第佰漆話:越後のご挨拶

 長尾景虎の館には現在、平子孫三郎と本庄繁長が呼び出されていた。平子は中条らとも肩を並べる名門であり、すでに重臣であるが本庄繁長に関しては呼び出された本人とて何用か、と身構えていた。何しろ、

「おう、来たか。ぶはは、しかし目つき悪いのぉ、繁長よ」

「弥次郎です」

「つい先日まで千代猪丸であったくせに生意気な小僧め」

「恐縮です」

「ぶはは、俺は好きだぞォ。そういう怖いもの知らずが、な」

 本庄弥次郎繁長、少し前まで本庄千代猪丸と呼ばれていた若者である。ただでさえ若い当主である景虎よりも、さらに十も若い。齢十三、甘粕よりも若輩である。

 しかし、彼は揚北衆が一角、本庄家の当主なのである。本庄実乃とは異なる、揚北衆の本庄であり、つい先年までは当主代行の小川長資、自称本庄長資に乗っ取られていたが、齢十二にして反逆、父の仇を討ったことで当主の座を取り戻す。

 性格は勇猛、かつ少々荒れている模様。

「当主の座はどうだ?」

「普通です。普通に成っただけです」

「ぶは」

 景虎を前にしても微塵も揺らがない。さすが反骨の復讐者、気骨がその辺の者たちとは違う。まあ、揚北衆と言うのもあろうが。

 彼らの意識として長尾家の下についているのは建前、それが彼らの普通である。大人はその辺り態度に示さないが、彼はまだ牙が剥き出しの様子。

「愛い奴め」

「そういう趣味が?」

「ぶはは、違う違う。俺はな、よく吼える犬が好きなのだ。キャンキャン、とな」

「変わっておりますね」

「そうか? 可愛いと思わぬか? 常に威嚇せねば身を保てぬ弱さが、のォ」

「……それは、俺のことですか?」

「さてな。どちらだと思う?」

 席を立ち、景虎は繁長の眼を覗き込む。

「犬か、足る者か」

「…………」

 つばを飲み込みながら、されど目をそらさぬ繁長。怖気が止まらない。ただ睨まれているだけなのに、首元が冷え込んで仕方がない。先ほどまでケラケラと笑っていた男が、今は無表情で覗き込んでくるのだ。

 こちらを、深く、深く、この男には何が見えているのか。

 全てが見透かされているような、そんな錯覚が――

「ぶは、冗談だ。俺はな、ぬしを評価しておるのだ。長資も決して浅い男ではない。が、父の十三回忌に十二の小僧が攻め込んでくるなど、思いもしなかっただろう。若く、血気盛ん、この俺をして、同じ立場でそれが出来たか、わからぬ」

「……きょ、恐縮です」

「むふ、そこでだ平子と共にぬしも帯同し、ちょちょいと平井城、落として参れ」

「……は?」

 聞き間違えかと、繁長は問い返すも景虎は笑顔のまま。隣の平子も苦笑しながら首を横に振る。聞き間違いではない、と。

「軍勢はくれてやる。北条も今、手を広げ過ぎた反動でそこまでの戦力は置いておるまい。里見や佐竹、警戒すべき相手はいくらでもおる」

「わ、我ら越後の者が関東に参っても――」

「歓迎はされぬだろうなぁ。四方八方敵まみれよ」

「我らに死ね、と?」

「ぶははは、ぬしは面白いことを言うのぉ。が、違う。俺は落として来いと言うた。取ってこいとは言っておらぬ」

「同じでは?」

「否、落としたら帰ってきてよいぞ」

「……?」

 意味が分からない。城を攻めると言うのはその城を奪い、治めるためにする行動である。そうでなければただ、無駄に血を流すだけとなってしまうだろう。

 そんな行動に何の益があると言うのか。

「本庄殿、御屋形様の考えはこうだ。我らの役目は北条及び関東へ挨拶。北条に敵意を示し、それ以外に害意を示さぬことで、我らの立場を知らしめる」

 平子の言葉に「あっ」とこぼす繁長。

「……略奪者ではなく、正義の味方である、と」

「そうだ。北条を討つための存在。関東へ侵略する意図ではなく、ただそれだけのために動いてこそ、この戦いには意味が生まれる」

「……なるほど。この弥次郎、思慮が足りなかったようです」

 繁長は素直に景虎へ頭を下げる。確かに今の越後が上杉憲当を擁したとて、関東に踏み込み平井城を、板鼻を占拠したのでは角が立つ。

 北条が長尾に変わるだけ、と印象を持たれてしまう。

「今、俺は内々に上洛の算段を立てておる」

「上洛!?」

「おう。まだ中条や本庄、大熊、そこの平子しか知らぬことよ。あ、直江を知っておったが俺は言っておらぬゆえ、口の軽い者がおったのであろうなぁ」

「……私ではありませんよ」

「ぶはは、ぬしのことは言っておらぬ。どうせ、関東管領殿相手に上手くやったのだろう。あの御方もかなり、懐が緩くなってきたからのぉ」

 世間話のように語り合っているが、この時代それなりの立場である者が京へ赴く、と言うのは国にとっての一大事である。この日の本の中心であり、室町や朝廷の差配一つで、大義が揺れ動く可能性が高いのだ。

