第陸拾肆話:これより先

 春日山から逃げてきた民を匿う林泉寺の山門に武士の一団が押し寄せる。

 だが、

「お帰り下さい」

 それら一団を前に天室光育ら僧が立ちはだかる。

「黒田様に逆らう気か、坊主の分際で」

「拙僧らに政などわかりませぬ。されど、救いを求める民の声は聞こえるのです。どうかお帰り下さい。血濡れた者にこの山門、潜らせる気はありませぬ」

「……坊主が。後悔するなよ」

 寺院の中に逃げた民を検めさせよ、という要求を跳ね除ける光育。それに対し捨て台詞しか吐けぬのでは勝負にもならない。

「一旦退くぞ!」

 武士たちは去り、僧侶たちもホッと胸をなでおろす。荒事と成れば延暦寺のように僧兵を囲い、武装していない林泉寺ではひとたまりもない。

 この場を治められたのはひとえに――


     ○


「……天室光育か。あれには手を出すな」

「しかし、坊主に侮られたままでは面目が立ちませぬ!」

 怒り心頭の部下を相手に黒田は髪をかきながら首を振る。

「寺を侮るな。ことは林泉寺一つの話ではない。しかも相手は京でも名の通った高僧、天室光育だ。討てば、角が立つ。あのジジイを引っ張ってきた為景の仕事が、死んでなお誰ぞの障害と成ろうとは……どこまでも厄介な男だ」

 苦々しげに顔を歪める黒田。

 ここを容易く力押し出来ぬのが寺社勢力の厄介なところである。彼らは常に、ただそこに在るだけで大義名分を掲げている。存在が正しく、手を出す方が悪、無条件にそういう構図となってしまうのだ。

 例え内実が異なろうとも、古今寺社勢力に手を出し後世に正義と、正しい行いであったと伝わっているケースは少ない。

 何よりもこの時代、寺は物流の拠点としても機能していたのだ。

 現代よりも遥かに彼らが力を持つ時代。迂闊に手を出すことは出来ない。武士同士の諍いとは話が違う、と言うこと。

「まあいい。晴景を林泉寺が匿っていることはあるまい。家臣の一人や二人紛れていてもおかしくはないが、大勢に影響はせぬ」

「やはり晴景は」

「ああ、上田荘に行ったのだろう。そちらにかなりの人数が流れた形跡があるとの報告もあった。つまりは、俺たちの勝ち、だ」

「……でありますな」

 最高の結果はこの地で晴景を討ってしまうことであったが、それを逃しても大丈夫なように段取りも組んである。上杉定実がどこまで根回しをしているのかはわからないが、元々折り合いの悪い三条と上田の長尾がただで手を組むはずがない。

 どう考えても彼らは守護側に立つ。

 つまりは、黒田の味方、である。

「あとは守護殿の仲裁を待つばかり、だ」

 全てはそこから、そこからが本当の勝負所となるのだ。顔を潰された守護代長尾と顔を立てられた守護上杉、力関係が守護側に傾いたところで越後を割る。

 そこでの戦いを勝った者が、負けた者から全てを奪えるのだ。

 欲しい土地などいくらでもある。土着の国衆共が抱えている富んだ土地を奪い、黒田のモノとするには、越後を二分するような戦が必要なのだ。

 云わばこの謀反、その下準備に過ぎない。

「さぁて、荒らすぞォ。この越後を」

 どこもかしこも戦の時代。この越後もまたその流れに乗る。

 彼ら武家にとって、荒れた時代こそが活きる道、なのかもしれない。


     ○


 越後国上田荘、現代では新潟県魚沼南部に位置するここは、関東平野と越後を結ぶ交通の要衝として重要な役割を果たしている。当然、そこを管理する家も名門と見なされ、越後長尾が三家の一つ、上田長尾が居城、坂戸城を守護していた。

