第佰捌話:遭遇連戦

 平子率いる越後勢は沼田領を通過し、迅速かつ着実に勝利を重ねていく。城へ固執せず、押し込んだら先へ進む。先の上田長尾の乱に対する景虎が取った戦法に似ているが、今回は領民らに手出しは一切しなかった。

 他ならぬ景虎からするな、と厳命を受けていたのだ。

「あちらの城とこの辺りが連携してくると思いますが」

「時を重視すべきであろう」

「ある程度間引かねば平井城まで届きませぬぞ」

「それは時をかけた場合も同じこと」

 拠点を移す度に白熱する軍評定。平子が間に立たねば曲者集団はまとまらない。年配であろうが先達であろうが、我を通そうとする本庄繁長や、若造に舐められまいと衝突を続ける揚北衆の先達たち。平子は頭を抱え続ける。

 だが、

「さすれば、どちらも取ると致しましょうぞ」

「それは……」

「どうすると言うのだ、宇駿殿」

 宇佐美定満がいたのは不幸中の幸いであった。戦に関しての彼の知見は広く、正しさによって他の者を納得させる、と言うと丸く聞こえるが、もはや正論による暴力であり、屈服させている方が近いだろう。

 智略のぶつけ合いで宇佐美には勝てないから納得するしかないだけ。先の景虎が戦い方を参考にしつつも、略奪と言う手段を封じられた穴を上手く埋めているのは彼のおかげであった。さすがに年季が違う。

「……なるほど」

「この往還を用いることばかり考えておったわ」

「ううむ」

 すでに協力者である沼田には伝えてあるが、今回は平井城を綺麗な形で落とし切る、ここまでが戦術目標である。北条が本腰を入れてかかってくれば当然敵わぬし、相手が本腰を入れる前にケリをつけねばならない。

 そのためにあれこれ手を打つ。

 適宜、修正しながら――


     ○


「越後の田舎者共が! 何をしに来た!?」

「畿内に言われるならともかく、今の東国に言われる筋合いはねえよ!」

 本庄繁長は豪胆にも最前線に出て太刀を振るう。首尾よく遭遇戦に持ち込み、敵味方入り乱れの乱戦を形成していた。これもまた越後勢の狙い通りである。

 正しい戦の作法に則れば、一戦一戦が長くなってしまう。矢合わせ、槍合わせ、その手前に悪口合戦が入ればより戦の時間が伸びる。今の越後勢にとって時間は惜しい。裏を返せば北条にとっては時間が欲しい、となる。

 悠長な戦いなど出来ない。

 だから、偶然を装い遭遇戦を仕掛け続けるのだ。兵団をいくつにも分け、道を、時に山河を駆け、相手方が集結する前を叩く。

 遭遇戦なれば戦は単純、やるかやられるか、となる。

 作法もクソも無い野蛮極まるやり口であり、これまた景虎の得意な仕掛けであった。そもそも遭遇戦をやるつもりな方と、そうでない方、同じ兵力であったとしても結果は見え透いている。もちろん遭遇戦を仕掛ける以上、

「何故、ここにぬしらがいるのだ⁉」

「さてのぉ。偶然だが致し方なし。総員、かかれィ」

 相手の連携を、連動を読み切る必要がある。適時情報を更新し続け、読みの精度を高く保たねば無駄足、どころか味方が孤立してしまう。

 ゆえに宇佐美らは情報収集に余念がない。沼田から貰った情報を元に、自らの足や私兵である乱破などを用い、とにかく目を広げて戦を打ち回す。

 これを景虎は冬時期に、己の眼と読みだけでやり果せたのだから怪物であろう。如何に略奪などの手札を用い、相手を動かせたとしても容易いことではない。

 それでも宇佐美は思う。難題こそが戦の醍醐味である、と。かつて長尾為景とやり合った時に感じたあのひりつく感覚、間違えられない圧。

 全てが心地よい。

「……まだまだ」

 己はやれる。老いたとて、まだ――

 黒田の時は荒れた時代が来ると歓迎した。力ある者が上に立ち、越後の外へ飛び出て暴れ回る。その中の一助として力を尽くす。

 それが彼の望みであった。叶った、と思った。

 だが、上田長尾の乱、長尾政景を相手取った時、一つの懸念が生まれたのだ。全てを一人で成し遂げた主君を見て、果たして己の役割があるのか、と。

 長尾景虎一人で全て済むのではないか、と。

(そんなはずはない。儂はあの長尾信濃守を追い詰めた男ぞ。現に今、儂の智略は役立っておるではないか。役割はある。老いさらばえようと、冴えに曇りはない!)