 場合によっては敵対者が、朝敵となりかねない。

「そのための手土産が欲しいのだ」

「それが平井城、と」

「違う。平井城を落とし、北条を傷つけた。その上で関東の土地には手を付けなかった。そんな清廉な物語が、欲しい」

「……はは」

 何が清廉か、と繁長は込み上げる笑みを抑え切れなかった。完全なる私利私欲、手土産欲しさに関東へ、北条を殴りに行くのだ。

 殴ってさようなら、あちらからすれば信じ難い暴挙であろう。上洛の話を知り、ようやく話の筋道が見えてくるが、見えぬまでは本当に何が何だかわからない。

 それは、『怖さ』である。

「やってみるか?」

「はっ!」

「くく、良い眼だ。期待しておるぞ。平子からよく学べ」

 何たる無法者。父の復讐を果たした己も相当なものであるが、この男のそれは広さが違い過ぎる。越後はもとより関東も巻き込んだ私欲の発露。

 それで敵味方何人も、何十人も、下手すると何百人と殺すのだ。

 それを笑顔で、軽い口調でやると言う。

(これが長尾景虎、か)

 今はまだ届く気がしない。だが、いずれは――

「あ、そうだ繁長よ」

「はい」

「俺にも反逆したくなったら、いつでも受け付けておるよ」

「……ッ⁉」

 大笑いする景虎と頭を抱える平子。この男は何処まで見えているのだ、と繁長は顔を歪める。そして、だからこそこの反骨の獣は燃えるのだ。

 いつかこの首、刈り取ってやる、と。


     ○


「新しい本庄は面白いのぉ、孫三郎よ」

「……あれはやりますぞ」

「だろうなァ」

「全く、この御方は……父君よりも難物とは」

「ぶはは!」

 本庄繁長だけを帰し、今回の戦の総大将となる平子孫三郎を残していた。何しろ今回の戦は、様々な意味合いを含むのだ。

「揚北衆の連中は?」

「上洛の件を伝えれば、でしょうか。今のところは人を出し渋っておりますな」

「まあ、そりゃそうだろうな」

「伝えれば伝えたらで、次は若き本庄へ嫉妬が向かうやもしれませんが」

「そこはぬしが受けろ。年長者であろう?」

「……中条殿らに比べれば若輩ですとも」

 今回の戦、長尾家も兵を募るが、主力を揚北衆で構成させるつもりであったのだ。そのために本庄繁長を据え置いたと言ってもいい。

 これは踏み絵、兵を出せと言ってどれだけ協力できるか、腹の底を見せるか、平井城を落とすとなれば三千、四千ほどは必要であろう。越後全体で協力して出せる半分、三分の一程度か。そこにどれだけ寄与できるか、寄与しようとするか。

 これで御家への忠誠を測る。

「上杉殿は?」

「今は俺の近侍、甘粕と釣りをさせておる」

「甘粕……信濃の方の出でしたか?」

「おう。戦に負け、所領を失った者同士、傷の舐め合いも出来るかと思ってな」

「……少々扱いが軽過ぎるのでは? 慎重に扱うべきかと」

「必要ない。あの男はな、そういう人間ではないのだ」

 平子の前で景虎は笑う。先ほど繁長を見つめていた眼、深く、相手を覗き込む眼である。この男の人を見る眼は特別なのだ。

「上杉憲当と言う男は静謐を好む。穏やかなる日々を望む。華美を厭い、日々を安穏と過ごしたい。権威にも嫌気がさしておる。操り人形で祭り上げられるのがよほど堪えたのだろう。必要なのはな、権威を捨て越後にて生涯を終えたい、そう思わせることだ。あちらが捨て先に俺を見出せば、自然と俺が関東管領となる」

「……承知致しました」

「俺やぬしらのような弁えた者たちばかりでは詰まらぬよ。山内では体験できなかった自由を、存分に謳歌させてやる。無論、仮初めであるが」

 力での解決を好む男だが、長尾景虎と言う男は腹芸の方が得意なのでは、と平子などは思う。少なくとも関東管領を得ると決めたから、その辺りのやり取りは舌を巻くほどに完璧であったのだ。少し、不気味なほどに。

