綱、本庄実乃ら奉行衆との話し合いを中座し、様子のおかしい二人の話を聞いた景虎は腹を抱えて笑う。だが、彼を知る二人は笑えない。

 何故なら景虎の眼が、微塵も笑っていなかったから。

「楽しかったか、子育てごっこは」

「……っ」

「しかもガキに類が及ばぬよう、ご丁寧に炊き出しまでしておった、と。さすが凄腕の狩人、己どころか他人まで食わせるとは恐れ入った。ぬしは今すぐに独立しても上手くやりそうだのぉ。いやはや、天晴れだ。褒めて遣わす」

 彼にしては珍しく遠回りな言い方であり、それだけに怒りの度合いが推して知れる。景虎はぶち切れていた。二人が見たことないほどに。

 いや、一度だけ甘粕はこれ以上を見たことがあった。未だに恐ろしく記憶に蓋をしているが、あの栃尾で見せた怒りは、背中越しにも悍ましい気配だった。

 それに比べればまだ――とは言え珍しいことに変わりはない。

「つい先ほどまでな、本庄、直江、小林の三奉行と顔を突き合わせて話しておった内容を教えてやろう。現在、巷を荒らし回っておる病を如何に対処するかについて、だ。甲斐との調停に公方様が乗り出してきた以上、状況は次の段階へ移行する。ぬしがここへ送られてきた理由をな、果たすべき時が来たのだ。のぉ、梅よ。北条が憎かろう? ぬしがここへ来た時、隠しておったつもりかもしれんがよォく見えたぞ。夫を、子を、領地を奪われた怒りが。随分待たせた。ようやっと復讐の時だ。で」

 景虎は目を細め、彼女を見据える。

「ぬしは何をしておる?」

「……申し訳ございません。軽率でした」

「うむ、軽率であったな。まあよい、これに懲りたら大人しくしておれ。子が欲しいのならば情勢が落ち着き次第、子を用意してやる。確か少し前に姉上が男を生んでおったからな。俺の養子として、ぬしに世話を任せてもよいか。女なら朝倉から村上の息子にあてがうつもりで分けてもらう予定であったし、それでもいいぞ」

「……」

 千葉梅は表情を曇らせる。長尾景虎の顔が急に、父親たちと被って見えたから。武家の長として君臨する者が見せる、無情なる貌。

「とにかく、金輪際身勝手な行動は慎め。やるとしても俺に話を通すことだ。不自由をさせるつもりはないがぬしは俺の人質、弁えよ」

 梅は首をさする。そこには見えないが首輪が設けられているように感じた。今までは掌の上であったから感じなかっただけで、一歩でも外側に踏み出たが最後、父たちと同じような圧力を感じる。縛り付ける力を、感じてしまう。

 所詮は与えられた自由。わかっていたことである。

「話は以上だ。持の字、義清からの文書は後で目を通しておく。明日、いや明後日か、返事を渡すゆえに俺の下へ来い」

「はっ」

 景虎はしっしと手を振る。甘粕は立ち上がるも、梅はそのまま首を垂れたまま。

「……何をしておる?」

「話を通せとのことでしたので」

「……話は終わりと言ったぞ」

「病が落ち着くまでは城内へ戻らず、炊き出しを続けようと思います」

「……阿呆が。もう少しで冬ぞ。狩猟による炊き出しなど続かん」

「備えます。全員は、難しいですが」

「犬伏の、何太郎であったか……くく、入れ込んでおるのぉ。子を成した女は変わるな、梅よ。姉上も同じようなものであったが……持の字、その者の所在、ぬしは知っておろう? 少し頼みがあるのだが」

「お、御実城様、畏れながら、それはあまりに――」

「斬れ」

 察しの通り過ぎて、甘粕は顔を歪める。景虎は正しい。

「いや、近づけば病が移る恐れもあろう。区画丸ごと燃やせ。どうせその者らの大半が住処なく、冬も越せぬ者たちだ。ひと思いに殺してやるのが情けであろうよ。春日山城も大きくなった。ここらで城下も再開発せねばな。その一石として――」

 とても正しい、武家の国主としての判断であった。人を数字でしか見ていない。国に寄与出来ぬ者を勘定に入れていない。

 だからか、

「梅殿!」

 梅は涙交じりに、景虎の頬を叩いた。景虎はそれをかわしもせず成されるがまま、ただ呆然と彼女を見つめる。

「……とらは、変わった」

「っ」

「燃やすなら、私ごと燃やして。どうせ最初から、人質なんて建前。もうお役御免なら、好きにする。そっちも、好きにして」

「……待て」

「ごめんなさい」

 梅が景虎から背を向け、歩き出す。景虎はただ、頬に手を当て呆然とそれを見送った。何も言えない、言えるわけがない。

「……申し訳ございません、御実城様。その命令は、他の者にお任せください。自分は、犬伏の弥太郎と似た立場でした。値札を提げられ、商品として扱われていた者です。似た立場である彼らに対し、自分は、手を出せません」

 戦場であれば、敵地であればともかく、ここは越後長尾家の本拠地である春日山、そのような真似など出来ない。実綱ならば戦略的に意味があるのなら、敵も味方も関係がないと言い切るだろうが、甘粕にはそう考えることは出来なかった。

 ゆえに断る。腹を切る覚悟を以て。

「……先の命は、なしだ」

 手で顔を覆い、俯く景虎。掌に鏡でもあるかのように、まるで覗き込むように何もない景色を見る。ただ掌を見つめ、顔を歪めていた。

「……流浪の民に関しては少し考える。持の字は、こちらにいる間だけでいい、彼女を手伝ってやれ。めしいとなって時間が経っているならば、おそらく移ることはない、と坊主どもが言っておった。確証は、ないがな。銭と人員は好きに使え」

「はっ」

 甘粕景持は主命を受け、部屋から退出する。残された景虎は幾度も反芻する。梅が放った「とらは変わった」と言う言葉を。

 怒りはあった。病と言う天災が相手、苛立ちもあった。だが、それでも、長尾景虎だけは、長尾虎千代だけは口にしてはならぬことであっただろうに。いつからだろうか、徐々に変質していた。あの頃の想いが風化し、今に適応する。

 そんな自分をあの頃の自分が見たら何と思うか。

 どう見えるのか。

「……阿呆が」

 越後国守護代行、国主に適応しつつあった長尾景虎は自嘲する。

 無性に、かつての己を知る者に会いたくなった。もう、随分少なくなったが。


 あの頃確かに抱いていた怒りに手を伸ばすも――それは空を切る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る