 あの時と変わらずに戦場が見える。ならば、負けるわけがない。

 間違えるわけが、ない。


     ○


 平井城を任されていたのは北条宗哲その人であった。かつて初代伊勢宗瑞が東国でも特別視されている箱根権現を抑えるために、氏綱の弟である彼をそこへ送り込み、見事四十代の別当(トップ)を務め上げた男である。

 今は他者に別当の地位を譲るも、未だ実権を握っているとかなんとか。僧籍ながらも北条の裏方として尽力し、箱根はもちろん小田原(久野)にも領地を持つ実力者である。関東諸侯をなだめつつ、上野国全体を見るには彼ぐらいでなければ務まらない、と氏康が頼み込み、箱根から離れたこちらまで足を延ばしていた。

「宗哲殿、お相手の様子は如何ですか?」

「これはこれは長野殿。敵方に頭の切れる者がおる様でしてな。どうやら皆翻弄されしてやられている様子。じき、ここ板鼻にも来るでしょうな」

「そうですか」

「さて、私も気を付けねばなりませんな」

「越後の無法者を、ですな」

「いえ、寝首を、です」

 宗哲の長野業正を見る眼は穏やかなれど鋭いものであった。業正はごくりと息を呑む。看破されるはずがない。看破される隙は残していない。

 今回はそのための一手、のはず。

「冗談ですぞ、冗談」

(警戒されるのは当然だ。だが、見ておれ坊主め。今回でぬしらは必ず騙される。この長野業正が勝負手、容易く看破されてなるものかよ)

(上野国の武家のみならず、東国の武士など一筋縄ではいかぬもの。はてさて、この男は何を腹に抱えておるのやら。他の者も含め、見定めねばな)

 宗哲が平井城を任されたのは戦の経験もそうだが、箱根別当として培った人を見る眼も大きい。風向き次第で簡単に揺れ動く関東諸侯を見つめ、適切に動くために老獪なる眼が求められたのだ。

 彼らを味方として見ることなかれ。いや、今は乱世、御家以外の者は全て状況次第で敵となり得る。御家すらも、果たして全幅の信頼が置けるかどうか――

 誰が敵で、誰が味方か、時勢と共に――見る。


     ○


 時同じくして平井城を目前とし、越後勢の陣中は浮かれていた。連戦連勝、策略がきっちりとハマり、見事な快勝を続けている。

 ここまで来たら勝利は目前。何故ならば――

「さあさあ、出てこい北条! 民に見限られたくなければな!」

「いいぞ! 弥次郎!」

「もっと言え!」

 北条は板鼻の民からすれば新参も新参。民からの支持を重視する彼らがここで籠城を選択することは、侵略者である越後の者たちに板鼻の街を奪い、破壊してくれと言っているようなもの。守護者としての責務を捨てた、と見られてもおかしくはない。圧倒的な実力差があるのであればともかく、互角の勝負を引いたのでは沽券にかかわる。彼らは籠城を選択できない。厳密には選択したくない、だが。

「酒が入ると駄目ですなぁ、揚北衆は」

「ですね」

 まだまだ声など届くはずのない場所で叫ぶ揚北衆を尻目に、宇佐美と平子がちびちびと酒を酌み交わしていた。

「出ますかね、北条は」

「出る。そこまで北条は上野国の武家を信用しておらぬよ。腹の中で敵を飼うよりも、外で盾にした方が役立とう」

「です、か」

 この時勢、ここで籠城は取れないという判断から彼らは戦を仕掛けていた。これに関しては景虎も「出来ない」と言い切っており、そこは宇佐美の考えと合致する。実際に道中もいくつかの城が北条に反旗を翻し、越後方へついた。