 その徹底ぶりは普段の彼らしくはない。

「頼むぞ、孫三郎。負けました、では済まさぬからな」

「お任せあれ。負けたならこの腹、掻っ捌いて見せましょう」

「ぶは、ならば介錯してやる」

「ありがたき幸せ」

 名門平子氏の頭領、無能であれば今回の戦で抜擢しない。こと、戦を任せるならば中条、直江らよりも上に来る。加えて今回は若き力である本庄繁長と、

「定満とぶつからぬか?」

「あの御仁とぶつかるのはキタジョウくらいのもの。上手くやりますとも。互いに」

「それは何より」

 琵琶島城主、宇佐美定満も出す。平子を立て、老獪な宇佐美と反骨の本庄で支え、さらに精強なる揚北衆の面々にも力を借りる。

 己が出ぬ中であれば、おそらく越後最高の布陣であろう。

「俺が動けぬのは、難儀よなァ」

「仕方ありませぬ。挨拶に当主が出れば軽んじられることでしょう。ここは私が暴れて参りますゆえ、御屋形様に置かれましては留守をお守りくだされ」

「言うのぉ」

「どうにも我らの力をお疑いのようでしたので」

「……ぶはは、確かに。すまぬな」

「必ず勝ちますとも」

「おう。わかっておる。父上の手を焼いたぬしらの力、存分に示せ」

「はっ」

 やはり、少しばかり彼らしくない。普段ならば勝っても負けてもどうでもいい、ぐらい言いそうなものだが――平子は考えるのをやめる。

 必要なのは、勝つための算段であろう。

「では」

「うむ。定満によろしくの」

 平子が下がり、景虎は一人になる。今回の絵図に手抜かりはない。上洛も含め、すべて上手くやると決めていた。これに関しては、間違える気はない。

 何故ならば――


     ○


「む、いい匂いよな。今日はなんぞ?」

「台所は女の戦場、男は去って」

「御屋形様ぞ?」

「男は男」

「けち」

 ひょっこり台所に現れた景虎であったが、調理中の千葉梅に撃退されてしまう。ちなみに直江文も無心で魚のうろこ取りをしていた。中々の勢いである。

 あそこに首があれば、たぶん撥ね飛ぶな、と嗤う。

「その魚は?」

「持の字が釣ってきました」

 梅の代わりに捌いている文が答える。

「ほほう。あやつめ、随分立派なのを釣りよったな。生意気な」

「上杉殿はボウズだったと申しておりましたよ」

「関東管領よりも釣ったか。ぶはは、いい具合に空気が読めぬのぉ」

「それでしょげておりました」

「ぶは」

 心底楽しそうに笑う景虎。戦場、政で見せる顔とはまるで違うものである。気楽に、気ままに、ゲラゲラと笑い憎まれ口を叩く。

 それが彼の――

「で、何用?」

「ん、腹が減ったのでな。しばし、見させてもらう」

「見ても作業は早くならない」

「どうかのぉ。人間、人目があった方が何かと励むものだ。ほれ、手が止まっておるぞ。家主である俺が見ておるから、精々励め」

「……はぁ」

 景虎を無視して梅と文、女中の皆が作業に集中する。それを景虎はただ、見つめていた。目的はわからない。意図はわからない。

 ただ、

「変な人」

「本当に」

 優しげな笑みを浮かべ、彼女たちの仕事ぶりを見つめていた。


     ○


 天文二十一年八月、長尾景虎が命により平子率いる越後勢が関東へ足を踏み入れる。いわくつきの地へ、腕自慢たちが威風堂々参戦する。

 苦境に立たされていた沼田は、

「来たか!」

 想像以上の援軍に笑みを浮かべた。上杉憲当がそこにいないのは少し驚きであったが、それ以上に布陣からも垣間見える越後の本気に、逆に不安になってしまうほどであった。彼らはこのまま関東に居座り、支配する気なのでは、と。

「此度は、挨拶にて」

 総大将である平子は笑みを浮かべながら、

「全軍突撃。越後の力、示しましょうぞ」

「応ッ!」

 余裕を浮かべていた北条方は、突如現れた越後の大軍を前に呆然としてしまう。そこに対し、平子は御屋形様からの命令通り、

「捕虜は要りません。目につく敵は全て、殺しなさい」

 殺戮せよ、と命じる。

 これが長尾景虎の代、越後勢による関東侵攻の第一歩であった。これから十年以上、関東の者たちは彼らの厄介さを知ることとなる。

 その強さと残忍さを。

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