 関東と何かがあれば矢面に立つ自負が彼らにはある。

 ゆえに彼らは、古志は当然として、今でこそ本家面している三条に劣るなどと考えない。あくまで同格、横並びの三家なのだと主張する。

 昔から三条長尾とは折り合いがつかず、代々争う仲であった。三条が右を向けば左を向き、左を向けば右を向く、などとは誰が言ったか。

 ちなみに現当主である長尾房長は関東管領上杉顕定が越後へ侵攻してきた際、いち早く敵方に回り威を借りて為景を打ち破った。ただ、御存じの通り一時は越中に追いやられたものの、諸勢力を協力し為景が盛り返したことであっさりと降伏。

 その立ち回りが原因で、越後国内では未だ上田衆と言う言葉そのものが、若干侮蔑の意味を込められることが多い。

 その辺りもまた、火種ではあるのだが。

「守護殿、長尾様が来られました」

「どの長尾だ?」

「……三条の、六郎殿でございます」

「おお、六郎か。うむうむ。よくぞ無事であった。あとで話がしたいと伝えてくれ。もちろん、そちらから出向いて、のぉ」

 上杉定実の言葉に、態度に、彼を護衛しながらここまで連れてきた大熊朝秀は顔を歪めていた。役目であるから傍に仕えていたが、もし役目が無ければ即斬り捨てたいと思うほどに、この男は露骨な態度を表していた。

(随分態度が違うではないか、先代の時とは)

 この男は常に傀儡であった。為景の、そして十年ほど前に反為景勢力として反抗した時も、彼はお飾りでしかなかった。今でも大熊は覚えている。為景を追い詰めている時の有頂天っぷりを。巻き返され始めた時の、醜態を。

(器ではないのだ。端から)

 それでも大熊朝秀は越後守護に仕える身である。あの時もどちらに立つか迷いはあったが、規範のまま守護の側に立って戦った。

 今もそう。何かあれば自分は――

(……平三殿)

 果たして、あの時と同じような選択が出来るだろうか。

 いつも思う。武士の、武家の何としがらみの多きことか、と。


     ○


「よくぞ参られた。守護殿も来られておる。兵も民も存分に休まれよ」

「感謝いたします、新六殿」

「なに、困った時はお互い様であろう」

 三条長尾家当主、長尾晴景は上田長尾家当主、長尾房長(新六)に頭を下げる。

 この男もまた海千山千の男。信用は出来ない。

「綾姫は何処か?」

「まだ合流しておりません。もしかするとすでに――」

「そうか。それは、残念だのぉ」

 晴景は房長の眼に浮かんだ色を見逃さなかった。かすかに浮かんだのは、喜色。事前に仕込もうとしていた三条と上田の婚姻。ことここに至れば必要ないと言うことなのだろう。つまりは、今回の件は婚姻の話をしていた時点で、上田側も知らなかったと言うことになる。油断させるための策かと考えていたが――

(守護殿の独断、もしくは他に手の者がいる、か)

 上田は味方ではない。だが、敵でもない可能性が出てきた。

 悪い状況ではない、と晴景は考える。

「守護殿は?」

「我らの館、奥に通してある」

「では、すぐご挨拶に伺いたいのですが」

「構わぬが――」

 変な気を起こすなよ、と念押しするつもりが――

「その後、内密な話は出来ますかな、新六殿」

「……うむ、構わぬよ」

 冷静沈着な眼で、こちらを見据えてきたことに房長は顔をしかめる。弱っているかどうか確認するつもりであったが、この男存外気骨がある。

 どう料理してくれようか、と房長は考え込む。

 それと同時に晴景もまたどう捌くか、を考えていた。

 まだ何も終わっていない。否、むしろ始まってすらいないのだ。ここから先に起こるであろう越後の混沌、誰が機先を征すか、などはこれからの話。

 堕ちた守護、守護代、古志や上田の長尾や阿賀北の連中も含め、誰が何処に立つか、で明日が決まる。油断はない。特に房長のような年長者は、どんな窮地に立たされようが捲る怪物が存在することを知っていた。

 今はもういないが――

(この男、決して劣る器ではない、か)

 ここから現れぬとは、限らない。

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