 民からの視線、関東諸侯への疑心、これらが彼らの行動を絞る。

「ならば勝ちますな」

「うむ」

 勝利に勝る美酒はない。ことここに至った時点で勝利は堅くなりつつある。まあ、勝利と言っても一時的なもの。戦術目標は達成しても、得られるものは薄い。正直そこに関しては皆からの反発があったほどである。

「御屋形様は何故、あれほど関東管領に執着されるのか」

「おや、酒で口が滑っておりますぞ」

「疑心ではなく疑問ですよ、宇佐美殿」

「……まあ、わからなくもないですがの」

 平子の抱く疑問は宇佐美も抱いていた。彼を幼少から知る宇佐美にとってはある意味平子よりも驚いたものである。あれほど権威を毛嫌いしていた男が、今は何故かそれに手を伸ばそうとしているのだ。

 平子からしてもやはり疑問は多い。彼自身それほど接点があるわけではないが、少なくとも当主になってからの彼は知っているつもりであった。

 あえて敵を作るかのような物言いや振舞い。不安定だがとにかく強い。先々代よりも、そう思ったからこそ平子は彼を推したのだ。

 その欠陥が最近、薄れているような気がする。良いことではある。当主としての自覚が芽生えてきた。そう思えば越後にとってこれ以上ない益と成ろう。

 ただ、あの男が容易くそうなるか、とも思う。少なくとも政景の時に見せた姿に、そのような影はなかった。怪しい動きをする北条ならぬキタジョウや、反骨心の塊である本庄繁長を煽る姿からも、彼が変わったとは思えない。

 しかし、

「関東管領の件だけは、どうにもそぐわぬのです。私の思う御屋形様像と」

 関東管領が絡む件だけは周到であり徹底している。上杉憲当の扱いや長野や沼田とのやり取りもそう。この戦だって、本来の彼ならば道理も何も蹴っ飛ばして、彼自身が出陣し北条とやり合ってもおかしくはない。

 俺が御屋形様なのだ。俺が絶対なのだ。と笑いながら。

 だが、彼はそうしなかった。

「……確かに、のぉ」

 関東管領を得るための筋道。これは上手くやれている。手に入れて見せるだろう。本当に上手くやっているのだ。上手く、やり過ぎているほどに。

 いつもの彼ならばもっと遊びを残す気がした。それこそ遊ばなかったのは黒田の時ぐらいのもの。政景の時でさえ遊びは随所に見受けられた。

 何故か――

「伊勢姫とやらが来てから、ですかな。まあ、良くなってくださるのであれば文句などありません。少々、私は飲み過ぎたようですなぁ」

「明日も早い。今日は寝られると良い」

「御言葉に甘えます」

 平子は頭を抱えながら場所を移す。酒を片手に、宇佐美は少し考えていた。頭は冴えている。この上なく、冴え渡っていた。

 確かに酔った平子の言う通り、景虎は関東管領が絡むことだけ徹底していると言ってもいい。この戦も宇佐美をねじ込み、その上で口出しをしてきたのも景虎本人である。普段の彼ならば「ぶはは、定満に任せておる。俺は知らん」と笑うはず。

「あまり表に出てこぬゆえ、最初に会ったきり顔を見ておらぬが……確かに妙と言えば妙な話。そもそも、人質自体がそう、か」

 関東管領上杉憲当自らが来る。これを受けるにしろ、跳ね除けるにしろ、伊勢姫とやらが交渉の材料になるとは思えない。絶世の美貌であったことは多少考慮に値するが、それとて結局こちらで見て初めて価値がわかるもの。

 端から交渉材料に含まれていても付加価値はない。しかし、景虎は彼女を受け取った。そして上杉も受け入れ、関東管領に執着している。

 例えば、もし関東管領の復権を逸したとして、立場を失うのは誰か。当然、上杉憲当はそうだろう。そしてその付属物である彼女もまた――

「……まさか。ありえぬ。あの御屋形様、が」

 まさかあの長尾景虎が、女一人を守るために全力を尽くしているなど考え難い。あり得ぬ考えだ、と宇佐美は自らの気付きを一笑に付す。

 あの男は媚びない。敵も味方も。ましてや女になど――

「儂も寝るか」

 宇佐美定満は余分な考えをかき消し、明日のことだけを考え眠りについた。

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